スタネーラ(Stanerra)は、1978年生まれのアイルランドの競走馬・繁殖牝馬。栗毛の牝馬。
第3回ジャパンカップにおいて、日本馬として初めて同競走で連対したキョウエイプロミスと激闘を繰り広げたことで知られる。
概要
出自~4歳時
父Guillaume Tell(ギヨームテル)、母Lady Aureola(レディオリオーラ)、母父Aureole(オリオール)という血統で、現在もアイルランドのGIにその名を残す名門モイグレアスタッドによって生産され、1歳時に5000ギニーで購買された。
成長後の体重が500kgを超えたほどの巨体だったためかデビューは3歳になってからであり、デビュー戦を勝利した後にアサシS(GIII)に出走したが着外。このレースの後、会社経営の傍らこの年に調教師免許を取得したばかりのフランク・ダン師に購入され、そのまま3歳時を2戦のみで終えた。
4歳3月に復帰すると復帰戦を2着としたものの、そこから4~5月にかけて重賞3戦を含む5戦して、ハンデ戦を1勝した以外は全て着外に終わった。それでも6月のハードウィックS(GII)を3着とすると、そこから一呼吸置いて出走した8月のブランドフォードS(GII)とブラウンズタウンS(GIII)でも3着となった。その後は初のGI挑戦となったジョー・マクグラス記念S(現:愛チャンピオンS)で4着、サンチャリオットS(GII)2着、プリンセスロイヤルS(GIII)6着という戦績を経て、第2回ジャパンカップに招待されて渡日した。
前年の第1回で八大競走勝ち馬を複数擁しながらGI未勝利のメアジードーツに一蹴されたという現実の前に絶望ムードの日本勢は層が薄く、このため海外勢が軒並み人気を集めていたものの、重賞未勝利のスタネーラはスイートネイティブ、ヒカリデユールといった日本の最有力クラスに次ぐ9番人気止まりだった。レースでは直線で一旦先頭に立つ場面を見せたものの、アメリカのハーフアイストらに交わされて4着となった。それでもこれらの競走内容が評価されて、この年のイギリス最優秀古馬牝馬となった。
5歳時・快進撃
5歳時は始動戦のGIIIを落としたが、主戦となるブライアン・ラウス騎手が初めて騎乗したブリガディアジェラードS(GIII)で重賞初勝利を飾り、更にプリンスオブウェールズS(GII)も4馬身差で圧勝。中2日で出走したハードウィックSでは1975年のキングジョージで*グランディが世紀の死闘の末に2秒以上縮めたレコードタイムを更に0.03秒縮める凄まじい時計で勝利した。
続けて出走したエクリプスSでは1番人気に支持され、レース史上初の牝馬の優勝を期待されたが4着に敗退。しかし2ヶ月後のジョー・マクグラス記念Sでは当年の愛2000ギニー馬*ワッスルを抑えて勝利し、GI馬の仲間入りを果たした。
続く凱旋門賞では出遅れが祟って6着に敗れ、その後予定されていたアメリカ遠征も体調不良で中止となった。これらを経て、第3回ジャパンカップに出走するためスタネーラは再び日本へ飛んだ。
しかし、来日後にコズミ(筋肉痛)を発症してしまうというアクシデントが発生。当然強い負荷を掛けることは出来なかったため、曳き運動と軽いギャロップだけで調整することを余儀なくされた。それでもレース本番では3番人気に支持され、ローマ賞(伊GI)1着・愛オークス2着の3歳牝馬ハイホーク、オイロパ賞(独GI)1着・セントレジャー2着のエスプリデュノール、GI5勝の米国馬エリンズアイル辺りがその他の上位人気となった。対する日本馬はアンバーシャダイ・メジロティターン・キョウエイプロミスの天皇賞馬3頭を擁したものの、3頭とも八大競走未勝利のハギノカムイオー(6番人気)以下の人気にとどまっていた。
レースが始まるとスタネーラは後方の内ラチ沿いを追走し、勝負どころで外に持ち出しつつ直線を向き、先に追い上げていったキョウエイプロミスの更に外から馬体を併せて叩き合いに持ち込む。踏ん張るキョウエイプロミス、食い下がるスタネーラ。両者一歩も譲らないまま200m近く叩き合いが展開され、レース後に故障したキョウエイプロミスが馬運車で退場(そのまま引退)するほどの激戦の末、アタマ差でスタネーラに軍配が上がった。
これらのレースが評価され、英タイムフォーム社のレーティングでは128ポンド(古馬牝馬では3位)の高評価を受けた。
その後
ジャパンカップ優勝後もスタネーラは現役を続行したが、復帰が8月のナッソーS(GII)にまでずれ込み、そのレースで4着に敗れてそのまま引退した。
繁殖入りしたスタネーラは6頭の産駒を産んだのだが、1頭が不出走、残る5頭は5頭合わせて18戦1勝(内訳は1戦未勝利2頭、4戦未勝利、9戦未勝利、3戦1勝)という散々な成績に終わり、最後の産駒が産まれた2001年以降の消息は不詳という、何とも寂しい後半生になっている。一応サンドリーンという馬が日本に繁殖牝馬として輸入されたが、その牝系もいつ途絶えてもおかしくないレベルになってしまっている。
ジャパンカップ優勝後がさっぱりだったのは否めないが、ジャパンカップの黎明期、まだ日本馬の勝利が絶望視されていた時代にキョウエイプロミスが故障するほどの激走を見せて2着に飛び込んだ際の勝ち馬として、日本でも知名度・評価ともに高い馬である。その割にキョウエイプロミスの記事ができてから8年記事なかったけど。
血統表
Guillaume Tell 1972 栗毛 |
Nashua 1952 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Segula | Johnstown | ||
Sekhmet | |||
La Dauphine 1957 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | |||
Baby League | Bubbling Over | ||
La Troienne | |||
Lady Aureola 1964 栗毛 FNo.7-e |
Aureole 1950 栗毛 |
Hyperion | Gainsborough |
Selene | |||
Angelola | Donatello | ||
Feola | |||
Lady Godiva 1948 栗毛 |
Royal Charger | Nearco | |
Sun Princess | |||
Princess Toi | Scarlet Tiger | ||
Primtoi | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 4×4(12.5%)、Mumutaz Begum 4×5(9.38%)、Blenheim 5×5(6.25%)
- 父Guillaume Tellは故障もあり英GIII1勝だけに終わったが、1945年の米年度代表馬Busherが伯母にいるラトロワンヌ牝系の良血馬だったことが買われて種牡馬入りした。
- 母Lady Aureolaの戦績は不明。近親もその母Lady Godivaが愛1000ギニー2着の実績があるくらいである。
- 母父AureoleはキングジョージVI世&クイーンエリザベスSの勝ち馬で、種牡馬としても凱旋門賞馬*セントクレスピンなど活躍馬を多く輩出している。日本にも産駒が次々に輸入された時期がある。
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関連項目
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