主な勝ち鞍
1995年:鳴尾記念(GII)、エプソムカップ(GIII)
1996年:アメリカジョッキークラブカップ(GII)
※当時は数え年表記だったのでそれに伴った年齢で記載
1991年3月18日に北海道の門別町にあるカネツ牧場で生まれたカネツクロスは、父タマモクロス、母マウントソブリン、母の父ラッキーソブリンという血統でJRAの美浦の西塚安夫厩舎に所属した。
クラブ法人のカネツ競走馬、現名義のローレルレーシング
のクラブ馬として、1994年の1月31日に東京競馬場の、3歳(旧4歳)のダート1400mの新馬戦でデビューしたカネツクロスは、 柴田政人騎手を背にして2番人気で出走だったものの5着だった。中1週の折り返し新馬で2着のあと、1か月後の中山競馬場の未勝利戦(ダート1200m)で初勝利となった。1か月後、東京優駿当日の条件戦(ダート1600m)は武豊が騎乗し連勝した。
この後は900万下クラス(現2勝クラス)では4着9着4着2着となかなか勝てない状態でこの年を終えた。
1995年の1月明け4歳(旧5歳)中山競馬場の頌春賞(ダート1800m)で的場均が騎乗し3勝目となった。続く1500万下の内外タイムス杯で2着のあと春風ステークスを勝ち、待望のオープン入りとなった。
この後は芝のメトロポリタンステークスに出走となったが、これまでの勝利がすべてダートだったため4番人気だったがここでも勝利連勝となった。その勢いのままエプソムカップ(GIII)に出走し重賞初制覇となった。
秋は毎日王冠をステップに天皇賞(秋)に向かう予定だったが、天皇賞(秋)は賞金が足りず除外が濃厚だったため、京都の大原ステークス(OP)を使い勝利した。この後は当時秋に行われていた鳴尾記念(GII)を勝ち重賞2勝目となった。
明け5歳(旧6歳)となった、1996年の初戦はアメリカジョッキークラブカップ(GII)はG1馬のダンスパートナーが出走していたがここでも勝ち重賞の連勝となった。この後は日経賞2着のあと天皇賞(春)に向かう予定だったが、挫石により回避し宝塚記念に出走となったが、マヤノトップガンに次ぐ2番人気に支持されたが6着であった。このあとは挫石の影響からか馬券内絡むことが出来なくなった。
1997年の6歳(旧7歳)も現役を続行し、記録上日本の競走馬として初めてチークピーシーズを装着など試行錯誤を繰り返したが、掲示板にも入れなくなりこの年の有馬記念がラストランとなった。
生涯成績は28戦9勝でこのうち20戦が的場均が主戦として騎乗していた。
引退後は種牡馬にならず、生まれ故郷のカネツ牧場で余生を送った。関係者としては種牡馬にしたかったようでするが、血統の魅力が得られなかったようである。 カネツクロスを訪ねて~カネツ牧場
そして2017年の26歳の12月21日まで天寿を全うすることとなった。
| タマモクロス 1984 芦毛 |
シービークロス 1975 芦毛 |
*フオルテイノ | Grey Sovereign |
| Ranavalo | |||
| ズイショウ | *パーソロン | ||
| キムラス | |||
| グリーンシヤトー 1974 栗毛 |
*シヤトーゲイ | Swaps | |
| Banquet Bell | |||
| クイーンビー | *テユーダーペリオツド | ||
| ユーサ | |||
| マウントソブリン 1984 鹿毛 FNo.F22 |
*ラッキーソブリン 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
| Flaming Page | |||
| Sovereign | Pardao | ||
| Urshalim | |||
| マルイチアサコ 1972 黒鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
| Suncourt | |||
| スズダマシイ | トサミドリ | ||
| ミチモア | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/16(火) 12:00
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