にっかり青江(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」に登場するキャラクターである。
へえ、僕の概要に興味があるのかい?
刀派は脇差。刀派は青江。
同じ刀派に数珠丸恒次(刀剣乱舞)がいる。
暗緑色のストレートロングヘアの美青年。
脇差の刀剣男士はおおむね少年と青年の中間の容姿だが、かつては太刀であった事に由来してか、見た目の年齢は高めに見える。
左が金、右が赤のオッドアイ。よく見ると瞳孔は猫、あるいは蛇のように鋭い。この右目は普段前髪に隠れて見えないが、真剣必殺発動時には露わになる。
後ろ髪はポニーテール状に束ねられており、公式絵師のべっこ氏のtwitterにて公開されている。
戦装束は、刀派共通の軍服風の洋装にブーツと手袋を合わせている。また肩から掛けた薄い白装束は経帷子にも見え、逸話に相応しいはかなさと妖しさを醸し出している。
内番衣装も刀派共通の青いジャージ姿だが、設定によるとジャージの下は裸。……上半身のことだよ?
脇差らしからぬフェロモンを漂わせており、その言動も何かと下ネタ意味深、かつ思わせぶり。
刀装を装備させれば「君色に染めようっていうのかい?」中傷を負うと「僕を脱がせて、どうする気だい」など、非常にアヤシイ。
内番においても同じで、馬を世話すれば「馬は大きいよねぇ。……体のことだよ?」手合せでは「……さぁ。僕に身を委ねてくれ」などと発言する。むっつり青江。
その一方で戦に出ると、剣呑な一面を垣間見せる。
開戦時には「さあ、斬ったり斬られたりしよう」と嬉しそうに告げ、演練では「油断してたら、殺しちゃうかもね」と怖い事をさらりと言う。また、「どこかで見た動きだね」「この手のは覚えがあるね」など、予知能力でもありそうな意味深な台詞を口にする。
一騎打ちでもその姿勢は崩れず「来なよ、僕が欲しいのだろう?」と敵を挑発する。やっぱりおま江。
石切丸(刀剣乱舞)と一緒に出陣すると、回想が発生。
幼子とは言っても幽霊を斬った為に神剣になれないと指摘されて「やっぱりそれかぁ」と得心する青江に対して、石切丸は「何百年かすれば、またかわるかもしれないよ」と助言している。
ゲーム内の性能としては、衝力と偵察は脇差の中でダントツの一位。
その代わりと言っては何だが、打撃と必殺は最下位となっている。
珍しい号によりイジられるものの、本人は慣れているようで、自己紹介時にも「うんうん、君も変な名前だと思うだろう?」と自分から話す。
だが刀帳ではその続きの台詞も聴くことができ、そこでは恐ろしい由来を語っている。本人の言うとおり、凄まじい伝説を持つ一振。
極実装
2017年8月1日、極が実装。
脇差極の特徴として「一定の確率で敵の攻撃を防御する」仕様が追加され、ステータスは全体的に上昇。特に偵察・隠蔽のステータスが大きく上昇している。
軍服風の洋装がより豪奢な仕様となり、更に肩当てなどの甲冑が追加された。
白装束はマントのようになり、「ネオロマかな?」「王子様みが増した」といった意見も。
修行先は、丹羽、柴田、豊臣、更には幽霊斬りを成し遂げた武士といった歴代の主.....ではなく、自分を大事にしてくれた京極家だった。
当時の主であった京極高次にとって、自分が「過ぎたるもの」と揶揄され、また高次が親の七光りによって出世したと言われていた事に言及。だが実際は決してそうではなかった事を覚えており、「他人が何を言おうと、それを覆すだけの事をなせばいい」と断じる。
今代の主が同じように事を成し遂げる手伝いをすると手紙にしたため、審神者の許に帰還を果たした。
妖しく意味深な物言いは健在で、ブレなさは相変わらずといった所。
「過ぎたるもの、とか刀が呼ばれないように、君自身も気を付けなよ」と言いながら、誉を取れば「この結果、君は笑顔を浮かべてくれるかな」と口にするなど、主の事を思ってくれている事が解る。
戦働きともなれば「ああ、僕は戦のための刀だからね」と嬉しげに出陣。真剣必殺の際にはより派手に脱ぎ、存外しっかりした体格が拝める。がっちり青江
更に真剣必殺では、オッドアイではない右目が露わになると同時に、赤い眼の女の幽霊が幽波紋の如くに背後に出現。エフェクトが追加された極の男士は多かれど、ここまで如実に姿がはっきりしているのは珍しい。
