グロ中尉とはアメリカの軍人、トーマス・グロ中尉(First Lieutenant Thomas Gros)のことである。
グロ中尉[First Lieutenant Gros]
(1932- アメリカ)
1932年にジョージア州で生まれる。父のダミアン・グロが陸軍将校であったためか、幼い頃から軍隊に対して強い憧れを抱いていた。1953年にはノース・ジョージア州立大学のROTCを修了、陸軍少尉に任命される。しかしその翌年には父が他界し、母も三年後に他界するなど、トーマスにとって不幸な出来事が続いた。
1965年にベトナム戦争が始まると、トーマス少尉は第23歩兵師団第11軽歩兵旅団、第20歩兵連隊第1大隊C中隊の第2小隊に配属、南ベトナムに駐留し、ベトコンらと激しい戦闘を繰り広げた。
だが昼夜問わず行われるゲリラの攻勢を受けてトーマスは心身ともに疲弊していった。そんな彼は敵兵から鹵獲したカメラで、殺害した兵士を撮影するようになった。もっともそれは小隊の見ていない場所でしか行われてなかったので、彼は部下にとっても上官にとっても「優秀」な少尉のままであった。
ある日、少尉の率いる第2小隊はウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊と共に、ベトナムのある村にたどり着いた。第1小隊の兵士たちは集落の一つを襲撃し、住民を虐殺。これが後に有名なソンミ村虐殺事件である。
虐殺の報を聞いたトーマス少尉は集落へ急行し、部下に生存者確認の命令を出す一方、自らは彼らが虐殺した死体を回収して撮影を行った。彼にしてみればその村は「被写体」の宝庫であったろうことは想像に難くない。この時撮影されたとされる写真の多くは、内臓が露出している、頭が割れている、四肢が欠損しているものが多く、より残虐的趣向が強まっていることが分かる。
その後、中尉に昇進した彼だったがPTSDを発症し退役。数多の写真を収めたカメラと共に帰国した。カメラは自宅に注意深く隠され、家族もその存在を知ることはなかった。
写真の存在が明らかになったのはソンミ村事件の裁判が行われた時である。事件の全容に関して、中尉は自ら証拠品としていくつかの写真を提出。それらの写真は凄惨な現場を克明にとらえており、審議に重要な役割を与えた。この裁判に関してグロ中尉は「二度とこのような事件を起こしてはならない。私もあの大きな戦争の被害者だった。」と語っている。
だが、彼のメッセージとは裏腹に裁判はほとんどの兵士が証拠不十分で無罪となり首謀者もわずかな刑期に服しただけで仮釈放となった。同時に証拠品であった彼のフィルムも時代の闇へと消えて行った。
2000年代前半、アメリカのアングラ系サイトに「トーマス・グロ中尉の写真」(The Photos of 1st Lieutenant Thomas Gros)として数枚の写真が掲載された。これらの写真は大きな反響を呼び、有志によって多くの写真が提供された(これらの写真は必ずしもトーマス中尉のものでないものも含まれるとされる)。
この影響は海を越えて日本にも伝わり、「マイクラ」(マインドクラッシャー、精神的ブラクラ)の始まりともなった。ここからネットユーザーの間で「マイクラ」のことを「グロ中尉の写真」、さらに略されて「グロ中尉」と呼ばれるようになった。
われわれは忘れてはならない―トーマス・グロ中尉の存在を―
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最終更新:2024/10/04(金) 14:00
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