検見川事件 単語

ケミガワジケン

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検見川事件とは、1923年9月5日に起きた殺人事件である。

この4日前の9月1日に起きた関東大震災混乱の中で、地方出身だった青年三名が朝鮮人と間違えられて自警団に引き立てられ惨殺されたもの。

なお、犯罪被害者の実名を掲載することには倫理的懸念点があるが、100年以上前に発生した事件であることや、近年の新聞報道でも本事件の被害者実名を記している記事が存在する[1]ため、本記事でも実名で記載することを選択した。

概要

被害者となったのは、秋田県出身の26歳[2]青年藤井金蔵」氏、三重県出身の22歳の青年二郎」氏、沖縄県出身の21歳の青年儀間次郎」氏の三名である。

被害者ら三名は震災の被害しい東京から避難して千葉県の検見町の海岸を通行していた。そこを自警団として警備していた多数の現地青年団員が取り囲み、朝鮮人であろうと疑って警察出所に連行した。だが、その連行が「朝鮮人逮捕」だという誤情報として流布された結果、口・竹槍などで武装した多数の者たちが出所に押しかけ、出所のを突き破るものもいたという。

そして最終的に三名の青年暴徒により出所から引き出されて針金で縛りあげられ、口や棒による殴打、による撃、による刺突などによって全員が顔もわからないくらいめちゃくちゃになるまで惨殺されてしまった。そしてその遺体出所近くの花見川にかかるの上からの中に投棄された。

この加害者らのうち、犯と見なされた数名は検挙取り調べを受け、起訴されたという。事件から翌の『報知新聞』において、事件の概要と共に加害者が起訴されたことを報じる以下のような記事が掲載されている。[3]

この事件については、大正十二年十月十七日の『報知新聞』に、次のような記事が掲載されている。

「三名の避難民青年団が虐殺 警察明まで持った者を 検見惨事

千葉県千葉検見町の自警団暴行事件は、その筋の捜の結果、遂に同地青年団員加害者の氏名のため中略)の四名を検挙取調べの結果、殺人罪として起訴された。右は、去五日午後二時ごろ、秋田県被害者住所詳細のため中略)藤井金蔵(二六)、三重県被害者住所詳細のため中略)真弓二郎(二二)、繩県被害者住所詳細のため中略)儀間次郎(二一)の三名が、東京より避難して、同地海岸を通行の際、前記四名および青年団員三〇余名がこれを包囲し、警察署の身元も出して哀訴願するも肯かず、乱暴にも棍棒および日本刀を持って、三名の顔もわからぬ程めちゃめちゃに惨殺したのであると(千葉)。

また、法務官僚の「吉河貞」が著し法務府特別審局から1949年9月に出版された書籍『関東大震災治安回顧』内でも以下のように触れられている。

千葉町にける騒擾

九月五日午後一時頃京成電車停留所附近にて、秋田人、三重人、人の三名が不逞鮮人の疑ありとして自警員に捕へられ、同町巡査駐在所に同行されたところ、之が鮮人逮捕と誤された爲め、名の住民は孰れも口、竹槍日本刀を携へて右駐在所に押寄せ、同所に捕へられて居た右三名の男子不逞鮮人と妄信し、「打殺せ」と殺氣立つて喧噪を極め、中には竹槍にて右駐在所事務室の硝子等を突き破るものがあり、遂に右三名を同駐在所から引出して夫れ〲針金にて縛り上げた上、棒、口を振つて打し、にて突刺し、にて付け、右三名を悉く殺するや、直に之等の死を右駐在所側なる花見川上に引いて行き、河中に投棄する等騒擾を惹起した。

当時、本事件のように「朝鮮人と間違われて自警団に日本人が殺された」事件としては、他に「香川県人が千葉県で殺された、福田村事件」「秋田県人が埼玉県で殺された、妻沼事件」「聴覚障害者が殺された、家中義雄殺害事件」などがある。それらの類似事件では言葉のきが現地の自警団員から変りと感じられたことが朝鮮人と誤解された一因となったと推定されている[4]が、本事件でも同様の経緯であったのではないかとも疑われる。

また、本事件では三名の被害者が居た警察出所を暴徒が破壊したとのことであるが、このように暴徒によって被害者が居た警察建造物までも襲撃された事例は「寄居事件具学永殺害事件)」「藤岡事件」「本事件」などでも確認されている。

なお、なぜ「朝鮮人」であれば「殺すべし」となるのかについては、「福田村事件」のニコニコ大百科記事に記した、当時の時代背景を参照されたい。

本事件は知名度が低く忘れられかけていたが、2003年頃から沖縄県出身の「島袋和幸」氏が本事件に興味を持って個人的に調を開始。被害者のうち、三重県出身の二郎氏の遺族を特定に成功するなどした。なお秋田県藤井金蔵氏の手掛かりは得られておらず、また沖縄県儀間次郎氏に関しては現地の住民基本台帳が戦災で焼失してしまっているため調困難であるという。島袋氏は調内容を『関東大震災虐殺事件 : 「秋田三重沖縄三県人虐殺」〈検見川事件〉の相』という書籍として2013年に自費出版している。

また、2022年には島袋氏が事件の起きた地にて慰霊式を行った。この2022年の最初の慰霊式は島袋氏のみで行われたが、2023年には活動を知った付近の寺院僧侶が読経を申し出てくれ、また関心を持つ人が複数参列する慰霊式になったという。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *本記事「関連リンク」の琉球新報の記事などを参照
  2. *当時の新聞の記載。ただし当時は「数え年」であったので現在の「満年齢」で言うと20歳だった可性がある。以下の二名も同じ。
  3. *波書から1980年5月に出版された、桜井優子および五島智子による著作『関東大震災禍根 : 茨城千葉朝鮮人虐殺事件』からの孫引き
  4. *関東大震災後の当時、自警団員らは「殺すべき不逞鮮人」を見分けるために「朝鮮人がうまく日本語を話せないことを利用しよう」として「十五円五十銭」と言わせてみて発音がおかしくないか確認するなどしていたとされる。
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