- プロ野球選手一覧 > 森山良二
概要
福岡ソフトバンクホークス #92 三軍監督 |
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森山良二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県北九州市 |
生年月日 | 1963年7月20日 |
身長 体重 |
183cm 89kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト1位 |
引退 | 1995年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
福岡大学附属大濠高等学校に進学。3年時にはエースとして夏の甲子園大会に出場。初戦(2回戦)で完投勝利を挙げたものの、続く3回戦で敗退している。
その後早稲田大学進学を希望したものの2年連続で不合格(2浪)となり、進路変更して北九州大学に進学。北九州大学では1年時は外野手としてプレーしベストナインに選出。2年時には投手としてプレーしエースとして活躍。
ここまでの経歴を見れば、浪人時のブランクこそあるものの2年後にはドラフト候補として名前が挙げられる選手となりそうだが、森山は突如として大学を中退。森山は中退後、野球部の無い食品会社であるONOフーズ(オーエヌオーフーズ)に入社し、野球界から姿を消してしまう。ONOフーズではレジ打ちなどの業務をこなしながら少年野球の指導などにあたっていたという。
森山の存在を各球団のスカウトたちが忘れたであろう1986年ドラフト会議、なんと西武ライオンズがドラフト1位で指名。野球部の存在しない地方ローカルのスーパーからの指名、それも各球団スカウトが消息が掴めず獲得リストから外れていた森山の名が指名されたのである。当然会場はどよめき、メディアも混乱。こうして森山はドラフト会議史に残る隠し玉として西武に入団したのであった。
初年度の1987年、登板数は4試合だったが、プロ入り初先発の試合で初勝利を挙げ、防御率1.69と素質の高さを伺わせ、日本シリーズでも1イニングを投げている。
1988年、オープン戦の中日ドラゴンズ戦で好投するなどアピールに成功し不祥事で出遅れた東尾修に代わり先発ローテーション入りし、前半戦だけで8勝を挙げる活躍を見せブレイクを果たす。後半戦は勢いを落としたものの、10勝9敗、防御率3.46の成績を残し、リーグ制覇に貢献。日本シリーズでは2安打完封勝利を記録し、日本シリーズ優秀選手賞を受賞。新人王にも選ばれた。
しかし、以降は肘や肩の故障に悩まされ低迷。1989年2試合の登板に終わると1992年まで4シーズン続けて0勝に終わり、投球スタイルの転向を目指した。
1993年開幕前に清水義之とのトレードで横浜ベイスターズへ移籍。選手層の薄かった横浜においては谷間の先発や中継ぎ投手として出番を得ることに成功。1993年には5シーズンぶりの勝利を挙げるなど2勝3敗をマークし、1994年には18試合に登板し1勝、防御率3.95という成績を残す。
引退後は古巣の横浜や西武をはじめ、東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡ソフトバンクホークス、独立リーグの福岡レッドワーブラーズなど、様々なチームで投手コーチやトレーニングコーチを務めた。
大学中退からドラフト指名までの間
雲隠れのように突然アマチュア野球界から姿を消し、野球部の無い会社に就職しながらドラフト1位指名という謎の多いエピソードだが、これは西武球団が一計を案じた結果である。
大学当時どうしてもプロ入りしたかった森山は周囲にもプロ願望を話していた。北九州大で活躍するうちにプロ球界に顔の広いONOフーズの小野社長を紹介され、その小野が西武のフロントにいた根本陸夫に森山の存在を伝えた。根本は福岡まで足を運び、実際に森山のプレーを見て「これは本物だ」と実力を高く評価、早々と指名を決めた。
ただ、このまま大学で活躍を続ければ他球団にも目をつけられると判断した根本は、森山に大学を辞めてもらい野球部の無いONOフーズに入社させた。他球団スカウトの目の届かない環境で、業務や少年野球の指導をしつつ、プロ入りに向けみっちりとトレーニングを積ませ、プロ入りの準備を進めさせた。
当然公式戦に出ることができないため実践感覚を失うことになるが、実は極秘裏に西武のアメリカ・サンノゼで行われていたマイナーリーグへの野球留学に帯同させ実戦経験を積ませていたようであり、実際に西武に在籍しこの留学に派遣されていた大久保博元と羽生田忠克らが「隠してた」と証言している。ちなみに日系の外国人「レイモンド・タモリ」という設定で生活していた。が、日本のメディアの取材にうっかり日本語で応えてしまううっかりな面も…。
現代なら間違いなく問題になる行為であるが、当時は現在よりドラフト会議のルールがゆるく、このような所謂「囲い込み」が可能であった。この策により西武はドラフト上位で消える(指名される)可能性のある森山の下位指名、またはドラフト外での獲得を狙ったのである。
この策が功を奏し?他球団の指名候補リストから次々と漏れていったのだが、完全に成功したわけではなく、一部の球団のスカウトや駐米スカウトにバレていたようであり、ドラフト会議前にはごく一部のメディアに隠し玉とすっぱ抜かれてしまった。そのため、ドラフト下位指名やドラフト外だとせっかく育てたのにも関わらず他球団に獲得される可能性が出てしまったため、ドラフト1位で指名した。というのが「隠し玉ドラフト1位」の顛末であった。
人物・エピソード
卓越した制球力と力のある直球に加え、決め球のパームボールなどを駆使し打者を打ち取っていった右腕。東尾修仕込みの投球術やマウンド度胸も魅力であった。
日本シリーズの2安打完封劇の背景には、オープン戦の中日戦で好投した際、敵将の星野仙一監督が「何であんな訳分からんピッチャーに抑えられるんや」と発言したことに「今に見ておれ」発奮し、気合を入れて登板した結果の勝利であったと本人が語っている。
先輩風を吹かすタイプではなく、紆余曲折ある野球人生を歩んだことから後輩選手たちからは慕われることが多かったという。
通算成績
投手成績
通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 86 | 10 | 2 | 14 | 15 | 0 | --- | .483 | 314.1 | 102 | 156 | 160 | 147 | 4.21 |
関連項目
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