言霊とは、今も日本人の深層心理に根付く、言葉の持つ力を指し示した言葉である。
→ ALI Projectのシングルについては「コトダマ」を、「UTAU」の音声ライブラリについては「コトダマ(UTAU)」を参照。
言葉には魂が宿り、言葉を発すれば実現する――
そんな思想の国がありました。
何を隠そうこの日本である。
遥かな昔、日本の政は平和の詩を読み上げる事が政治家の仕事であった。
平和を詩いあげれば平和が訪れると本気で信じられた時代があった。
・・・などと思わないで頂きたい。
比較的有名な事柄から例を挙げてみよう。
<<元寇>>
文永の役(1274年)弘安の役(1281年)と言われるモンゴル帝国(元)が日本に来襲した事件である。
結果から言えば所謂「神風」が吹き元軍に壊滅的な打撃を与えた為、撃退に成功した事になっている。
問題はこの事件の戦後処理で命を懸けて防衛した武士の手柄は認められなかった。
時の貴族、公家、僧侶、祈祷師、陰陽師による詩、折伏、祈祷、により、
神風を吹き起こし元軍を撃退した事になったのである。
ニコニコ的に噛み砕いて言えば、
貴族「元軍氏ね」→「元軍あぼーん」
公家「麿の詩は流石じゃのw元軍ざまぁw」
祈祷師「神風パネェw」
僧侶「おーわーおーわーいー」
陰陽師「悪霊退散!悪霊退散!怨霊物の怪困った時には・・・」
馬鹿にしてはいけない。
当時はこれが当たり前なのだ。
彼等の発する言葉こそが神の力を発揮し、元軍を撃退したと本気で信じられた時代なのだ。
ほんの一例を噛み砕きまくって説明したが言霊こそが政治の時代が確かに存在するのである。
そんな事は無い。
つい65年ほど前までは、ある意味どんな宗教よりも熱烈に信仰されてきた現象である。
では、65年前はどんな時代だったか?
<<第二次世界大戦>>
ご存知の通り日本が現時点で最後に参戦した戦争である。
そして前述の「元寇」が関係してくる。
そう。「神風」である。
なんと「神風」は671年も生き長らえて来た脅威の言霊である。
671年も育てられ戦時中信じられてきた言霊である。
そりゃあ、言霊の力も半端無い。
最早、化け物の類まで進化した言霊であろう。
まさしく「日本は神の国だから負けるはずが無いだろJK」なのである。
負けるはずが無いから負けるはずが無いのである。
理由は「神風」と言う言霊を信じているからである。
結果的に第二次世界大戦でフルボッコにされ、
ようやく「神風」の呪縛から逃れられたのも事実であろう。
そんな事は無い。
現代にもしぶとく生き残っている。
判りやすそうな例を幾つか挙げてみよう。
「平和を説いて説得すれば必ず平和になる。だから軍隊など必要ない。」
「平和平和と大合唱すれば平和になる筈である(街頭演説談)」
平和主義。大変結構な思想である。
・・・しかし残念ながらそれは日本人にしか通用しないであろう。
「平和」と言う言霊に支配されている結果と思われる。
ひらすら「平和」を唱える方々は良く考えてもらいたい。
決して「平和」の言葉が世界に届いたからではない。
単に運が良いのと、自衛隊、米軍、各種条約のお陰である。
恐らく自衛隊を廃止する議論が国会で挙がるのは世界でも日本だけではなかろうか?
大体、すぐ近くには臨戦態勢の将軍様の国がある。
将軍様に「平和」の言霊が通用するか少しでも考えてみればいい。
少しでも考えたのならば、万が一の時の国民を守る手段が「平和」の言葉だけで良いと思う事が、
正気の沙汰では無いのは想像に難くないハズである。
・・・まさか、狂気の沙汰ほど面白い・・・と言う事なのだろうか?
狂気の沙汰過ぎるッ・・・!!
同様の例は、原子力発電所(レベル7の原子力事故は日本では起こるはずがない、事故は言った瞬間に起こる)、地震(マグニチュード9の地震が日本で起きるはずが(ry)などでも見ることができる。
だれしも一度は気を使った言葉、または、意地悪して使った言葉があると思う。
受験を間近に控えた人に対する「滑る」「落ちる」といった類の言葉である。
気を使った事のある人は何故この言葉の使用を躊躇うのか?