台詞の方も「せめて、笑顔を浮かべて死んでいったらどうだい」と、より凄味が増している。
うろたえるな 散り際に微笑まぬ者は生まれ変われぬぞ
ああ、この史実は覚えがあるね。合ってるか確認してほしいな。
南北朝時代の刀工・貞次作と伝えられる大脇差。「珥加理青江」とも表記される。
元は2尺5寸(約75cm)の太刀だったのを磨り上げられ、現在の姿になったという。
貞次は青江の祖とされる父・守次、弟・恒次、次家と並び称され、後鳥羽院が定めた御番鍛治(ごばんかじ)を三兄弟そろって務めた事でも知られる。
古くは「古備中(こびっちゅう)」、明治以降は「古青江(こあおえ)」として分類されている。
その名の由来は「にっかり」と笑った女の幽霊を斬り捨てたという逸話による。ただし、誰が何処で斬ったのかは伝承により異なる。
最もよく知られているのは、次のような話。
昔、中嶋修理太夫という武士が近江国・八幡山の領内へと赴いた時、夜中にも関わらず、彼の前に幼子を抱いた女が現れた。「にっかり」と笑う女は幼子を下に下ろし、「お武家様に抱いてもらいなさい」と言いつける。
駆け寄ってきた幼子を、中嶋は手にした刀で一刀両断にし、次に近づいてきた女も同じように斬りつけた。手ごたえこそあったがその姿は消え、行方が分からなくなってしまった。翌朝になって現場を改めると、古い石灯籠が二つ、まるで首を落としたように斬れており、これが昨夜の怪異の原因かという話になった。
その後、同じような怪異は起こらなかったという。
この「にっかり」という特徴的な名を冠した刀は別にあり、芝居や講談で有名な水野十郎左衛門(成之)が幡随院長兵衛を殺害した際に用いたのが「にっかり」という名の刀であったという。当然ながらにっかり青江とは別物だが、こちらの謂れも「成之の父・成貞がかつて女の首をはねた際、落ちた女の首がにっかりと笑った」と、やはり物騒である。
詳しい来歴は不明だが、最初は柴田勝家の手にあり、賤ケ岳の戦いで柴田家が滅亡した後は丹羽長秀、またはその息子により所持されたという。
丹羽家から豊臣秀吉に献上されると、これを喜んだ秀吉により「一之箱」に秘蔵された。ちなみにこの一之箱には一期一振、骨喰藤四郎、鯰尾藤四郎、宗三左文字も共に在った。
秀吉の死後は、そのまま豊臣秀頼へと受け継がれる。その後、大阪の陣において和平交渉に当たった京極忠高へと下賜。結果的にこれによって戦火を免れている。
と狂歌にも歌われるほど、その名は知られていた。
なお茶壷は野々村仁清作の名物、多賀越中は京極家に仕えた重臣だという。
その後、京極家が讃岐国(現在の香川県)丸亀藩へと転封されると、青江も家宝として同地に渡った。
言い伝えによると、この丸亀城は創建当初から幽霊や妖怪の目撃が絶えない不吉な城であったが、青江を携えて入城した京極家はなんの祟りも受けることがなかったという。
昭和4(1929)年の日本名宝展覧会では京極高修子爵所持として「珥加理貞次大脇指」の名で出展されている。
太平洋戦争の後に京極家から市井に流出したが、平成9(1997)年に丸亀市が購入。現在は丸亀市立資料館に所蔵され、重要美術品指定を受けている。常設展示ではないが、企画展などで期間限定で展示される事が多い。
2015年10月10日~11月29日の「丸亀市合併10周年記念 京極家の家宝展-二尊旗・ニッカリ青江を中心に-」において、目玉として展示。
公開に合わせてゲームとのコラボが初めて実現。これを記念してべっこ氏による描き下ろしイラストが公開され、話題を呼んだ。
その後2016年11月26日~27日には、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川県)において「第14回全国藩校サミット丸亀大会開催記念 丸亀の藩校と京極家の歴史を学ぼう」と称して特別展示。
2017年9月16日〜10月1日、丸亀市立資料館において「丸亀城築城420周年記念 ニッカリ青江公開」として展示。
このようにたびたび人目に触れる機会があり、その不思議な逸話も手伝って人気の高い刀剣である。
そう、刀は動画に出演してこそだよ。
どこかで見た静画だね。
かわいい関連項目だといいねえ。
- 5
- 0pt