シンコウキング 単語


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シンコウキング

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シンコウキングShinko King)とは、1991年生まれの日本競走馬鹿毛

週刊文春にしょーもないイチャモンをつけられた事件でも知られる(?)、最後の「高松宮杯」勝ち

な勝ち
1997年高松宮杯GⅠ

概要

Fairy KingRose of Jericho、Allegedという血統のアイルランド
フェアリーキングは大種牡馬Sadler's Wellsの1歳下の全で、競走馬としては1戦未勝利だったが、種牡馬として*ファルブラヴや*エリシオを輩出し、に短距離向け種牡馬として大きな成功を収めた。
ローズオブジェリコアメリカ産の不出走。シンコウキングは第3
アレッジド1977年・78年の凱旋門賞を連覇した名種牡馬としても活躍し、日本でのとしての産駒にはヒシナリーブランディスがいる。

2歳上の半には1992年エプソムダービー*ドクターデヴィアスAhonoora)がいるほか、3歳上の半ArchwayThatching)と2歳下の半Royal Court(Sadler's Wells)も重賞
甥には高松宮記念スズカフェニックス(1歳下の全*ローズオブスズカの)、姪には2011年オークスDancing Rain(6歳下の半Rain Flower)と2020年オークス*イーヴンソー(9歳下の半Breeze Hill)がいるほか、Rain Flowerの孫には2011年欧州2歳女王*メイビーがいるなど、現在に至るまで活気のあるファミリーに産まれた良血である。

……ただし、2代Rose RedNorthern Dancer産駒のため、シンコウキングはNorthern Dancerの2×3という強インブリード持ちである。このインブリードのせいか気性が荒く騎乗できる騎手が限られ、体質も弱かったため、藤沢和雄調教師は管理に苦労したとのこと。

1991年4月24日アイルランドで誕生。オーナーシンコウラブリイシンコウウインディなど「シンコウ冠名を用いた、勝負服でも知られた安田修。シンコーファームという牧場を持つオーナーブリーダーでもあったが、彼を含むシンコウ軍団の獲得賞金上位3頭は外国産馬である。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

新興王

4歳~5歳(1994年~1995年)

シンコウラブリイと同じく、美藤沢和雄厩舎に入厩したが、デビュー前に暴れて怪をしてしまったそうで、デビューは遅れに遅れ、とっくに新馬戦も終わった4歳の7月坂本勝美を上に福島・芝1000mの未勝利戦でようやくデビューしたが、最後方から上がり最速の脚は見せたものの6着まで。
続く8月新潟・芝1600mの未勝利戦も7着に終わったが、岡部幸雄が騎乗した9月中山・芝1200mの未勝利戦で先行して2着、坂本に戻った10月福島・芝1200mの未勝利戦を4馬身差で逃げ切り圧勝し4戦で勝ち上がる[1]

続く中1週で向かった同条件の土湯特別500万下)も先行策から勝利すると、900万下でも橋本広喜が騎乗した東京・芝1400mの巣山特別はクビ差2着に惜敗したが、岡部幸雄が騎乗した中山・芝1600mの清澄特別を差し切り勝ち。初勝利から3戦であっさり準OPまで昇格し、以後は岡部幸雄戦となる。

1500万下では昇級初戦は3着、明け5歳初戦は6着、そこから3戦続けて2着とやや足踏みしたものの、6月東京・芝1400mのフリーウェイステークス勝利。降級で1500万下に残留となったものの、札幌での3着を挟んで、蛯名正義が騎乗した11月東京・芝1600m、ベンバーステークスを先行策から快勝してオープンに昇格すると、引き続き蛯名と向かった年末のクリスマスステークス(OP)を先行抜け出しで2馬身差の快勝。オープン勝利を挙げて5歳を終えた。

かしこ勝利のあと、理由は不詳だが10ヶの長期休養に入ることになる。

6歳~7歳(1996年~1997年)

明けて6歳、復帰戦となった10月スワンステークスGⅡ蛯名正義とともに重賞初挑戦。10.3倍の5番人気とまずまずの評価を集め、中団からレースを進めて直線では外を追い込みスギノハヤカゼ・ビコーペガサスマサラッキの3頭横並びJRAレコード決着から半馬身差の4着となかなかの好走を見せる。

岡部幸雄に戻り、当時は東京・芝1800mのオープン特別だった富士ステークス(OP)では単勝1.4倍という断然の支持を受けると、3番人気グロリーシャルマンハナ差制して勝利
そこからなんと連闘マイルチャンピオンシップGⅠに挑戦。藤沢先生たまにやるよねそういうこと。岡部幸雄は1番人気ジェニュインに騎乗したので蛯名正義が騎乗し11.8倍の7番人気。中団から前の混戦に食らいついていったものの、見せ場を作るには至らず6着。
そして当時は年末のレースだったスプリンターズステークスGⅠ岡部幸雄と参戦。ここでも11.2倍の6番人気に留まったが、フラワーパークエイシンワシントンハナ差1cm決着の後ろ、5馬身も離されたものの3着に突っ込んでみせた。

明けて7歳は3月読売マイラーズカップGⅡから始動。蛯名正義と3番人気に支持され、4で外を回して進出、直線でフラワーパークとともに逃げドージマムテキを捕まえにかかったが、後ろからデビュー2日武幸四郎が騎乗するオースミタイクーンらにかわされて5着。
続く阪急杯GⅢでは久々橋本広喜が騎乗、1番人気に支持されたが、トップハンデ57.5kgもいたか同じシンコウ軍団シンコウフォレスト勝利の後ろで7着撃沈。引き続き橋本と向かったシルクロードステークスGⅢ逃げエイシンバーリンに4馬身以上離されて3着。

