100
61 ななしのよっしん
2013/03/17(日) 19:51:13 ID: pq9Rx2rLF9
ドラマCDでは慶次を大塚明夫、秀吉を大塚周夫と親子同士が演じた。
会見シーンは胸アツだった。
62 ななしのよっしん
2013/03/24(日) 00:27:48 ID: fMHW1StRps
63 ななしのよっしん
2013/04/26(金) 13:31:36 ID: 0phBnNxqW+
高い実力(隆慶補正じゃなくて江戸時代からの史跡で見ても)の割に
大身を残せないのは実は滝川の遺伝子のせいなんじゃないかと思ったw
64 ななしのよっしん
2013/05/02(木) 15:05:35 ID: 8qORbVbDOf
もがみんの邪魔しやがって…
このひょっとこ野郎がっ!
65 ななしのよっしん
2014/01/08(水) 20:19:45 ID: IpVZCukSm7
66 ななしのよっしん
2014/05/16(金) 23:51:29 ID: +2N9MQ759p
無双4の前田慶次は
前田家(紀州征伐後異動)→滝川家(神流川後柴田側へ)→前田家(不仲から出奔)→放浪→上杉家
と割とそこいらの史料っぽい動きしてるんだよな。それでも十分に渡り歩いてる辺り流石だわ
67 ななしのよっしん
2014/08/03(日) 12:14:08 ID: j2w3RwGluF
史実では合戦で槍や刀を手にしないで一人で敵軍に体当たりしまく
って混戦に持ち込むことが主な戦法だったらしいが、これがゲーム
でも再現されて欲しいな。
68 ななしのよっしん
2014/08/11(月) 09:53:14 ID: S4+eqk5fH/
それどこの史料に載ってありますか?宜しければ教えて頂けると嬉しいです。
自分が調べて分かる範囲では、慶次は、江戸時代の諸書では、猛将設定で、部下の野崎からは、「心たくましく猛将たり」と評され「あまつさえ戦を好み」と遺書に書かれているから、戦好きで腕が立つのは確かだと思うけど・・
あと、慶次の赤い甲冑は、当時の慣習を考えるとある程度武勇に優れないと着用できないみたいらしいです。
69 ななしのよっしん
2014/09/21(日) 14:43:22 ID: teoVqKfC4F
1989年発売のPCゲーム「天下統一」でもこっそりでてたりする。
70 ななしのよっしん
2014/10/13(月) 07:48:06 ID: uko97NECse
史実の前田利益は
身長160cmほど(現存する2つの鎧からわかる)
武人というより文化人
嫌味が過ぎて最後に上杉家で疎まれたりする
というよな人物
花の慶次で描かれてるエピソードの9割は創作
71 ななしのよっしん
2014/11/03(月) 13:50:49 ID: l3YAVHdaXW
72 ななしのよっしん
2015/01/16(金) 20:16:42 ID: X1m5nQXHLS
晩年をNHKでドラマ化
前田慶次の晩年を描く「かぶき者 慶次」、NHK総合で放送決定 前田慶次役は藤竜也さん
http://h
脚本は「天地人」「利休にたずねよ」の小松江里子
73 ななしのよっしん
2015/02/15(日) 22:05:46 ID: HP6+pmqBjf
実際居ても居なくても大差無い人物だしね
上杉家から捨て扶持もらった頃はそれこそうぜえジジイだったろうし
ただでさえ家中から見下げられ出した直江兼次もコイツのせいで
更に究極の阿呆みたいに嘲笑されて辛かったろうて
74 ななしのよっしん
2015/02/17(火) 17:16:32 ID: yN75XnOx4S
>>72
ああ、小松が脚本という時点でもうダメだ。
天地人は言うに及ばず、利休にたずねよも時代考証がめちゃめちゃだし、朝ドラのどんど晴れも酷かった。
この人、今では絶滅寸前のテンプレ的な韓流大好きおばさんだからなぁ・・・
75 ななしのよっしん
2015/04/10(金) 14:12:37 ID: dLmvwvTSkE
俺は藤竜也が好きだからドラマ見るけど、小松なのはちょっとな・・昨日見たあたり、天地人のように徳川の悪役に魅力が無さそう。。前田慶次がお年寄なのは史実通りで良いんだけど、花の慶次のような慶次を期待するとダメだろうな。
76 ななしのよっしん
2015/06/21(日) 08:55:18 ID: dLmvwvTSkE
ドラマ終わったけど、意外と悪くなかったわ。
突っ込みどころはあるけども、登場人物の武士の髪形の多くが月代だったり、時代考証もそこまで間違っていなかったし、殺陣は微妙だったけど・・
何より、藤竜也や伊武雅刀等のベテラン俳優が多くて演技が良かったわ。
小松氏は西軍びいきという評判だったが、徳川家康がチョイ役で出てたけど、きちんと大物風に描かれていたし。。
77 ななしのよっしん
2015/09/29(火) 06:42:58 ID: kWuIApNTpA
そういや、漫画のあの、慶治最後の突撃はどのくらいの信憑性があるのだろうか。一応、漫画ではいくつか資料があるとの事だったけど…。
あれ、実際にやってたら、どっかの妖怪首おいてけよか凄い様なw
78 -_-b
2015/10/27(火) 17:06:04 ID: wenzhA0VtM
慶次が前田家を出る時に息子に「いい歳して馬鹿な事してるな」って言われた。
あと、まつや利家の嫁達から絶対に妻になりたくないって言われてた。
奥村助右衛門が妹を慶次にやりたくない。本当の理由は遊び人でちゃらんぽらんだから60過ぎてるのに
79 ななしのよっしん
2016/04/28(木) 20:30:05 ID: uGz0UZVZP2
>>68
亀過ぎてスマソ。掃除しててやっと見つけた…
井口朝生の「前田利家―物語と史蹟をたずねて」
『穀蔵院咄然斎』
「いざ、合戦になると、単身、真っ先駆けて敵勢の中に踏み入り、
槍や太刀は使おうとせず、手当たりしだい殴り倒し蹴散らして
攻め口を開き、味方を勝利にみちびく。功名や武勲をまるで
度外視して、野放図な武者働きをしたという評判である。」
80 ななしのよっしん
2016/08/11(木) 22:15:16 ID: FoJPd3B7re
>>78
それソースどこ?
