奇妙なほどに澄んだ意識。覚醒した想い。
<讃来歌>すら必要としない。
ただ自分の想いを以て、ただ一言話しかけてやればいい。――Isa sia clue-l-sophie pheno――
「まさか、後罪の触媒を<讃来歌>無しで?」
教師たちの狼狽した声が次々と上がる。
……なんでだろう。何を驚いているんだろう。
ただ普通に、この触媒を使って名詠門を開かせただけなのに。
そう言えば、何を詠ぼう。
自分の一番好きな花でいいかな。
どんな宝石より素敵な、わたしの大好きな緋色の花。
――『Keinez』――
そして、少女の口ずさんだその後に――
「まさか、後罪の触媒を<讃来歌>無しで?」とは、細音啓のライトノベル『黄昏色の詠使いⅢ アマデウスの詩、謳え敗者の王』にて、クルーエル・ソフィネットが既に6度の名詠に使用された後罪の触媒から<讃来歌>無しで名詠門を開いたことに対する、トレミア・アカデミーの教師たちの驚きの声である。
……未読の方には日本語でおkと言われそうなので、もう少し詳しく説明する。
まさか、未読者への説明を詳細設定無しで?
『黄昏色の詠使い』の舞台となるのは、「名詠式」と呼ばれる召喚術が一般的な技術となっている世界の、名詠式を学ぶ「トレミア・アカデミー」という学園である。
名詠式の詳細な設定については煩雑になるので『黄昏色の詠使い』の記事やアニヲタWikiの「名詠式」の記事に任せるとして、名詠の基本的な手順を簡単にまとめると、
- 名詠したい対象と同じ色の触媒を用意する。
たとえば赤い花を名詠したいときには赤いものを使用する。紙でも布でも絵の具でも何でもOK。 - 名詠したい対象を賛美する<讃来歌>を詠う。
<讃来歌>というのは、「セラフェノ音語」という本作独自の架空言語による詩。 - 対象と同色の名詠門が開き、そこから対象が召喚される。
という流れ。ただし、一度名詠に使用された触媒は、再利用は極度に難しくなる。そうした使用済みの触媒のことは「後罪」と呼ばれる。
本作の主人公のひとり、クルーエル・ソフィネットは五色の名詠式のうち赤色名詠を専攻する16歳の少女。五色にあてはまらない「夜色名詠」を専攻する13歳の少年ネイト・イェレミーアスがトレミア・アカデミーに転校してくるところから物語が始まる。
名詠の発表会である「競演会」の当日、学園に持ち込まれていた凶悪な触媒〈孵石〉が暴走し、名詠生物が暴れ出すという事件が起こる。そこでクルーエルはその類い希な名詠の才能を開花させ、最上位の名詠生物である第一音階名詠の真精・黎明の神鳥を名詠し、ネイトの夜色名詠と力を合わせて事態を収拾した(第1巻『イブは夜明けに微笑んで』)。
続く研究所の石化事件(第2巻『奏でる少女の道行きは』)においても黎明の神鳥を名詠してみせたクルーエルの才能は学園の教師たちも知るところとなり、第3巻『アマデウスの詩、謳え敗者の王』の序盤にて、クルーエルは学園長室に呼び出しを受ける。
飛び級で卒業して名詠士になる、という提案を断ったクルーエルに対し、学園長らは「なら黎明の神鳥を見せてくれないか、まだ実物を見たことがないから」と提案する。しかし単なる好奇心による名詠には応えてくれないだろう、とこれもクルーエルが断ると、学園長らは納得しつつも、次の提案をした。
「いや、待て。……ではやはり一つだけ頼みたい。何でも構わないから、君の好きなものを詠び出してくれ。触媒は、君の足下にある真紅の絨毯を使ってくれて構わない」
「……え、これ使っていいんですか?」
「無論だ」
言われるまま、そっと絨毯に触れてみる。
瞬間。微かな違和感――これは。
「ただし、若干触媒としては使いづらいかも分からんよ」
「これ、あれですよね。既に六回、名詠で使われています」
名前はなんといったか。この前テストで出たのに。
ええと、たしか……クラ――なんとかだった気がするけど。
「あれ、どうかしましたか?」
周囲のざわめきに気づき、クルーエルは顔を持ち上げた。
見れば、老人が驚いたように刮目。他の教師たちも、こそこそと何か言い合っていた。
「なんと、気づいていたのかな」
「……いえ、何となくです。触ってみたら『ああ、そうなのかなぁ』って」
「だが、回数はどういうことだね」
「それも何となくです。……でも、多分それで合ってると思います」
……という流れで、本記事冒頭の引用部分に至る。
要するに、起きていること自体は典型的な天才主人公による「あれ、また私何かやっちゃいました?」系のシーンである。そういう風に表現しちゃうとこの作品の雰囲気とは合わないのだが。
クルーエルのこの過大な才能の理由はこのあとのシリーズの大きな鍵になっていくのだが、それについては原作の続きを読んでいただきたい。
ここだけ切り取るといかにもな厨二病ラノベという感じで、2007年の刊行当時からその象徴的なネタ台詞として擦られることが多いが(人気のわりにラノベ読者の間で弄られることが少ない細音啓作品の唯一かもしれない有名ネタである)、別に読者にとっても意味不明な台詞というわけではなく、そもそもこの台詞が登場するのはシリーズの設定や用語に読者も馴染んできた第3巻の序盤。こういった用語や、作中に頻繁に登場する<讃来歌>によるポエミーな雰囲気に馴染めない読者は1巻で脱落しているだろうし、実際のところは普通に読んでいれば特別気になるような台詞ではない。この台詞を知ってから3巻を読むと「あっこれかあ!」になるだろうけどさ。
実際『黄昏色の詠使い』は2007年から2009年にかけて全10巻が刊行されたが、2chライトノベル大賞2007年上半期1位、「このライトノベルがすごい!2008」9位、完結時の「2010」では6位と、総じて当時のラノベ読者から高評価を得た名作であるということは付言しておく。現在は電子書籍で読めるので、未読の方は手に取ってみてもらいたい。ラノベでは極めて珍しいおねショタ作品だよ!
まさか、大百科の記事作成を関連動画なしで?
『記事を作るのに〈動画〉は不要』
さあ、あなたの関連項目を教えて
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