1939年10月29日生まれ。日本大学芸術学部映画学科技術コース卒。
在学中より特撮の神様こと円谷英二に師事、東宝特殊技術課を経て、円谷プロダクションの設立時に入社。
『ウルトラQ』で撮影助手、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』で撮影を務めた後に『マイティジャック』で特技監督デビュー。1977年に円谷プロを退社してフリーに。1980年には特撮研究所、1982年はデン・フィルム・エフェクトに籍を置いていたが、1985年より再びフリーとなる。
円谷プロ作品のみならず、東映作品や香港・アメリカなどの海外作品でも特技監督として活躍、展示映像の演出・撮影も多数手掛けている。
兎に角ド派手でアクロバティックな殺陣と、ケレン味溢れるメカニック描写が持ち味で、「飛びの佐川」「メカの佐川」の異名を取る。円谷英二直伝による巨大感を表現するための遠近法や、撮影・合成技術の特殊な応用にも精通している。
平成ウルトラシリーズでもその手腕は健在であり、『ウルトラマンティガ』『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』の4作品に登板(『ガイア』『コスモス』ではメイン特技監督)。特に『ガイア』においての重厚なメカニック描写の光るオープニングや、作品を代表する土煙を巻き上げる着地シーンは佐川の手によるものである(後者は以前から佐川が温めていたアイデアだったが、『ダイナ』の「怪獣戯曲」でテストケースとして用いたところ好評だったため取り入れられた)。
職人気質を地で行く性格であり、そのこだわりの強さゆえに予算を大きく超過してしまったり、テレビ局への納品がギリギリになってしまう事もあったとの事。現場のスタッフやスーツアクターも佐川の厳しさに意地になってやっている時もあったという。『ガイア』のオープニングも含めた第1話・第2話の制作には、40日以上の日数と従来の4倍もの予算が掛かってしまったとか。
そのダイナミックな特撮に魅了された者は数知れないが、一方で誇張された表現を多用する事や、本編のドラマパートと特撮パートで時折齟齬が起きてしまっている事を指摘する者もいる。
掲示板
1 ななしのよっしん
2016/10/02(日) 14:16:23 ID: hXB79eOEad
円谷英二の後継者も同然だな
2 ななしのよっしん
2016/10/23(日) 00:23:16 ID: JgbmWcqUKU
アクロバティックでダイナミックな動きをする殺陣は素晴らしいんだけど
昭和時代(特にA)は動くためのスペース(ウルトラ広場)をモロ見せてしまってるのが惜しい
いや、あの空間が無いとあんなに動けないし中の人が危ないのは分かっているんだけどね
3 ななしのよっしん
2018/08/11(土) 20:43:21 ID: SJN/bgJfH7
キンゴジ富士決戦のストップモーションけたぐりシーンもこの人だと聞いた。短縮版ではカットされてるそうだが
キンゴジのスーツだと構造的に脚上がんないからストップモーションにしたっぽいよね
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/02(月) 11:00
最終更新:2024/12/02(月) 11:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。