マイク・ディアズ(Michael Anthony Diaz)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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マイク・ディアズ Mike Diaz |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州 |
生年月日 | 1960年4月15日 |
身長 体重 |
188cm 99kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手、内野手、外野手 |
プロ入り | 1978年 |
引退 | 1992年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1960年4月15日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。
高校卒業後、1978年MLBドラフトにて、シカゴ・カブスから30巡目(全体685位)指名を受け契約。
マイナー時代は捕手としてプレーしていたが、その後、外野手に転向。1983年、カブスからメジャーデビューし、6試合に出場。その後、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍し、1986年、メジャー昇格。外野手や捕手だけでなく、ファーストやサードでもプレーするなど、強打のユーティリティ選手として活躍。1986年には12本塁打を、1987年には16本塁打を放っている。1988年、不振に陥り、シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍したが、復調することはできなかった。
入団初年度から長打力を発揮し、クリーンナップの一角を任されて、6月には月間MVPを受賞するなど活躍。打率.301、39本塁打、105打点を記録。また、その風貌から「ランボー」と呼ばれ、子どもたちを中心に人気を博し、オールスターゲームにも初出場を果たした。
1990年、マイナー時代に捕手としてプレーしていたことに目をつけた金田正一監督から、捕手としてもプレーすることを指示された。前年同様打線の軸として活躍し、打率.311、33本塁打、101打点を記録。捕手としても15試合でマスクをかぶり、荘勝雄との外国人バッテリーも実現した。
1991年、6月に捕手として起用された際、スローイング時に右肘を骨折し、そのまま戦線離脱。
1992年、復帰を果たし、千葉ロッテマリーンズ初代4番打者として出場したが、打率1割台と精彩を欠き、シーズン途中に解雇されてしまった。
引退後、ハワイ州へ移住。現在はハワイで野球アカデミーを創設し、指導者として活動している。
鍛え上げられた肉体を生かし、抜群のパワーと強肩で活躍したスラッガー。捕手・内外野様々なポジションを守れるユーティリティ性も魅力であった(ただし、日本時代はほとんどが指名打者での起用であった)。
NPBでは珍しい外国人捕手としても有名である。捕手としてはキャッチングの上手さと、地肩の強さを生かした座ったままの送球を得意としていた。また、乱闘時に最前線に立ち大暴れする姿でも話題となった。平成最初に退場処分を受けたのもディアズであった。
筋骨隆々の体格と、容姿や風貌がシルベスター・スタローンに似ていたことから、愛称は『ランボー』であった。一時登録名もランボーにしようと画策したが、映画会社との交渉が不調に終わり実現しなかった。
『魔法使いサリー』のテーマ曲を原曲とする応援歌を使用していた。
現役時代に全米腕相撲大会のプロ野球選手部門で3連覇を達成している。
通算:8年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:4年 | 293 | 770 | 683 | 70 | 169 | 31 | 102 | 1 | 0 | 10 | 71 | 6 | 128 | 18 | .247 | .319 |
NPB:4年 | 350 | 1495 | 1256 | 192 | 353 | 93 | 264 | 4 | 0 | 12 | 213 | 14 | 237 | 26 | .281 | .388 |
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最終更新:2024/12/21(土) 23:00
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