まぁ当時の観点からしたらその通りだろうが、まつの評価が花の慶次とまるで真逆じゃねーかw
81 ななしのよっしん
2016/10/23(日) 13:16:51 ID: C3jOv0lGBH
http://h
前田慶次が晩年を過ごしたとされる屋敷の跡が発見されたのだそうな。
82 ななしのよっしん
2016/10/28(金) 05:52:52 ID: 7nd5J3Mrlm
小説の拡大解釈と漫画の北斗な戦ぶり(どっちも良い意味で)が無かったら
ここまで引っ張りだこにならなかったんだろうなぁ
後のトンデモ武将アレンジの流れを作った非情に面白い素材だと心から思う
83 ななしのよっしん
2016/11/11(金) 10:00:40 ID: dx7USsUVjK
>>77
原作だと『最上義光記』からも引用されてる。
なんで多分実際にあったんだろうと作者は言ってる。
84 ななしのよっしん
2016/12/15(木) 14:43:49 ID: hVMhYA4mzy
正直花の慶次自体は漫画として微妙だった、明らかに慶次のキャラクターを活かしきれてない感じで。
慶次は何でもできるのに史実に縛られほとんど何もできないから煮え切らない感じが常に漂う
85 ななしのよっしん
2017/01/12(木) 21:46:32 ID: lWe7vVHaw3
この記事のさぁ[現在では「三国志でいう呂布級の猛将」ってイメージは絶対に原哲夫先生作画の「花の慶次-雲のかなたに-」の影響が100%近くあると思うんだよなぁ
もし花の慶次の作画が原哲夫先生みたく北斗みたいな重厚・濃厚な作画じゃなかったら絶対に呂布級の猛将みたいなイメージはほとんど付かなかったと思う、良くてBASARAのイメージか直江兼続の親友・盟友か、最悪引き立て役くらいじゃねーかな
86 ななしのよっしん
2017/03/28(火) 21:45:40 ID: S4+eqk5fH/
慶次の猛将イメージって漫画以前からあるものだよ。江戸時代の軍記物とかでは既に猛将設定だし(石山軍記と言う書物では奪われた旗を単独で取り戻したりとか津軽の史料では、「武道の達人」とあるよ)
>>77
上杉家御年譜では、慶次と水原親憲が活躍して慶次が槍で突き崩すと言うのもあったね
ぶっちゃけ慶次の史料で一番信憑性があるの慶次の家来だった野崎の遺書だと思う。
87 ななしのよっしん
2017/03/31(金) 19:20:01 ID: S4+eqk5fH/
>>68
ありがとうございます。
因みに朱色の甲冑は井伊の赤備えよりも時代が古いらしく当時の慣習を考えると武勇がなければ着用できないと「上杉謙信・景勝と家中の武装」と言う本で甲冑の専門家がそう書いていました。(慶次の二つの甲冑は両方朱塗で、最近公開された甲冑は甲冑全体が朱でした。)
88 ななしのよっしん
2017/04/02(日) 11:08:26 ID: S4+eqk5fH/
>>86
連投と訂正ですいません。
慶次の人物像について一番信憑性があるのは、最後まで家来だった野崎の遺書だと思いました。
89 ななしのよっしん
2018/01/20(土) 17:56:27 ID: Q8cqv6OqE1
死んだあとの後世、どえらいイメージをつけられたことを知ったら一体何を思うのやら…
90 ななしのよっしん
2018/05/14(月) 00:42:51 ID: S4+eqk5fH/
>>70
身長については、専門家の詳しい指摘は無かったはずだと思います。あと、
上杉時代には、安田能元との交流があり亀岡文殊奉納の歌会でも一緒に出ています。この時慶次は、5首残しております。
直江兼続や重臣等が参加する歌会です。嫌われていたら歌会にも呼ばれないでしょう。嫌われていたと指摘している研究者っていますか?
逆に前田慶次は、連歌を通じ九条稙通・細川幽斎等の文化人と交流がある交流の幅が広い武将だと思いますよ。(前田慶次―武家文人の謎と生涯 参考)
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