というわけで迎えた5月高松宮杯GⅠ。芝1200mのGⅠになって2年、1番人気は前年のプリン覇者フラワーパーク。昨年2着の追込ビコーペガサスが2番人気、前述のエイシンバーリンが3番人気で続いた。シンコウキングは3連敗で評価を下げたか、岡部幸雄が戻ったものの14.7倍の6番人気に留まった。
レースホクトフィーバスエイシンバーリンが2頭で逃げ、シンコウキングは中団。フラワーパークは後方になった。4ホクトフィーバスが力尽きてエイシンバーリンが抜け出し、そこにスギノハヤカゼ、マサラッキら先行組が食らいついていく前残りの展開となったが、その中で断然の脚色で末脚を伸ばしたのがシンコウキング! 先行勢をあっさりとかわし、内ラチ沿いで逃げ込みを図ったエイシンバーリンを力強く差し切ってゴールを駆け抜けた。
嬉しい重賞初制覇がGⅠタイトル高松宮杯は翌年から「高松宮記念」に改称されたため、シンコウキングは伝統の「高松宮杯」最後の勝ちとして名を残すことになった。

……ちなみにこの高松宮杯レース後の7月週刊文春岡部幸雄騎乗シンコウキング 高松宮杯優勝疑惑の違反「スパイク」」という記事が掲載された。「スパイク」というのは人間スパイクシューズのような、接地面に滑り止めの突起がある蹄中央競馬では2mm以上の高さのスパイクは禁止されている(2mm以下ならOKなので、たとえばディープインパクトは1mmのスパイクを装着していた)のだが、レース中に撮された写真から、シンコウキングはもっと長いスパイクをつけていた! という疑惑の記事だった。
なお、結論から言うとこれはが蹴立てた芝や土を記者が見間違えたという、火のないところに煙を視しただけのしょーもないイチャモン記事であった。ばかなの?

そんなあだしごとはさておき、シンコウキングは5ヶ休み、スワンステークスGⅡから始動。このスワンS藤沢厩舎はなんと5頭出しだったのだが、その中に岡部幸雄デビューから戦を務めたあの名がいた。タイキシャトルである。しかし岡部タイキシャトル横山典弘に譲り、シンコウキングに騎乗していた。これは岡部タイキシャトルよりもシンコウキングを高く評価していた……わけではなく、シンコウキングは気性の問題で岡部でないと御せなかったかららしい。また、シンコウキングは高松宮杯を勝ったことでこの年限りで引退の予定となったため、最後にもう一咲かせてやろうということでもあったようで、続くマイルチャンピオンシップGⅠタイキシャトル横山典弘が騎乗し、シンコウキングは岡部幸雄と臨むことになった。
……なお、結果はスワンS9着、マイルCS16着であった。

そして年末、ラストランとして香港際ボウル(G2)(現:香港マイル。当時は芝1400m)に参戦。上は武豊となり[2]、地元勢Catalan Openingの3着に好走して現役を引退した。通算27戦8勝 [8-5-5-9]。

引退後

引退後はレックススタッドで種牡馬入りし、シャトル種牡馬としてニュージーランドでも供用された。……というか、日本ではほとんど人気を集めなかったが、ニュージーランド大人気となったため、3年2000年にシャトルでニュージーランドに行って以降はそのまま帰せずあちらで種牡馬を続け、2003年には正式にニュージーランドにトレードされてあちらの種牡馬となった。

というわけで日本国内では3年間で種付けは115頭、中央オープン勝ちが1頭、地方重賞が1頭出ただけで終わったが、産駒ニュージーランドオーストラリアで活躍。
2003年ニュージーランドオークスBramble Roseを皮切りに、2008年ニュージーランドダービーC'est La Guerre豪州限定G1を2勝したEskimo Queen2009年香港クラシックマイルを勝ち2011年安田記念にも出走(11着)したThumbs Up2020年オークランドカップを勝ったRoger Thatまで、ニュージーランドオーストラリア香港で合わせて8頭のG1を輩出した。
ただG1産駒はみんな騸馬にされてしまったため、後継種牡馬は1頭しかおらず、現状直系が繋がる見込みはなさそう。
としてはニュージーランドG1を4勝したShez Sinsationalや、2020年豪州G1ジョージライダーSなど重賞5勝を挙げたDreamforce(Eskimo Queen産駒)などを輩出している。

シンコウキング自身はシャトル時代の輸送で患ってしまった蹄葉炎と付き合いながらの種牡馬生活を送っていたが、2012年5月27日、蹄葉炎の悪化のため安楽死の措置がとられたという。21歳だった。

血統表

Fairy King
1982 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Rose of Jericho
1984 鹿毛
FNo.1-t
Alleged
1974 鹿毛
Hoist the Flag Tom Rolfe
Wavy Navy
Princess Pout Prince John
Determined Lady
Rose Red
1979 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Cambrienne Sicambre
Torbella

クロスNorthern Dancer 2×3(37.50%)

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関連項目

脚注

  1. *ちなみに当時は11月頭まで4歳未勝利戦があった。
  2. *ちなみに同日の香港カップサイレンススズカへの初騎乗。
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