司馬乂(277年~304年)とは三国志の後に起きた晋王朝の内乱である八王の乱の王の一人である。字は士度。
277年に晋王朝の初代皇帝司馬炎の6男として生まれる。兄には二代皇帝となる恵帝司馬衷、楚王司馬瑋。弟には成都王司馬穎、三代皇帝の懐帝司馬熾などがいる。
当時の晋の方針から、乂もわずか数えで13歳という若さで長沙王に封王される。しかし、291年に司馬瑋が汝南王司馬亮と衛瓘を討った際にこれに参加し、乱後に瑋が罪人として裁かれると、実弟である乂もこれに連座して常山王へと降格された上で、任地である常山へと赴任させられて中央から遠ざけられた。
301年に趙王司馬倫が恵帝衷から帝位を簒奪した事で斉王司馬冏、成都王司馬穎、河間王司馬顒らが決起(三王起義)すると、乂も常山の兵をまとめてこれに参加。
まずは倫の本拠である趙へと向かい、抵抗する倫の家臣の県令の城を陥落させてそれを討ち取り、返す刀で穎の陣営の後詰めに駆けつけ、敵に寝返ろうとしていた者がいる事を察知して先んじて討ち取るなど活躍し、洛陽に凱旋した。これらの功績でもって乂は驃騎将軍などを与えられた上で長沙王へと復位が許され、中央の政界に返り咲いた。
しかし、中央の政界を掌握した冏が悪政を敷くと、乂は冏の専横を憎むようになる。ある時、乂は穎と連れ立って父である炎の墓参りへ行ったが、それで乂は穎に「この天下は先帝(炎)の築いたものだ。お前はこれを護らねばならない。」と言い含めた。この発言を世人は次なる流血沙汰は近いと恐れたという。
302年、冏と不仲となっていた顒は冏の討伐を考えるようになるが、その前に近臣と謀って洛陽にいる乂を動かし、乂が敗死したら冏討伐軍を動かし、洛陽へ総攻撃をかける作戦を立てた。日頃より冏の態度が許せなくなってきていた乂はこの計画にまんまと乗り、死を期待されているとは露知らず引き受けた…が、しかし乂の行動力は顒の期待の遥か上を行った。
乂は洛中で100人の兵を調達して宮中へ殴り込み、初手で素早く恵帝衷の身柄を確保し、更に宮中であることなどお構いなしに門や建物に火を放ち、容赦なく弓を射掛けて「逆賊冏を討つ!邪魔するものは五族に渡って滅ぼす!」と百官を恫喝した。3日3晩に渡る乂の苛烈な攻めに恐れおののいた百官は乂に反撃するどころではなく、ついにはたまらず逆に冏を取り押さえて乂へと引き渡して降伏した。
こうして三強の一角であったはずの斉王冏は乂の率いるわずかな兵の前に本拠から応援を呼ぶ間もなく討たれたのである。まさに電光石火であった。
冏討伐後、乂は一躍宮中の実力者に躍り出る。乂は波風を立てぬよう恵帝衷へと忠誠を誓い、さらに穎とよく協議して朝事を行うよう心掛けたが、思惑を外されてしまった顒とすぐさま権力を得たい穎の両人にとってやはり乂は目障りであり、乂は微妙な立場に立たされていく。顒と穎はそれぞれ宮中に刺客を送り込んで乂を暗殺しようとしたが、いずれも露見して乂に抹殺された。
303年8月、ついに顒と穎は実力行使に打って出て、両名結託して乂討伐の兵を挙げる。顒と穎は連名して乂の専横を糾弾する文章を提出し、遠巻きに武力をちらつかせながら恵帝衷をこれに従わせようとしたが、衷は珍しく「顒は独断で大軍を動かして洛陽に攻め込もうとしている。朕が自ら出馬して逆賊顒を誅殺する。」と宣言して乂を太尉・大都督・中外諸軍事という軍権のトップへと任命した。ここに至って朝廷と顒・穎連合の決裂は決定的になったのである。
しかし、顒・穎連合の率いる兵力は20万にも達する一方で乂の動かせる兵は本拠の長沙の兵を加味しても限られており、情勢は絶望的であった。
かくして303年の夏、ついに顒の家臣張方と穎の家臣の陸機(陸遜の孫)・石超・牽秀らが二手から大軍を率いて洛陽を目指し、進撃を開始する。
乂は緒戦においては張方を止めようと家臣の皇甫商を派遣したが突破され、一方で恵帝も牽秀を叩くべく出馬していたが、その隙をついて張方の軍が洛陽へと侵入して略奪を働き、早くも洛陽周りに籠もって戦う以外の選択肢を無くす。しかし、乂が本領を発揮するのはここからであった。
まず建春門に穎軍の陸機が迫ると、乂は恵帝衷と共に出馬してこれに当たり、馬に戟を括り付けて突撃させて混乱した敵を散々に破り、将軍16人を討つという大勝を挙げた。この戦いでは陸機の軍の死体で河が塞き止められるほどに山積みになったといい、あまりの大敗に陸機は「司馬乂と通じてわざと大敗した」と讒言されて穎により三族滅を言い渡された。続いて顒軍の張方も恵帝衷と共に出馬して痛打を与えて洛陽周りから叩き出した。
乂の軍勢の強さを畏れた張方は、正攻法での勝利は難しいと考えて洛陽の堰を破壊して水の手を断つという手段に打って出て、洛陽は深刻な水不足となる。洛陽内では13歳以上の男子は全て官軍に徴兵され、米一石は一万銭にまで急騰するなど大混乱が起きた。…が、それでも乂の軍勢は士気旺盛で顒・穎軍を寄せ付けなかった。
年明けて304年、未だ顒と穎の軍勢は乂に勝てず、死者は6~7万にも達する甚大な被害を被っていた。一方、洛陽での物資枯渇は深刻な状態であったが、乂は連勝によって兵達の一種のカリスマ的な存在となって、将兵は皆死ぬ物狂いで戦い続けて異様な士気を保っており、張方は洛陽の攻略は無理なのではないか?と思い、長安への撤退を考え始めていた。
