1962年生まれ。1981年にアニメ業界に入り、原画、演出、作画監督などを務めた。主な作品は『プロゴルファー猿』『哭きの竜』『ホワッツマイケル』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』など。
1989年、右手の不調をきっかけにアニメ業界を離れ、ゲーム開発者に転身してタイトーに入社する。企画職を希望していたにも関わらずキャラクター部門に配属されたが、後に会社に掛け合い企画も担当する様になる。
企画マンとしての初仕事は『ダライアスII』で、ゲームデザイン補佐としてキラーヒジアやヤマトといった印象深いボスキャラクターを考案。以降も主にSTG作品に携わり、『バトルシャーク』や『マジェスティックトゥエルブ』等の仕様修正を行った。
そして、1990年からは後述する「プロジェクトガンフロンティア」(『ガンフロンティア』『メタルブラック』)に着手。その演出重視な作りは、後のタイトーSTGの作風に少なからぬ影響を与えた。
1992年、『ダイノレックス』の開発を最後にタイトーを退社。以後はフリーのイラストレーターとして活動中。
尚、過去には仙波自身によるタイトー時代の回想録がホームページ上で公開されていた。現在はドメインのサービス終了に伴いサイト自体が消滅してしまったが、アーカイブサイトで見る事は可能。"ゲームクリエイター"という、一見華やかに見える職業の舞台裏に潜む残酷物語には一見の価値がある。
仙波が企画・デザイン・プロデュース・ディレクション等を一手に手掛けたSTG開発プロジェクト。小規模な開発チームかつ外注並の低予算ながら初作である『ガンフロンティア』、そして第二弾となる『メタルブラック』を作り上げている。二作に世界観的な繋がりはないものの、演出に富んだ作りである点や、F2システムの性能を最大限引き出したグラフィック、正面へのみ放たれるショットとアイテムを蓄積し放つボンバーとで構成された自機など、共通要素は多い。
仙波の回想録によれば、このプロジェクトを通じ、タイトー社内に低コストでテーブルシューティングをコンスタントに開発出来る環境を整備する事を狙ったものの、周囲の理解を得られぬまま頓挫、プロジェクト解散に至ったとしている。
尚、1992年に発売された恐竜格闘ゲーム『ダイノレックス』がプロジェクトガンフロンティア第三弾として紹介される事が多かったが、2011年になって公式的に「ダイノレックスは正式なプロジェクトガンフロンティア三部作ではない」とアナウンスされた。
1990年発売の縦スクロールSTG。仙波自身初となるオリジナル企画作品。
仙波自身は「一般大衆向け」を意識して開発していた様だが、ショットの連射等で難易度がどんどん上昇していくシステム(考案したのは他のスタッフ)の存在により、結果的にはその方向性から逸れてしまった感がある。一方、西部劇とSFが混合したヒロイックな世界観や派手な演出の数々は好評を博した。
1991年発売の横スクロールSTG。企画自体はガンフロンティアより先に作成されており、素案当初はダライアスII等で使用された二画面筺体用のゲームだったらしい。
「一般大衆向け」を指向したガンフロンティアとは対照的に当初より「マニア向け」を狙って開発されており、その作り込まれた世界観と奇抜な演出の数々は今尚異彩を放っている。
本来ならば「PROJECT GUN FRONTIER 3」の名を冠する筈だったであろう作品。
一般筺体向けのフロントビューSTGで、かなり実験的な内容になる予定だったという事が仙波の口から語られているが、詳細は不明。プロジェクト解散に伴い開発中止となった。
掲示板
12 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 19:44:06 ID: YN62Y8M8me
13 ななしのよっしん
2022/11/18(金) 23:54:51 ID: 166hjulKUA
凄いよなぁ歴史に名を残すってこういうことなんだ…
14 ななしのよっしん
2024/03/25(月) 11:21:00 ID: 8msf3LJTMT
公務員?イラストレーターだった気が…
細々した仕事とかタイトー時代のイラスト・漫画を集めた同人誌を出してるね。
http://t
売れ行き次第ではV3もあり得るとか。
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最終更新:2024/04/26(金) 17:00
最終更新:2024/04/26(金) 17:00
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