フェルディナント・ハプスブルク(独:Ferdinand Habsburg)とは、オーストリア・ザルツブルク出身のレーシングドライバーである。
幼少期に生地のザルツブルクからウィーンに転居し、父親に連れられてカート場を訪れたことをきっかけにレーシングカートに熱中するようになる。
2011年から本格的にカートレースへ参戦し、2014年にはヨーロッパ各国で開催されているROTAX MAXチャレンジの最高峰、DD2クラスでオーストリアチャンピオンに輝いた。
2014年からはジュニアフォーミュラにも参戦し、フォーミュラ・ルノー、ユーロフォーミュラ・オープンを経て、2017年からヨーロッパ・フォーミュラ3選手権にステップアップ。
かつて佐藤琢磨も所属していたカーリン・モータースポーツからの参戦で、1勝を挙げランキング7位に付けた。
特筆すべきレースとして、2017年のマカオグランプリではレース終盤、セルジオ・セッテ・カマラと激しい優勝争いを繰り広げた。
ファイナルラップの海側区間に出るフィッシャーマンズコーナーでスライドし速度が鈍ったセッテ・カマラの隙を突いて一時前に出るが、続く最終コーナーを2人とも曲がりきれず外側のガードレールに激突、セッテ・カマラはその場でリタイアとなり、ハプスブルクも左フロントサスペンションを壊してしまう。
しかし彼は3輪になったマシンをそのまま走らせ続け、3位争いをしていたダン・ティクタム、ランド・ノリス、ラルフ・アーロンに先行を許したものの4位でフィニッシュし、表彰台こそ逃したものの正真正銘のレーサーであることを示した。
2018年以降はDTM、ブランパンGTなどのスポーツカーレースに参戦するようになり、フォーミュラカーレースから活動の軸足を移している。
2021年のル・マン24時間にはWRTから参戦、31号車をドライブし、最後の最後でトップを走り続けていた僚機41号車がリタイアしてしまう波乱にも助けられ、ロビン・フラインス、シャルル・ミレッシと共に見事LMP2クラス優勝を果たした。
名前を見てお気づきの方もいるだろうが、彼はハプスブルク=ロートリンゲン家、世界史の教科書で名前を見る「あの」ハプスブルク家の出身である。
全名はフェルディナント・ズヴォニミル・マリア・バルトゥス・カイト・ミヒャエル・オットー・アンタル・バーナム・レオンハルト・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(独:Ferdinand Zvonimir Maria Balthus Keith Michael Otto Antal Bahnam Leonhard von Habsburg-Lothringen)。
それも現当主カール・ハプスブルク=ロートリンゲンの長男であり、世が世ならば将来王位を継ぐ者として英才教育を受けるべき生い立ちであるが、前述のように彼はレーサーを志し17歳の時に国際バカロレア(DP・高校相当)を取得して教育を修了しており、大学へ進学する予定はないとのこと。
称号は非公式ながらオーストリア大公であり「殿下」と呼ばれることもあるが、本人はそう呼ばれることに否定的である。
政治的な事柄についてはその出自から決して無関心ではないものの、それよりもレーシングドライバーとしてのキャリアや後進の育成により大きな関心を持っているという。
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最終更新:2025/12/06(土) 07:00
最終更新:2025/12/06(土) 07:00
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