『ダンス・ダンス・ダンス』とは、村上春樹による第6の長編小説である。
とにかく不思議な概要だった。それは僕に生物進化の行き止まりのようなものを連想させた。
それが高度資本主義社会というものだった。気にいるといらざるとにかかわらず、我々はそういう社会に生きていた。善悪という基準も細分化された。ソフィスティケートされたのだ。善の中にもファッショナブルな善と、非ファッショナブルな善があった。悪の中にもファッショナブルな悪と、非ファッショナブルな悪があった。ファッショナブルな善の中にもフォーマルなものがあり、カジュアルなものがあり、ヒップなものがあり、クールなものがあり、トレンディーなものがあり、スノッブなものがあった。
『ノルウェイの森』発表を経て、国民的作家と言っても良い地位を確立した村上春樹。しかしその後の春樹に大きな苦難が待ち受けていた。『ノルウェイの森』のメガヒットで各メディアで春樹の名が大々的に報じられたことに乗じて、デビュー以来文芸・文学界隈に蓄積されていたアンチ村上勢がネガティブ・キャンペーンを展開、さらに追い打ちをかけるように一部の俗流メディアが今でいう(根拠が曖昧な)文春砲的なものを世にばら撒いた。
これで精神的に追い詰められた春樹はしばらく諸外国で生活することを決意。海外での執筆を開始した。この事件を境に春樹はプライベートな情報を発信することがなくなり、メディアとの接触が減るなど作家としての言動が変質、軽妙な村上文学の世界にも暗い影を落とした(その典型が『ダンス・ダンス・ダンス』だろう)。
そんな時期に再出発のきっかけとなったのが本作である。村上春樹初期作品「鼠三部作」の後日談あるいは完結編にあたる。ジメジメした薄暗い雰囲気が作品世界を漂っており、前作『ノルウェイの森』とどことなく似通っている部分がある。世間一般の村上文学の軽妙なイメージとはまた別の側面をうかがうことができる。
何か物を書くのも悪くないな、と僕は思った。僕は文章を書くことは嫌いではないのだ。ほぼ三年間切れ目なく雪かき仕事をやってきたあとで、僕は何か自分の為に文章を書きたいというような気持ちになっていた。
そう、僕はそれを求めているのだ。
ただの文章。詩でも小説でも自叙伝でも手紙でもない自分の為のただの文章。注文も締め切りもないただの文章。
だから踊るんだよ。あらすじの続く限り。
フリーライターとして面白いとは言えない仕事を淡々とこなしている「僕」。「僕」は『羊をめぐる冒険』で旅を共にし行方をくらませていたキキに会うため、再び北海道の地を踏む。かつての冒険で利用したいるかホテルは高層ビルと化していた。旧友・五反田くんとの再会、羊男との再会などを通じて変わり果てた北海道の風景を眺めていると、「僕」の周囲でとある事件が起こる––––
こういう意味のない使い捨てのエピソードはいつの時代にも存在したし、これから先も存在するのだ。
- バブル経済に浮かれる当時の社会風俗を皮肉る描写が多数見受けられる。後続作『国境の南、太陽の西』にもこの要素が見られる。この皮肉に限らず、作中を通して全体的に語り口にとげがある。
- 登場人物・五反田くんはそんな軽薄短小な社会風俗に翻弄されている不幸で情緒不安定な人気俳優である。本作にしか出てこない人物であるが、春樹の小説を脚色して制作された映画『ドライブ・マイ・カー』のオリジナルキャラクターで俳優の高槻は五反田くんを思わせる要素が若干あるように思える。
- 洋楽やジャズのうんちくは村上文学に頻出するが、特に本作にはこれがよく出てくる傾向にある。それもただのうんちくではなく、80年代当時に流行していた(特にMTV周辺で活動していた)洋楽に対して「僕」は辛辣な批判を展開している。デュラン・デュランは「想像力の欠如し」ており、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージは「唄の下手なオカマ」で「(さっき警察から受けた尋問くらい)ひどい」といったものを筆頭になかなか容赦がない。こうした事例に限らず、大体1970年代以前の洋楽をひいきして1980年代以降のものを煙たがる傾向は村上文学全体に見受けられる。
「大丈夫だよ。怖がることはない。関連項目は僕の為の世界なんだ。悪いことは起こらない。最初に君がこの闇のことを話した。だから僕らは知り合ったんだ」
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