概要
ヒゲのおじさんこと「キング・オブ・ブレンダーズ」が描かれたラベルでおなじみ(ブラックニッカにしか描かれていないが)。
社名の通り、ウイスキーが主力製品で、サントリーと並ぶ、国内のウイスキー市場の最大手。
現在は東京に本社があるものの、創業の地は北海道余市町で、余市蒸留所が存在する。これと、宮城県仙台市にある宮城峡蒸留所の2か所で、蒸留が行われている。
余市蒸留所は、本場スコットランドにおいてさえも珍しい、石炭の直火での加熱、蒸留を行っている。この方法と、スコットランドに近い気候も手伝って、ニッカウヰスキーの製品は、スコットランドのウイスキー愛飲家や評論家からも高い評価を得ており、2002年にはスコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)から、イギリス国外で初めて、認定蒸留所に指定された(後に宮城峡蒸留所も認定を受けた)。
宮城峡蒸留所はモルトウイスキーのほかに、カフェ式連続蒸留機を使ったカフェグレーンウイスキーを製造している。
日本人向けの飲みやすさを特徴とするサントリーとは対照的に、しっかりしたスモーキーな香りと重厚な樽の香りが特徴で、本格的なスコッチウイスキーに倣った味と香りを持つ。
特にシングルモルトウイスキーは海外でも評価が高く、「ジャパニーズ・ウイスキー」が高い評価を得る先駆けともなった。
このほかに、創業時にリンゴジュースを販売していた時に開発した、アップルワイン、シードル、ニッカブランデー(リンゴのブランデー)も製造、販売している。これらは現在、青森県の弘前工場で作られている。
1957年にアサヒビールの子会社となり、2001年には完全子会社となった。
現在はアサヒビールから焼酎の製造部門を譲り受けている。
歴史
広島の造り酒屋の子として生まれた竹鶴正孝が1934年に創業。
竹鶴は、1918年に、本格的なウイスキーづくりを勉強するためにスコットランドへ赴き、帰国後の1923年にサントリー(当時は寿屋)に入社、山崎蒸留所の設立にかかわり、そこでウイスキー造りをしたが(白札:のちのサントリーホワイト)、当時の日本人には癖が強くて受け入れられなかった。
そこで、日本人の口に合ったウイスキーを唱える寿屋創業者の鳥居信治郎と意見が対立。職人が育ったことと、約束していた期間を満了したことを理由に退社、スコットランドの気候に近かった北海道余市に蒸留所を建設した。
まだポットスチルを導入しておらず、その後のウイスキーの熟成には時間がかかるため、まず地元でとれるリンゴを使ったジュースを販売し、社名も当初は「大日本果汁」とした(出資者に対しては、リンゴジュースの製造で募っていた経緯もある)。
しかし、品質にこだわった100%ジュースを作った結果、味は好評だったものの高すぎてあまり売れなかった。
一方で、スコットランド人の妻リタのアイデアもあり、このころにアップルワイン、シードルという現在もラインナップされる商品が登場する。ポットスチルが完成してからは、ウイスキーとともにアップルブランデーも作られた。
1940年にようやく最初のウイスキーを販売するに至り、このとき、大日本果汁の略称から「ニッカウヰスキー」と命名した。1952年には社名も統一された。
1954年に、当時の社長兼筆頭株主が死の間際となった際に、彼の持つ株がアサヒビールに売却され、アサヒビールの子会社となった。
それまでは竹鶴自身が品質にこだわっていたために採算の取れないジリ貧状態が続いていたが、アサヒビール側から、品質をそのままに低価格で売り、売り上げをその分増やせば採算がとれるという説得もといアドバイスを受け、高品質で低価格のウイスキー「丸びんニッキー」を展開。結果そのアドバイスの通りの大ヒットとなり、売り上げが倍増した。
1959年には、当時すでに古い方式であったカフェ式連続蒸留機を西宮工場に導入、原材料の香りが残るグレーンウイスキーの製造を可能にし、スピリッツを混ぜない本格的なブレンデッドウイスキーの販売をはじめた。
1969年に仙台市に宮城峡蒸留所が完成した。竹鶴自身が近くにある川の水を飲んで建設地を選んだが、偶然にもその川の名は「新川(にっかわ)」だった。
使える原酒が増えたことで、ウイスキー自体の製造コストが下がり、さらに1989年からの酒税の減税によって手ごろな価格で飲まれるようになった。
2001年に、ウイスキーマガジン社によるベスト・オブ・ベストで、シングルカスク余市10年が最高得点を獲得。翌年にはSMWSからイギリス以外で初の認定蒸留所として登録された。
長年評価の低かったジャパニーズ・ウイスキーが、海外で高い評価を受ける先駆けとなった快挙であり、以後、サントリーと共に、海外でも高い評価を受けるようになる。
またこの年、アサヒビールの完全子会社となった。
2002年には旭化成から焼酎、チューハイ、カクテルを譲り受け、2006年には協和発酵からアサヒビールに渡った焼酎部門を譲り受けた(販売はアサヒビール)。
2014年に、創業者の竹鶴政孝とリタ夫人をモデルにした、NHK連続テレビ小説「マッサン」が放送され、その前後からニッカ製品の売上が上昇。
しかし長らく続いたウイスキー消費量落ち込みの影響で、貯蔵量が少なかったこともあって、長期熟成の原酒が枯渇しかかる危機に面し、2015年8月をもってノンエイジを除いてシングルモルトが販売終了され、その他の銘柄も軒並み値上げ、終売に追い込まれる事態も発生した。
ヒゲのおじさん
ブラックニッカの項も参照。
ブラックニッカのラベルや、札幌・すすきののランドマークたるネオンサインで有名な、右手にグラス、左手に麦を抱えたおじさんは、かつてイギリスで「ブレンドの王様」と呼ばれたW・P・ローリーという男がモデル。
ブレンドのための原酒をテイスティングしている場面らしい。
ニッカのラインナップすべてに貼られているわけではないが、ブラックニッカの大ヒットによって、一躍ニッカを象徴するマークとして知られるようになった。
竹鶴政孝のウィスキーの飲み方
晩年にはハイニッカをよく飲んでおり、「皆、さぞかし竹鶴政孝は高価なウイスキーを飲んでいるに違いないと思っているだろうが、わしは一番売れているウイスキーを飲むんじゃ!」と言っていた(2代目マスターブレンダー・竹鶴威氏の回想録より)。
主な商品
- ブレンデッドウイスキー
- グレーンウイスキー
- ピュアモルトウイスキー(ヴァッテッドモルト)
- シングルモルトウイスキー
- シングルカスクウイスキー
- ニッカシードル
- アップルワイン
- ニッカカフェジン
- ニッカカフェウォッカ
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