しかし、洛陽にいた東海王越はそんな事は露知らず、城内の窮状から限界は近いと判断し、乂を密かに捕縛して降伏しようと謀り、ある夜中に捕縛された乂は全ての官を解かれて監禁され、官軍は張方に降伏した。しかし、開城した官軍は張方軍が撤退も考え始めているほど士気が低かった事を知って即座にこれを後悔し、乂を奪還すればまだ戦えるのではないかという雰囲気が漂いだす。
この不穏な空気を察した越は、もはや乂を生かしてはおけぬと思い、張方に密かに連絡して乂の監禁先に兵を出させ、引き釣り出された乂は張方の陣中で生きたまま焼き殺された。享年28。死後に贈られた諡号は厲王(殺戮・暴虐などを行ったものへの悪諡)。八王の乱5番目の犠牲者であった。
死後5年経った309年に息子の司馬碩が長沙王を継ぐことを赦されているが、311年の洛陽陥落の際に死亡して乂の家系は途絶えた。
明朗にして果断、才力は他の人を寄せ付けず、更には目下の者にも謙虚で人望が厚い人物であったと史書において高く評価されている。また、朝事を裁断する立場へと成り上がってもつけ上がる事はなく、恵帝衷に無礼な態度を取ることは無かった。それは意志薄弱で常に言われるがままであった恵帝衷が珍しく自分の意見を述べて乂の味方をし、戦に出馬する決意まで固めた事からも伺える。
身内の情に厚い人物で父の炎が亡くなった時は長い時間泣き崩れたまま動けず、兄の瑋が冤罪によって逮捕された時もまた涙を流している様子が伝わる。一方で怒る時もストレートであり、冏の専横が許せぬ時は公に発言を出してしまったり、冏を逮捕した後に冏が恵帝衷に助命を期待しているのを察するとこれまた大怒したりしている。
八王の乱においては当初は脇役の一人に過ぎない存在であったが、ダークホース的な存在として冏を討ち果たして急台頭し、更に残った王の中でも二強であった顒と穎の軍勢に大打撃を与え、以降この二人の動員力が明らかに衰えており、乱の台風の目となった。
兵を率いては三国の乱世を経験していないにも関わらず、戦場においてその果断即決ぶり存分に発揮して連戦連勝し、兵糧・水が欠乏する官軍でも人望によってその士気を保ち続けるなど、常人離れした英雄の気質を有していた事は見て取れる。
力量が発揮されたのがこのような下らない内乱ではなく乱世の時代ならば将軍として名を挙げる事もあったのかもしれないが…生まれる時代を間違えてしまったのかもしれない。
越によって乂が失脚した後のこと、乂は恵帝衷に上奏文を送った。
陛下は温厚で慎み深いお方であり、私に朝政を託して下さいました。私は細心に忠節を尽くし、陛下と共に天地神明を知ることが出来ました。ですが諸王は嘘で陛下を惑わし、兵を率いて陛下を攻め、朝臣は誤りを正すこともなく保身に走り、陛下を幽閉しました。
私は命など惜しくはありませぬが、ただ大晋が衰微する事を憂いています。宗室の枝葉は切り取られ、陛下は孤立していくでしょう。私が死ねばひとまず国家は安定し、益にはなるでしょうが、ただ恐れているのは、凶人が陛下の耳へ無益な事を囁く事です。
自身が討たれるであろう事は承知していたが、それでも恵帝衷に送った文は己の命の保身ではなく、恵帝衷の身の上と乱で衰微する国家の行く末を憂いたものであった。
掲示板
18 ななしのよっしん
2023/02/26(日) 18:13:36 ID: KXmXDlmO5V
もともとやらかし側の皇族だったし、中央官僚とか皇帝側の忠臣たちからすれば他の司馬氏にも増して得体の知れないやつだったのは確か
中央での地盤の弱さから皇帝の信任がなければ発言力を保てず、権勢を維持するには皇帝と後継その他有力な皇族たちに阿るしかなかった
惜しむらくは、情に厚く果断ではあった司馬穎や謙虚で人望があった司馬越さえ目先の利益と保身のためには自分を切り捨てるということを見抜けなかったこと
抜群の将才に政治的なバランス感覚を兼ね備えていながら、味方と判断した相手には一途なまでに信頼を寄せてしまう、謀略に対する耐性のなさが致命的な弱点だった
幕下にいわゆる軍師ポジの有能がいさえすれば、中央政権は握れずとも、兄の謀略に巻き込まれることはなく、腹違いの弟に当て馬にさせられることもなく、人間性をアテにしていたじいちゃんの弟の孫()に背を刺されることもなかったはず…
ただ、常に誰かの傀儡で居続け、実権もなく、才能もなく、子孫もなく、自尊心も失ったドン底の兄ちゃんに束の間の希望を灯してやることもできなかったけど
19 ななしのよっしん
2023/02/27(月) 02:57:32 ID: hposGd6+AY
>>16
司馬 の項目に司馬一族が大量に羅列されてるので暇があったら一度見てみると良いかも
20 ななしのよっしん
2023/07/21(金) 21:13:50 ID: xxtDQrXV3i
司馬Guy
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最終更新:2024/11/23(土) 11:00
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