カラジ 単語

7件

カラジ

3.4千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

カラジ(Karasi)は、1995年生まれの元競走馬

中山グランドジャンプで史上初めて3連覇を達成し、騎手ブレットスコット風車ムチとともに日本でも人気を博した、オーストラリアの名ジャンパーである。

な勝ち
2001年:ジーロングカップ(L)
2005年:中山グランドジャンプ(J・GI)
2006年:中山グランドジャンプ(J・GI)
2007年:中山グランドジャンプ(J・GI)

概要

前半生

Kahyasi(カヤージ)、Karamita(カラミタ)、Shantung(シャンタン)という血統。はその祖ニジンスキー以来となる敗の英愛ダービー系も血統表を見れば分かるがゴリゴリ欧州血統が組み合わせられ続けている。

……何か欧州競馬で走ってそうな血統なのだが、実はこのアイルランド生まれである。カヤージやシャーガーなどの生産所有者のアガ・カーン4世殿下の生産所有馬としてデビューしている。

しかし3歳4月デビューから初勝利までに5戦を要し、その後もハンデ戦を4戦して2勝とうだつが上がらず、のセリでオーストラリア馬主に購入され、同に移籍することとなった。

オセアニアに移籍したカラジは19992001年にかけてそれなりの成績を残した。当初からステイヤー適性が見込まれており、実際に3200mのGIで何度か好走した(アデレードカップ2着、ブリベンカップ2年連続3着)ほか、2001年メルボルンカップでは後の凱旋門賞*マリエンバードや1番人気だったスカイハイツに先着する4着に健闘している。

しかし2002年に入ると一気に調子を落とし、故障による長期休養もあったが10戦連続で着外に敗退。地では頭打ちだと思われて障害のセリに出されてしまった。

しかし、カラジの本当の活躍はここからだった。

中山グランドジャンプ3連覇

オーストラリア公認会計士をしているピアースモーガン氏に購入されたカラジ。障害競走に強いエリックマスグローヴ厩舎に転厩すると、地競走出走を挟みながらそれなりに活躍。障害競走で6勝を挙げた後、オーストラリア最大級の障害戦だったヒスケンススティープルチェイス(3717m)で3着に入った。

中山グランドジャンプ参戦が現実味を帯びてきたのはこの頃である。63.5kgの斤量で出走でき、また賞が高額な中山グランドジャンプは、条件も賞も魅的なレースだったのである。そうは言っても4250mという距離流石に未経験なので、スタミナと飛越を中心に特訓が積まれた。なお斤量のこともあってか、これ以降引退まで地元では障害競走に出走していない。

さて、2004/05シーズンに入ると、カラジは地で6戦1勝2着1回の成績を残して3月に来日。初戦となるペガサスジャンプSには6番人気での出走となり、勝ったバローネフォンテンの1身3/4差3着に入った。続く中山グランドジャンプではバローネフォンテン、前年の中山大障害メルシータカオー、阪神スプリングジャンプ優勝ムラリュージュの3頭が回避したこともあり1番人気で出走。中で徐々に位置を上げながら4で先頭に立ち、直線ではブレットスコット騎手快な風車ムチに応えて、2着チアズシャイニングを退け優勝。10歳にして初GI制覇を飾ったのだった。

後、地元オーストラリアで最優秀障害となったカラジはシーズンが変わった年明けまで休養。自身を讃えて開催された「カラジ・中山グランドジャンプウィナー・ハンデキャップ」に出走したが、1612mという条件も災いして5頭立ての最下位。この後地を5戦して2着を1回確保し、再び3月に来日した。

ペガサスジャンプSで前年の中山大障害4着レジニックの2着として本番に挑んだカラジだったが、ここには強敵がいた。前年の中山大障害テイエムドラゴンである。カラジの1歳下の日本ダービーアドマイヤベガに持つこの4歳が、11歳で連覇に挑むカラジの前に立ちはだかったのだった。

