カダフィ大佐 単語

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カダフィタイサ

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カダフィ大佐とは、リビアの暴れん坊である。

概要

本名はムアンマル・アル・カッザーフィー(カダフィ)。

リビアにおける「革命導者」という立場にある。名上はリビアには国家元首は存在しないため、自身ではリビアの元首であることを否定している。
しかし事実上の国家元首であるとみなされており、日本外務省リビアの基礎情報ページでもリビアの元首は「ムアンマル・アル・カダフィ革命導者(Muammar Al Qadthafi)」であると記載されている。

1942年リビアのベドウィン(アラブ遊牧民)に生まれる。軍人となって順調に出世する中、1969年大尉であった頃にクーデターを起こしてリビアを打倒、現在リビアを建設し現在に至る。

リビアは表向きは直接民主主義(ジャマーヒリーヤ体制)という形をとっているが、実際にはカダフィ大佐に近い勢が権の中枢を握り、政権に批判的な活動家は収監するなどの強権的政治体制が敷かれている。ただしリビア民への富の配分も較的うまくいっており、カダフィ大佐は民に人気が有るためリビア全体からの反応はさほど悪くなかった。しかし、旧リビアだったリビア東部地方の勢などからはやはり反感を抱かれていたともいう。

2011年2月、隣チュニジア2010年から始まりエジプトにまで波及した通称「ジャスミン革命」のあおりを受けて、やはりリビア東部から反政府がカダフィ政権に対して起。これに対して武で一時は鎮圧するも、アメリカを中心とする反リビアグループが、再三再四政府支援。かなり強引にカダフィ政権を打倒した。

カダフィ大佐本人は2011年10月20日に潜先を襲われ死亡した。

カダフィ伝説

カダフィ大佐といえばその突飛な言動で知られる人物である。良くも悪くもハッキリ物事を言う性格。

このように気合の入ったキチg・・・いや反ある人物であり、過去には数々のテロ支援を行い、アメリカからテロ国家テロ支援国家と名しされていた(現在は解除。2006年にはアメリカ交正常化)。それでも他の独裁国家ほど批判されないのは、終始一貫して「全てはアラブのため」という姿勢を貫いているところに有るのだろう。あるいは敵対したために滅ぼされたフセインと友好関係を結んで政権を維持したカダフィ大佐というわかりやすい対を見せたかったというアメリカの思惑もあったとも言われている。

日本とのつながり

カダフィ大佐は日本外交上、非常に重要な人物であった。なんせ「反欧なのに親日」という、ある種矛盾した立場の人物だったからである。反米テロリストが事件を起こした時、交渉の窓口リビアを使うのが有効であったし、2010年ワシントン条約締約国会議でリビアが活躍したのも、カダフィが反欧米か親日だったればこそである。

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