光GENJI 単語


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ヒカルゲンジ

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光GENJIとは、昭和最後の伝説アイドルグループである。

概要

ジャニーズ事務所に所属していたグループ1987年6月25日にGENJIとの2つのグループ合体して誕生した。グループ名は「源氏物語」の源氏に由来している。
レコードデビュー1987年8月19日で「STAR LIGHT」をリリース、この時のキャッチフレーズが「超新星からのメッセージ」だった。
ローラスケートを用いたパフォーマンスに加えて初期3曲はASKAによる楽曲提供もあり、爆発的な人気を獲得。以後、ローラスケートブームになった。加えて楽曲内でも早着替えをするために重ね着をしていることも多かった。なお、大沢樹生く「暑かった」模様。一方で、先輩少年隊と同様にマイクスタンドを使用したパフォーマンスが少ない状況であったが、当時の技術の制約上7人分のワイレスマイクを運用することはできなかった。このため、歌ってはいるものの録音した音を被せている。
なお、テレビ朝日ミュージックステーション」にはほぼレギュラー出演の状態であったが、これは「ザ・ベストテン」でのキャンディーズのようなポジションで、視聴率確保の意味合いが強かった。

前述の通り、内部グループとGENJIの2グループであったが、諸星和己の2人と組むフォーメーションも多く、年少組4名によるSAY・Sが新たに設けられた。デビュー時は10代とはいえ年長者と年少者では高校生中学生年齢差があり、不仲ではないが話さなかったと赤坂晃は回顧している。
1994年8月31日大沢樹生佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER5」へグループ名を変更したが、翌1995年9月3日に解散(の場では卒業)。解散理由は諸星和己く「みんな疲れてた」。当初は7人っての解散を1994年初頭に事務所上層部後輩グループ解散の引き金を引いた例の人)にかけあったが、各々の契約上の都合などで「SUPER5」を挟むこととなった。
この解散は佐藤アツヒロく「大沢樹生が辞めると言い、佐藤寛之が7人でないと光GENJIではないと辞めた」「7人で解散するつもりだった」「5人でやるとは思っていなかった」「5人から1人が辞めるとなったとき、4人でやれるかとなってやれないとなった」と語っている。また、赤坂晃メンバーが抜けることは知っていたが、電話で呼び出されて上層部に話をしに行くときに初めて解散の話を聞かされている。その後7人体制最後のコンサートでは赤坂く「上層部のイジメ」という構成がされていた。

なお、全盛期の曲「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」などは現在でも各所で演奏される事が多い。また、忍たま乱太郎主題歌勇気100%」は現在ジャニーズ事務所後輩が引き継いでいる。
ローラスケートについても引き継がれており、Kis-My-Ft2やHiHi jetsがローラスケートを履いてパフォーマンスを行う。

ちなみに、ファンによる追っかけも凄く、「ザ・ベストテン」の会をしていた黒柳徹子ジャニーズ事務所後輩に当たるSMAP中居正広など、当時を知る関係者は「(SMAP等がべ物にならないほど)当時は凄かった」と語っている。
また、KinKi Kids堂本光一は当時の光GENJIを「(オーラがあり)怖かった先輩」と語っている。

SUPER5」解散後、諸星以外は残留したが、しばらくして山本淳一独立。その後赤坂晃も色々あって独立し、現在事務所に残っているのは2人のメンバーのみ。そのうち佐藤アツヒロカウコンなどでKis-My-Ft2など後輩グループと共演する事もある。また、内海光司佐藤アツヒロユニット「U&S」としても活動し、番組を持つなどしている他、平家派メンバー国分太一・トニセン)と音楽番組で共演し「剣の舞」を披露することもある。
一方、退所している佐藤寛之山本淳一2023年12月ユニットとしてCDリリースするほか、先輩である植草克秀ライブを行うなどしている(元々は植ライブ佐藤が飛び入り参加し、そこから山本を誘った形)。これらについては下記参照。

なお、2023年11月アルバム「光GENJI」をリマスターしたレコード盤がリリースされた。

現在特に再結成の予定はないが、諸星和己佐藤寛之山本淳一と共演したライブの会見で「(再結成は)7人で」と語っている。ただし、これまでも再結成話は2度あった。1度デビュー20周年)は赤坂晃佐藤アツヒロに動いたが、直後に赤坂晃トラブって流れた。2度デビュー30周年)は諸星和己に動いて7人で会合も開いたが、佐藤アツヒロ事務所と折衝したところ当時の副社長は快諾したものの、当時の社長から(赤坂晃の件や、当時一部で出ていた山本淳一トラブルなどもあり)色よい返事を貰えず流れた。この30周年の際にはASKAによる楽曲制作が行われる予定であった。
また、2025年1月より最年少メンバー佐藤アツヒロが各メンバーに会うドキュメンタリーWOWOWにて放送開始となった。こちらに関しては事務所社長の快諾を得たうえで、各メンバーオファーを出す形で行っている。ただし、赤坂大沢が出演を快諾し2人でラジオ番組まで始める一方で諸星が出演に色よい返事をせずASKAが間に入ったり、佐藤寛之山本淳一が一旦辞退し内海光司が仲介に乗り出すなど多難である。

SAY・S

GENJIの中から諸星和己を除いた年齢の若い4人(佐藤敦啓赤坂晃山本淳一佐藤寛之)のみで構成された内部ユニットで、グループ名は苗字ローマ字表記した際の頭文字から取られており年齢の若い順に並べられている。この頭文字を使用する命名規則は後のKAT-TUNKis-My-Ft2などでも採用された。
光GENJI本体で大人向け楽曲が増えていた際に、デビュー当初のような明るい楽曲を担当するという役割も担っていたため、忍たま乱太郎などの楽曲も担当している。

1994年にSAY・Sの中では最年長だった佐藤寛之が光GENJIを脱退した事によりユニット自然消滅している。

シングル一覧
楽曲名 備考
1 曇りのち晴れ/STARDUSTに乗って
2 WE ARE THE CHAMP SAY・S and J.World名義
'93サッカー日本代表オフシャル応援歌
3 HAPPY ROAD

AKIRA&KOHJI

内海光司赤坂晃による「SUPER5」時代の内部ユニット1994年12月に8cmシングルMR.MIRACLE」をリリースしている。
なお、内海く「(相手が)諸星じゃなくて良かったです」。ミュージックステーション出演時は歌の打ち合わせではなくネタの打ち合わせが多かったタモリ「それは漫才師の自己紹介だよ」)。

U&S

前述の通り、事務所に残っている内海光司佐藤アツヒロによるユニット。最年長と最年少の2人での活動はグループ時代を含めほぼなかったが、事務所で再会した際に「2人で何かやろう」となり内海光司佐藤アツヒロライブ乱入したのがはじまり。
以後はグループ名をU&Sとし、新曲も披露している。また、2人での出演も増加し平家派との共演も行っている。
ただし、BS松竹東急の番組のように2人っている場合でもU&S表記とならないことも多い。

なお、2人は事務所的にはレジェンドであるため、扱いは丁寧(というか放置に近い)。

ふたつの風

佐藤寛之山本淳一によるユニットで、少年隊植草克秀プロデュースを務める。
元々は植草克秀ソロライブへの佐藤寛之乱入がきっかけで3人でのライブを行っていたが、光GENJIの2人によるユニット活動を行うこととなり、2023年12月CDリリースを行うこととなった。

なお、2人での本格的なユニット活動は初めてだが、かつては諸星和己と3人でライブを行ったことやそこに大沢樹生を含めた4人でローラスケート対決クイズ☆スター名鑑)を行ったこともある。

メンバー

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