「しむしゅしゅしゅっ! もう、こっちを見るっしゅ。海防艦占守様っすよ?」
占守(しむしゅ)とは、大日本帝国海軍所属の占守型海防艦1番艦〈占守〉をモチーフとした、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘(かんむす)である。
CVは咲々木瞳、キャラクターデザインはUGUME。
2017年5月に行われたイベント『出撃!北東方面 第五艦隊』の3面目および4面目のボスドロップとして実装された。このイベントで初めて実装された艦種「海防艦」の3人のうちの1人。
妹の国後と同じ緑色のセーラー服に身を包んでおり、白(銀?)色の髪をショートカットにしている。羽織っているジャケットはいわゆるファーコートらしく、袖口からファーが見えている。北海仕様ということであろうか。
最大の特徴はその口調で、「~っす」という語尾を付けるのが癖のようだが、発音によっては「~っしゅ」と聞こえる。それ以外にも、自分の名前と掛けているのか「しむしゅしゅしゅ~」と良く判らない言葉を発したりする。明るく、わりと脳天気な雰囲気があり、言ってみれば懐いてくる小型のわんこっぽい。
妹の国後のことはクナと呼んでいる他、提督のことは「しれぇ」と呼ぶ。新たな「しれぇ」組の誕生である。
艦これでの海防艦は、(実装時点で)以下の様な特徴を持っている。
このため、現時点では海防艦は1-5での潜水艦狩り専任か、さもなくば遠征(ただし、艦種固定の遠征には注意)が妥当と言われている。
オホーツク海は現代に至るまで好漁場であり、それゆえに日本とロシアとの漁業権の争いが付きものであった。というわけで、必然的に国を守る帝国海軍にその紛争が持ち込まれることになる。
当初は駆逐艦をその対応にまわしていたのだが、いくら駆逐艦でも漁場に出て行くには大きくコストが掛かりすぎること、また流石にオホーツク海に出て行くには耐寒装備が不十分であることから、専用の小型艦を作ることになり、小規模といえど国際紛争に出張ることから「格」が求められ、菊の御紋を持つ「軍艦」とすることになった。
こうして建造されることになったのが、全長約80m、基準排水量860tの「占守型海防艦」である。荒れる事が多く春は流氷に覆われるという過酷なオホーツク海での活動のため、暖房装備完備で小回りが利き、さらに航続距離も長大(8000浬)だが、速度は要求されず最高速度は16ノットであった。おっそーい!
余談だが、「海防艦」という艦種は、沿岸警備や拠点防衛、船団護衛や対潜哨戒といった任務をこなす艦のことであり、後述する1942年7月1日付けの類別変更までは、旧式化して主力から格下げになった戦艦や巡洋艦が「海防艦」となっていた。これらは当然ながら軍艦であり、つまり疑問を持つまでも無く海防艦=軍艦であった、という経緯がある。
ちなみに設計したのは艦政本部ではなく、委託された三菱重工であり、小型艦とはいえ軍艦の設計をまかされた三菱重工は勢い込んで軍令部からの要求を満たすべく設計したのだが、これが災いして生産工数が多く量産するのが難しいシロモノになってしまった(これは占守型を改良した択捉型も同様)。諸事情があって、結局占守型軍艦は4隻のみとなり、改良型になる択捉型に建造は移行することになる。
さて、その占守型のネームシップである〈占守〉は、1940年6月30日、三井造船玉野造船所(岡山)で竣工した。艦名は千島列島の占守島から取られている[1]。なお、占守島の読みは「しゅむしゅ」だが、艦名は「しむしゅ」である。
〈占守〉は完成直後、なぜか建造目的だった北方漁場警備ではなく南遣艦隊に引き抜かれ、一時的にではあるが旗艦まで勤めている(常時は〈足柄〉が旗艦。〈占守〉が旗艦を勤めたのは前述通り菊の御紋を持つ軍艦だったため)。開戦後もそのまま〈占守〉は南方で活動するが、暖房装備を付けたままだったのに冷房など無かったので、大層居住性は悪かった模様。
その後、1942年7月1日付けで海軍艦船の階級変更が通達され、占守型海防艦は「軍艦」から「艦艇」(軍艦以外の戦闘用船舶はこう呼んでいた)になり、菊の御紋も外されることになる。それ以降も南方で輸送艦の護衛任務を務めていた。この南方での護衛作戦では多数の駆逐艦が失われており、〈占守〉も1944年11月25日に米潜水艦〈ハッド〉の雷撃を受けて危うく沈没しかけるが、この時は第13号海防艦の救援を得て九死に一生を得た。現地で応急修理後、舞鶴に戻って本格的に修理後、生き残っていた姉妹(〈国後〉と〈八丈〉)と共に念願の(?)北方警備に戻ることになった。8月15日には稚内港に入港し、そこで終戦を迎えることになる。
終戦直後はソ連軍の迫る樺太からの邦人脱出を支援し、帝国海軍の艦としての最後の勤めを果たして1945年10月5日に除籍。そして1週間後の12日には特別輸送艦に任じられて復員作業に携わる。
復員作業も一段落した1947年7月5日、特別輸送艦の任務を解かれた〈占守〉に新たな任務が待っていた。ソ連へ賠償艦としての引き渡されることが決まったのである。ナホトカに集められた賠償艦の中には駆逐艦〈響〉もいた。
〈占守〉は「第31号護衛艦」(EK-31、ЭК-31エーカー・トリーッツァチ・アディン)と名付けられ、太平洋艦隊に組み込まれた。その後、1948年10月には「第25号通報艦」(PS-25、ПС-25ペーエス・ドヴァーッツァチ・ピャーチ)に艦種変更・改名された。さらに1957年10月には工作艦に改修され、その名も「第74号工作艦」(PM-74、ПМ-74ペエーム・スィェーミヂェスャト・チトィーリェ)となった。そして1959年5月16日に退役、その後解体され、数奇な生涯を終えた。占守型の4隻でもっとも長生きした艦でもある。
占守型海防艦 |
1.占守- 2.国後 - 3. 八丈 - 4.石垣 |
2017年春イベント『出撃!北東方面 第五艦隊』 新規実装艦娘 |
占守型海防艦 - 占守 国後 新田丸級貨客船/大鷹型特設航空母艦 - 春日丸/大鷹 択捉型海防艦 - 択捉 神威型補給艦/水上機母艦 - 神威 ソ連・Гангут級戦艦 - Гангут/Октябрьская революция |
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最終更新:2024/06/01(土) 11:00
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