単勝式でテイエムドラゴン2.3倍、カラジ3.2倍、3番人気レジニックが11.3倍という2強ムードの中でレースが始まった。最初に先手を取ったバルトフォンテンが大竹柵手前で故障し競走中止になると、ニュージーランドのフォンテラから更にメジロオーモンドが先頭を奪う展開。しばらくそのままレースが進んだが、4手前で先に動いたのはカラジの方だった。そのまま4で先頭に立つと、あとは追ってくるテイエムドラゴンとのマッチレース。一旦離されながら猛然と差を詰めてくるテイエムドラゴンを、再びの風車ムチに応えたカラジがクビ差ぎきり、子ほどの歳の差がある前年のJ・GI対決はカラジに軍配が上がったのだった。

このシーズンの最優秀障害に選出され、2006/07シーズンも年明けから地を6戦いて来日。ペガサスジャンプSでは後の中山大障害メルシーエイタイムの3着として、再び1番人気中山グランドジャンプを迎えた。そして中団から先に仕掛けたメルシーエイタイムを見るように進んで4先頭というお染みの競馬を披露し、これまたお染みとなったスコット騎手風車ムチに応えて、追い込んできたリワードプレザンを退けてゴールを通過。この間、史上初の中山グランドジャンプ3連覇、更には12歳によるJ・GI制覇が達成されたのだった。

その後

後は休養を経て、2007/08シーズンに変わった12月に復帰。地を6戦して、いつも通り「ペガサスジャンプS→中山グランドジャンプ」のローテを組んで来日した。しかし3月27日ペガサスジャンプS2日前の最終追い切り後、屈腱炎を発症したということが判明。13歳という年齢もあり、ここで引退となってしまった。

中山グランドジャンプ4連覇を前に念の引退となったカラジに対するメッセージの募集がJRA催で行われ、中山グランドジャンプ2週前の4月6日中山競馬場メッセージの贈呈式が行われた。海外にこのような待遇がなされること自体が相当しいし、それだけ日本人気があったということの左と言えよう。

引退後は功労としてマスグローヴ厩舎に繋養されている。中山グランドジャンプ3連覇が評価され、2018年オーストラリア競馬殿堂入りも果たした。

中山グランドジャンプの連覇記録は後にオジュウチョウサンによって更新されたが、それでも同は5連覇時点(2020年)で9歳。
10歳で重賞を制した、というとカラジが中山GJを3連覇した翌年(2008年)の小倉大賞典アサカディフィートが10歳で連覇。地方にまでを向けると13歳で重賞を制した営のオースミダイナーがいる。そして、さらに4年後(2012年)にはトウカイトリックが10歳でステイヤーズSを制覇し12歳まで現役を続けた。しかし、そんな彼らをしてもGIには手が届かなかった。そこからさらに9年後(2021年)に、先述のオジュウチョウサンが10歳での中山大障害を、翌2022年には11歳で中山GJを制したが、結局この年限りでの引退となって12歳でのGI挑戦を見ることはわなかった。12歳でのGI制覇、更に言えば10歳でGI初制覇を達成するは、この先現れるのだろうか……。

血統表

Kahyasi
1985 鹿毛
*イルブルボン
1975 黒鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Roseliere Misti
Peace Rose
Kadissya
1979 鹿毛
Blushing Groom Red God
Runaway Bride
Kalkeen Sheshoon
Gioia
Karamita
1977 鹿毛
FNo.16-d
Shantung
1956 鹿毛
Sicambre Prince Bio
Sif
Barley Corn Hyperion
Schiaparelli
Shahinaaz
1965 鹿毛
*ヴェンチア Relic
Rose O'Lynn
Cherry Prince Bio
Baghicheh
競走馬の4代血統表

クロスPrince Bio 4×4(12.5%)、Nasrullah 5×5(6.25%)

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
小春六花[単語]

提供: NoirAuslese

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/05/24(金) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2024/05/24(金) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP