「孟宗」(モウソウ ? ~ 271)とは、母親への孝行から二十四孝の一人に数え上げられている三国時代の呉の国の政治家であり、モウソウチク(孟宗竹)の名前の由来になった人物である。
字(あざな)は「恭武」。
孫皓が帝位について以降は「孟仁」を名のった。(孫皓の字が「元宗」だった為)
江夏の出身で、孫権から孫亮→孫休→孫皓までの呉帝国四代に仕えている。
二十四孝に数えられる母親とのエピソードについては、「お母さんを嫁に下さい」と言いたくなるようなものが揃っている。
幼い頃に父を亡くしながらも母親の手で育てられ、南陽の李粛(董卓配下の人物とは別人)の元で学問を学んでいた頃に母親が、
息子は客人を招くような徳はありません。
学問を志す人には貧しい者が多いと聞きます。
この大きな布団は、学問を志す者同士で交友するようになるよう願って作ったのです。
と言って大きな布団を作った事から猛勉強した孟宗は、李粛から宰相の器であると評価を受けるまでになり、驃騎将軍の朱拠の軍吏として呉の国に仕える事になった。
朱拠の軍営に母を呼んで共に暮らしていた時、雨漏りがひどい事を孟宗が母親に謝罪したところ、母親から
今はただ忠勤に励むべき時です。雨漏りがひどいぐらいで泣く程の事ですか。
と言ったことが朱拠に伝わり、孟宗は魚を管理する塩池司馬に任命された。
魚の管理を仕事とするようになった孟宗が、自ら網を投げて魚を捕り、漬物にして母親にたべさせようとしたところ、母親から
魚の管理をするのがお前の仕事です。
そんなお前が私に魚を送ってきては、悪徳官吏の嫌疑を避ける事はできません。
とたしなめられた。
孟宗が高い評価をうけて仕官するきっかけをつくったのも母親であれば、孟宗が呉の国で出世するきっかけをつくったのも母親だった事等から、母が年老いてからも孝行の思いを忘れなかった孟宗は、親孝行な人物を集めた「二十四孝」の一人に数え上げられている。
ある時、病を患っていた母親が冬にタケノコが食べたいと言った。
孟宗は竹林にタケノコを採りに行ったものの、冬にタケノコがあるはずもなく、天に祈りながら涙を流して雪を掘り分けていた時、突然、雪が溶けてあたり一面からタケノコが生えてきた。
孟宗はタケノコを採って帰って熱い汁物を作って母親に食べさせたところ、母親の病が癒えて天寿を全うした。
人々は、孟宗の親孝行の思いが天に通じたのだろうと言い、モウソウチク(孟宗竹)の名前の由来にもなったと言われている。
当時の呉の国には、皇帝になってからの評判がすこぶる悪い孫権により、親が死んだ時には代わりの長官が来るまで喪に服すことが禁止されており、しかも違反したものは死罪という厳罰を受ける事になっていた。
そこで孟宗は、母の喪に服する為に県令の地位を捨てたが、拘禁され死刑を待つ身となってしまった。
しかし親孝行はしておくものだろうか、陸遜が孟宗を助けるよう孫権に上奏した為、孟宗の罪一等を減じ、死刑を免れた。
母の喪があけた後に官職に復帰した孟宗は、孫亮が皇帝となっていた頃には宮殿の門の警備統括役である光禄勲となっていたが、孫綝が孫亮を廃位した時にはこれに加わった。
孫休が皇帝に即位した後は、政治の中枢に携わる右御史大夫に昇進し、孫皓が即位した後に司空にまで昇進した。
孫綝の命令により、孟宗が一万五千の兵と武器庫の武器をすべて持ち出して武昌に駐屯した。
しかしこの事が、魏邈(魏バク)や施朔らに、孫綝が皇帝孫休を廃そうとしている前兆と警戒され、丁奉や張布による孫綝暗殺につながっていった。
※その他「孟宗」 の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事
▼初期配下の二人の三国武将のうちの一人として登場する「軟国志」
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | - | - | - | - | - | - | |||
三國志IV | - | - | - | - | - | ||||
三國志V | - | - | - | - | |||||
三國志VI | - | - | - | - | - | ||||
三國志VII | - | - | - | - | |||||
三國志VIII | - | - | - | - | |||||
三國志IX | 52 | 47 | 72 | 78 | |||||
三國志X | 48 | 48 | 67 | 71 | 55 | ||||
三國志11 | 47 | 28 | 72 | 78 | 79 |
|
関連人物 |
掲示板
2 ななしのよっしん
2013/11/15(金) 15:39:14 ID: ykmfR4DUXq
孟宗竹のおかげで、間違いなく孟宗は日本で一番有名な三国志関連人物。
しかし三国志好きにはあまり知られていないという逆転現象が起こってる。
3 ななしのよっしん
2015/04/28(火) 04:01:38 ID: mzPmwyClnc
孫皓治世下でも粛清を受けずに出世した人
孫皓は貧しい家から立身した臣下を好んだので、結構お気に入りだったのかもしれない
4 ななしのよっしん
2019/12/21(土) 11:51:58 ID: mzPmwyClnc
詩人陶淵明の母方の祖先が孟宗だったりする
(陶淵明の母親は、孟宗の曾孫の娘)
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最終更新:2025/01/08(水) 04:00
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