ウィンキーポップとは
ウィンキーポップ(Winkipop)とは、1907年生まれの
イギリスの競走馬である。鹿毛の牝馬。
通算19戦10勝
主な勝ち鞍
1910年:1000ギニーステークス、ヨークシャーオークス、コロネーションステークス、サセックスステークス、ナッソーステークス
父William the Third、母Conjure、母父Jugglerという血統。
父William the Thirdはゴールドカップ、クイーンアレクサンドラS、ドンカスターカップなどに優勝した名ステイヤー。母Conjureはウォルドルフ・アスター卿が学生の頃に障害馬の生産用として100ポンドで購入したが、活躍した産駒はウィンキーポップのように平地競走が中心となった。
ウィンキーポップはアスター卿の所有馬として最初にウィリアム・ワウ調教師に訓練を受けたのち、マントンの魔法使いアレック・テイラーJr調教師に預けられた。
ウィンキーポップは7月10日の未勝利プレートでデビューし5着に入着した。その数日後には2着に入着し、11月の未勝利プレートで初勝利を挙げた。
4月にウィンキーポップはニューマーケットバイエニアルSで2着に入った。
1000ギニーステークスではウィンキーポップはMade of Corinthと並走してレースが進められたが、最後でウィンキーポップが競り勝ちクラシックの栄冠を手にした。
6月のオークスステークスではタッテナムコーナーを曲がるまではリードを保っていたが突然失速し(他馬からぶつけられたためという説もあるが不明)、のちのGainsboroughの母となるRosedropの6着に敗れた。
アスコットでのコロネーションステークスでは1000ギニー馬として他馬より7ポンド重く背負わされたがこれに優勝した。
ニューベリーでのロイヤルステークスで2着に敗れたのち、ヨークシャーオークスでは危なげなく勝利した。
7月のグッドウッドでのサセックスステークスで勝利するとナッソーステークスでは持ったまま5馬身差で楽勝した。
ストックトンでのダラムカウンティプロデュースプレートは24ポンドも多く背負わされたが2馬身差で勝利し「レースにもなっていない」と称された。
その後セントレジャーステークスで牡馬に挑戦したがSwynfordの5着に敗れた。
この年も現役を続けたが7月のレース中に血管が破裂、現役を退くことになった。
ウィンキーポップはプリンセスオブウェールズS優勝のBlink、トライアルS(現・クイーンアンS)優勝で後にオークスステークス馬Pennycomequickの母となるPlymstockを輩出した。その後不妊症に悩み1927年にはアメリカに輸出された。アメリカではSwincraftという牡馬の子をつくることに成功し1931年にその地で死亡した。
| William the Third 1898 鹿毛 |
St. Simon 1881 黒鹿毛 |
Galopin | Vedette |
| Flying Duchess | |||
| St. Angela | King Tom | ||
| Adeline | |||
| Gravity 1884 鹿毛 |
Wisdom | Blinkhoolie | |
| Aline | |||
| Enigma | The Rake | ||
| The Sphynx | |||
| Conjure 1895 黒鹿毛 FNo.1-p |
Juggler 1885 鹿毛 |
Touchet | Lord Lyon |
| Lady Audley | |||
| Enchantress | Scottish Chief | ||
| Lady Love | |||
| Connie 1884 鹿毛 |
Pero Gomez | Beadsman | |
| Salamanca | |||
| Hilarity | King Tom | ||
| Nightingale | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:King Tom 4×4(12.50%)、Stockwell 5×5(6.25%)、Wild Dayrell 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/27(土) 13:00
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