ロードリヨン 単語

ロードリヨン

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ロードリヨン(Lord Lyon)とは、1863年生まれのイギリスの元競走馬・元種牡馬。史上3頭英国クラシック三冠である。

概要

StockwellParadigm、Paragoneという血統。ストックウェルは最終的にリーディングサイアーを7回獲得し「種牡馬皇帝」と呼ばれるようになったで、本が産まれた時点でも186062年の3年連続でリーディングサイアーとなっていた大種牡馬だったが、パラダイムは2戦未勝利の後に故障で引退しており、パラゴーネは競走馬よりも狩猟用の乗の生産にに供用されていたような種牡馬であった。

デビュー前の調教の段階からなりで既走と互の走りをしており、体のバランスも良かったが、騎手を務めたヘンリーカスタンス騎手が乗っていて不安定さを感じるほど脚の繋ぎが短かった。気性は非常に素直で、管理したジェームズ・ドーヴァー師によると今まで手掛けた中で最も静かなだったという。

競走成績

デビュー戦では1着同着となったが、当時は同着の場合は決勝戦が行われることになっており、この決勝戦への出走を営が放棄したため本の負けとなった。営は「前日に酷い咳がなければ同着ではなく勝っていた」という負け惜しみめいた発言をしたという。その後、マッチレース1戦を含む3連勝を挙げて2歳シーズンを終えた。

3歳シーズン2000ギニーから始動。カスタンス騎手がケガで騎乗できなくなったためにトーマスという名の厩務員が騎乗したが、それでも1身差で勝利した。続くダービーでは何度かフライングがあって発走が30分遅延したが、復帰したカスタンス騎手がギリギリまで仕掛けを遅らせたのが奏功して、アタマ差で勝利した。

プリンスオブウェールズSでは急勾配に苦しんで2着に敗れたが、それでもセントレジャーには1番人気で駒を進めた。ロードリヨンが先に先頭に立ったところをダービーで2着に破ったセイヴァーネイクが追い詰めてくる展開となり、一旦は前に出られたが、これを短頭差で差し返して勝利し、史上3頭英国クラシック三冠となった[1]

続いて2日後ドンカスターカップに出走したが、ここは20ハロンという距離と疲労のラマというから8身差の2着(もしくは3着とも)に惜敗した。その後3戦して2勝2着1回をマークし、ラスティックとのマッチレースを20身差で圧勝してシーズンを終えた。

4歳時も現役を続け、楽勝に次ぐ楽勝で7連勝したが、2マイル戦のクイーンプレートというレースラマにアタマ差で敗れた。このレースが最後の出走となった。

通算成績は21戦16勝だった。カスタンス騎手は一貫して「このステイヤーではない」と語っていたが、距離戦でも結局着外は一度もかった。

種牡馬時代

種牡馬としては当初から人気だったが、脚部不安を抱える産駒が多かった上に、当時の短距離戦が整備されていない番組体系が産駒傾向にマッチしなかったこともあり、初年度産駒デビューする前に繋養されていたニーシャムホールスタッドから放出され、別の牧場に移動することになった。

以後、様々な牧場を転々としつつ、1874年生まれの産駒からは産駒一のクラシックホースとなる英オークスのプラシダを出したが、1880年頃、幼少期からの脚の繋ぎの短さによる脚への負担が祟って遂に脚を痛めてしまい、安楽死寸前の状態となった。

安楽死寸前となったロードリヨンはヨークシャー州のクロフトスタッドという牧場に購入され、種付け制限を行いながらも種牡馬として活動し続けた。その中から次代の三冠馬オーモンドの好敵手だったミンティングを出したが、同が4歳となった1887年4月、遂に脚が限界を迎えて立つことすら出来なくなり、24歳で安楽死措置が執られた。サイアーラインは20世紀中期までは続いていたが、その後途絶えてしまっている。

血統表

Stockwell
1849 栗毛
The Baron
1842 栗毛
Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Echidna Economist
Miss Pratt
Pocahontas
1837 鹿毛
Glencoe Sultan
Trampoline
Marpessa Muley
Clare
Paradigm
1852 黒鹿毛
FNo.1-j
Paragone
1843 鹿毛
Touchstone Camel
Banter
Hoyden Tomboy
Rocbana
Ellen Horne
1844 黒鹿毛
Redshank Sandbeck
Johanna
Delhi Plenipotentiary
Pawn Junior

クロス:Whalebone 5×5(6.25%)、Selim 5×5(6.25%)

主な産駒

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *厳密には「三冠」という概念は本の達成から20年後のオーモンドの達成までの間に確立されたものとされている。但し、各競走はいずれも当時から格式高い競走ではあった。
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