第2次世界大戦中に計画されたが実戦配備されたのは大戦後となり冷戦初期の核抑止力の一角を担ったがB-52の登場により運用されたのは10年程度と短い。なお、『ピースメーカー』という愛称で知られるがこれは非公式である。
1941年に開発が始まったB-36は、「米本土を発進して大西洋を渡り、欧州を爆撃してそのままアメリカに戻って来る」機体として『最大航続距離16000km、爆弾5t弱搭載で大西洋往復可能』という性能が要求された。
この要求に応じてコンソリデーテッド社が開発した機体は全長49m、全幅70mとなり、B-29(全長30m、全幅43m)やB-52(全長47m、全幅56m)よりも大きい機体となった。もっともコンソリデーテッド社ではB-24の生産を優先したため試作機[1]が飛行したのは第2次世界大戦終戦から1年後で、量産型の配備開始も1948年にずれ込んだ。
完成した本機は発注通りの航続距離に加え、後退翼+推進式[2]レシプロエンジン(最大4000馬力)全8基を採用する事で最高時速610㎞越えを達成した。しかしこれでも出力不足とされたため後に両翼端にジェットエンジン2基=4基を追加することで最高時速700㎞に達した。
そして『爆弾5t弱で大西洋往復可能』も発注通りだが最大搭載量は40t弱(B-29は9t、B-52は31t)にもなり、この場合は最大5000㎞を飛行できた。なお、自衛用に機体8か所に連装式銃座を設けているが従来の12.7㎜機関銃は全廃され、20㎜機関砲に統一された。また銃座の内6か所は未使用時に機体内に格納される方式だった[3]。
この機体を運用する乗員は十数人程度に及び、機首と機尾にある与圧式居住部に分割されて搭乗することになるがB-29と同様、トンネルによる通行ができた[4]。なお、主翼内部にもトンネルが設けられ内部からレシプロエンジンを点検・整備することが制約付(駐機時・非与圧高度飛行時)で可能だった。
こうして配備されたB-36だったが実戦で使用されることは無かった。
配備中、朝鮮戦争が行われているが本機は『ソビエト連邦との核戦争時に敵地に突入し戦略目標を破壊する』ことが運用目的になっていた事や余剰気味になっていたB-29と改修型B-50で充分と判断されていた為である。
ところが朝鮮戦争ではソビエトと中国が送り込んだMiG-15ジェット戦闘機によって爆撃機隊が甚大な損害を出した事で『爆撃機の自衛用機関銃はほぼ無意味』、『ジェット戦闘機にはジェット戦闘機で対抗すべし』の実態が浮き彫りになった。
なお、1950年2月に訓練中のB-36がカナダで墜落事故を起こし5名が死亡しているがこの際、Mk4核爆弾を1個放棄している。この核爆弾はプルトニウムを入れた起爆装置を装着しない状態で積載されていた為、爆発を含む臨界事故を起こす事はなかったがウランが封入された状態のまま2022年現在も発見されていない。
B-36の爆撃ミッションをエスコートできる長距離戦闘機は存在しないため、B-36の爆弾倉内に護衛用戦闘機を収容、必要に応じて発進、回収するというもので、護衛機として開発されたXF-85は失敗に終わり、RF-84Fを改造したGRF-84FとRB-36Dを改造したGRB-36Dのコンビが1955年末から実際に運用されたが短期間で中止された。また、同じ頃にTom-Tom(トムトム)と呼ばれる同種の計画もあり、こちらはB-36の主翼端のフックに各1機を繋留するというもので実際に試験も行われたが、戦闘機のパイロットは10時間以上もコクピットに座りっぱなしになるため、採用されなかった。[6]
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最終更新:2025/12/26(金) 10:00
最終更新:2025/12/26(金) 09:00
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