真田十勇士とは戦国武将、真田幸村に付き従ったとされる十人の武将である。
概要
・・・と書くと史実っぽいが、その実は創作である(何人かは実在の人物をベースにしている)
十勇士の発祥は、講談話を書籍化して大正時代に人気を博した「立川文庫」(あの水戸黄門なども、ここが発祥と言われている)。
江戸の時代より、徳川と真田幸村一族との戦いを描いた「真田三代記」なる作品が講談で知名度があり、それを元に忍者の「猿飛佐助」「霧隠才蔵」、元は敵だった家臣「由利鎌之助」の真田三勇士の作品が生まれた。後に、三代記より人気の武将がピックアップされ、最終的には十勇士として作品化されることになる。
その後、他の著名な時代劇同様、何度も小説や漫画の題材となり、映像化されている。
ちなみに十勇士の名前一覧は主に以下のとおりだが、作品によっては別の人物が入ることもある。
十勇士の面々
- 猿飛佐助(さるとび・さすけ)
甲賀忍者。おそらく十勇士で最も有名であろう人物。幼き日に幸村と出会って主従を誓っており、修行を積んだ後、再び幸村の下に馳せ参じるところから十勇士の物語が始まる。
モデルに関しては、六角家臣・三雲賢持の子・三雲賢春である、伊賀忍者・上月佐助であるなど諸説ある。 -
霧隠才蔵(きりがくれ・さいぞう)
伊賀忍者。百地三太夫の弟子で、猿飛佐助のライバル。要は戦隊物のブルーみたいなポジション。浅井家臣・霧隠弾正の子であるという。「真田三代記」の時点では霧隠鹿右衛門という名前だった。徳川家康の本陣に潜入して首を獲ろうとするなど活躍する。
これといったモデルはいない。 - 三好清海入道(みよし・せいかいにゅうどう)
出羽亀田の領主だったが理由あって放浪の身となった破戒僧。力の一号。樫棒をぶん回す巨漢。切腹して自ら介錯するという壮絶な最期を遂げる。
三好三人衆の一人・三好政康がモデル。出家して三好清海と名乗ったとされ、大坂夏の陣では88歳という高齢の身で参加、豊臣秀頼に殉じたという。 - 三好伊三入道(みよし・いさにゅうどう)
清海入道の弟。力の二号。だいたい兄と同じポジションで十勇士の最前衛担当。こちらは切腹しながら辞世の句を詠むという最期を遂げた。
政康の弟・三好政勝がモデル。出家して三好為三を名乗っている。ただし現実の為三は大坂の陣には徳川家臣として出陣している(当時80歳)。 - 穴山小助(あなやま・こすけ)
かつて武田氏に従っていた甲斐の穴山氏の一族。幸村と同い年で背格好もよく似ていたので影武者を務める。最期も影武者としての役割を全うして散る。小介と書かれる事も。 - 由利鎌之介(ゆり・かまのすけ)
その名の通り鎖鎌の名人。当初は真田家と敵対する身だったが、敗北した後、十勇士の一員となる。 - 海野六郎(うんの・ろくろう)
真田氏と同じ滋野一族である海野氏の生まれ。元々幸村に仕える身であった為、十勇士の中でも最古参。主に幸村の右腕として活動する参謀役。 - 根津甚八(ねづ・じんぱち)
同じく滋野一族のひとつ・根津氏の生まれ。しかし訳あって故郷を離れて海賊に身をやつしていた。十勇士となった後は水軍指揮官として活躍する。
浅井長政の子と言われる浅井井頼をモデルとする説もある。井頼も大坂の陣に豊臣方として参戦している。なお、俳優の「根津甚八」は、本名の姓が根津だったことからこの人物にちなんで名付けられたものである。 - 望月六郎(もちづき・ろくろう)
同じく滋野一族のひとつ・望月氏の生まれ。火薬・爆薬・砲術といった技術に長ける。 - 筧十蔵(かけい・じゅうぞう)
元々は蜂須賀家臣だったが、幸村と出会い十勇士に。火縄銃の名人。「真田三代記」では筧十兵衛という名前だった。
アニメ・ゲームなど
信長の野望シリーズ
第6作・天翔記で初登場。以後、将星録、烈風伝と登場するが、嵐世記~天下創世の3作は不参加。革新で復活し、天道、創造と登場。最初の2作品では史実と十勇士の三好兄弟が同一キャラクターだったが、烈風伝以降は分離した。
関連項目
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