言えば実現するからである。
実現したら責任を感じてしまうからである。
本能的に悟っているのである。
意地悪で使う人は言霊の呪縛は低そうであるが、
やはり本能的に、しかし薄っすらと「落ちる、を言えば実現する」と理解している、又は、
聞かされた人間が「その言霊を信じたら面白い」と頭が理解していると思われる。
勿論、本当に受験に失敗したらその責任は受験者本人である。
実力が足りない、勉強が足りない所為である。
でも落伍者は思う。
「あいつがあんな事言うからだ!」と。
落ちる、滑ると言った人は思う。
「あんな言葉喋ったばっかりに・・・」と。
勿論逆も然りである。
必勝祈願、合格祈願などは、その最も顕著な例ではなかろうか?
初詣で合格祈願して合格できれば誰も苦労などしない。
そんな時間があれば勉強したら良いのに祈願せずにはいられない。
祈願しないと体が、心が落ち着かないのだ。
何故か?
もう理由はいうまでも無いだろう。
例えば、貴方が学校、職場等での会話で、たまたま話の流れで冗談で
「あいつ死ねば良いのに」と発言した事は無いだろうか?
その「死ねば良いのに」の対象相手は別に憎いわけでもなく普段話しをする間柄だとする。
・・・そして仮に、その相手がその発言後、本当に死んでしまったら。
一体貴方はどんな事を思うだろうか?
きっと「俺がこんな事を言ったから」と後悔しないだろうか?
周りからは「お前があんな事言うからだ!」と責められないだろうか?
マンガやドラマで有りがちな場面ではなかろうか?
「死ね」と言う言葉に言霊を感じる一例である。
冷静に考えれば直接手を下したのでなければ、発言者に何の責任も無いのは当たり前である。
病気にしろ事故にしろ死んだのは、あくまで死んだ人の中で完結する話である。
でもその発言に罪を感じてしまうのが日本人の特徴であろう。
そしてその発言を追求するのが日本人の特徴であろう。
その証拠、になるかどうか判らないが、少なくとも筆者は日本は失言を許さない国であると感じている。
国の閣僚が些細な失言でコロコロ変わるのは日本だけではあるまいか?
その失言への追求は「そんな事言えば実現してしまう」という感情が心の奥底にあるからではなかろうか?
もうやだこの国・・・。
喋っただけで実現するなら誰も苦労はしない。
そんな事あるワケ無いのは誰もが判っている筈なのに、
何故かその「言霊」の魔力に怯えてしまう不思議な民族が日本人なのである。
科学者でもなんでもない人が無茶苦茶な方法(「水からの伝言」など)で言霊が存在することを主張する。
↓
あたかも言霊が存在するかのように見えるので多くの人が信じる。
↓
科学者達が「言霊はエセ科学であり存在しないものである」と発言しても言霊の存在は信じられる。
↓
「実験で存在しない事を証明しろ!」と苦労を知らない人々が科学者達を野次る。
もちろん言霊が存在する事を証明した実験方法の無茶苦茶さにはなんの疑いを持たず科学的正当性がある方法だと信じられる。
もし奇跡が起こり科学者が正当な実験を行った時、彼らが「実験方法が悪い」と言うのではないかと筆者は心配でならない。
↓
嘘っぱちの言霊存在説を信じてしまう人々を見て「存在しない言霊の存在を信じてしまう言霊の力」が確認される。
ゆえに言霊は存在するのである。
掲示板
53 ななしのよっしん
2021/02/27(土) 18:15:08 ID: bG6NmUhsCl
こんなニッチな単語記事もあるんだなーと思ったらなんだこの偏見だらけの内容...
54 ななしのよっしん
2021/02/27(土) 18:20:35 ID: sZR17boRGN
ニッチと言うが、何の需要も政治家の記事があるニコ百ならむしろメジャーよりなんだよなあ
55 ななしのよっしん
2021/02/27(土) 21:55:26 ID: bG6NmUhsCl
>>54
まあ確かに需要ガン無視の炎上記事とかもあるしねぇ
そういえばこの記事も政治っぽいことが書いてあるがまさかそういうことか?
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/08(金) 07:00
最終更新:2024/11/08(金) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。