掃海艇とは、海中に敷設された機雷の排除を目的とした艦の艦船分類である。
水中に敷設され、艦船を攻撃する機雷が本格的に使われ始めたのは日露戦争からだった。この戦い以後、各国は機雷敷設とその排除のための艦艇について装備を始めることとなる。
機雷の作動(爆発)方法も様々で、接触タイプ(直接、あるいは水中に張り巡らしたワイヤー)、感応タイプ(磁気・水圧・音響)など様々なタイプが生まれた。最近では「インテリジェント」、「スマート」…なにやらPCの周辺機器のような名前が前につくこともあり、これは複合センサーや複数条件で作動するタイプを差している。(どちらかというと、「スマート」は狡賢い、「インテリジェント」はより高度な、という意味合いらしい)変り種としてはアメリカのMk60 CAPTER機雷(動作条件に基づき魚雷が発射される)というシロモノもある。
こういう機雷の間近で排除作業を行うため掃海艇は磁気対策のために船体が鉄ではなく木製が望ましいとされ、各国の多くが木造艦だったりする(最近は変わりつつある…後述)。無論、木造艦であるため小型ということもあり、支援母艦として大型艦を用意する場合もある。この場合、掃海母艦というカテゴリーに属する場合もあるほか、掃海だけではなく機雷敷設も目的としていることもある。
機雷の排除方法は何通りかあり、水中処分員(EOD)が直接機雷に接触して無力化する方法(無力化、あるいは爆破、もしくは位置を固定して機銃で爆発させる)、水中航行処分具…遠隔操作で排除する水中小型ロボット…などを使って排除するなど色々な方法がある。その時の海面の状況などをふまえて適切な処分方法をとる必要があるため、経験が必要な困難な任務ともいえるだろう。
太平洋戦争で日本が敗北した理由の一つに、近海にいたるまで海上交通路を機雷で封鎖されたためというのがあった。B-29より敷設された機雷により日本は海外からの物資搬入も難しくなり継戦能力を失った。
1952年までの間にこれら敷設機雷による損害は
旧海軍艦艇 5隻沈没 8隻損害 合計 13隻 1万2千トン
一般船舶 85隻沈没 67隻損害 合計 152隻 18万7千トン
人員被害として死者1,300名、負傷者400名という話が残っている。
戦争終結とともに日本海軍は解体されたが、掃海隊のみは存続を許され、戦時中に米軍が敷設した未処分の感応機雷約6500個と、日本海軍が敷設した係維機雷約55000個の除去作業に従事した。この業務は海軍省→第二復員省→第二復員局→海上保安庁→警備隊へと引き継がれ、昭和29年の防衛庁発足とともに海上自衛隊に移管され、現在に至っている。[1]
掃海にあたった旧海軍掃海部隊は死者77名、負傷者200名という犠牲を出しており、まさしく終戦後も戦いは続いていたことを残す記録といえるだろう。ただ、このような状態だったため海軍廃止下にあっても海軍に重要な人材の保護が出来たという側面は確かにあった。(詳しくは海上自衛隊の項を参考のこと)
当時、朝鮮半島東側へと上陸するにあたり大量に敷設された機雷を掃海する必要にせまられた連合軍(米軍)は、日本対して掃海部隊の派遣を要請(というか命令)。吉田茂首相は法的に問題があるのは重々承知の上、25隻からなる掃海艇部隊を派遣することになる。
この時の出発にあたる時の海上保安庁長官の訓示を残しておく。
「日本が独立するためには、私達はこの試練を乗り越えて国際的信頼をかちとらねばならない。
諸君の門出にあたって岸壁に日の丸を振る人はいないけれども、
後世の日本の歴史は必ず諸君の行動を評価してくれるものと信ずる。」
この任務中不幸にして1隻の掃海艇部隊が触雷し沈没。戦死者1人、負傷者18名の損害を出した。この戦死者の存在や氏名については箝口令が出され、1972年にようやくその事実が公開されることになる。
(また、同時に参加していた米軍にも損害が出たことなどにより動揺した3隻が命令不服従で勝手に離脱するという事件も起きたことも書き残しておく必要があるだろう)
このように終戦後も機雷掃海任務を続行していたため、日本の掃海艇は日本近海任務が主体でありながら木造艦の新型艦艇が次々と設計・建造されることになっていき、湾岸戦争後、また掃海艇部隊が海外派遣されるまで続くことになる。
日本の掃海技術は世界でも有数…という話があるが、これについては湾岸海域での機雷掃海任務を指揮した落合海将補に言わせるといささか身びいきが過ぎる話ではあったようだ。
海上自衛隊が対応していた機雷の多くはその状況と任務上太平洋戦争当時ので、その後長足の進歩を遂げた機雷についての対応があまりよいものとはいえなかったらしい。装備としてみると欧州各国海軍のほうが(かなり)進んでいたともいう。
また海上自衛隊が良くも悪くも正面装備に力をいれて掃海艇にあまり予算を振り分けることがなかったということも一因にあるという。
とはいうものの、このような事情をうけて湾岸への派遣後、日本でも水中航行処分具の充実化、掃海艇の大型化が進むことになったという。
(無論、人材としての評価は別である。任務に派遣された隊員は現地で問題を起こすことなく、普段活動している海域とはまったく異なる過酷な湾岸海域において精力的に任務にあたり、損害を出さずに帰還できたことは精強さを表す一つの結果であるといえるだろう)
このように近代化、大型化の流れは続いており、とうとう「ひらしま」型掃海艇では570トンという世界最大級の木造艦艇となった…もっとも、木造船の建造技術をもつ日本といえども技術の継承という点では難しく、諸外国と同様に木造掃海艇を諦め、2008年度計画艦の「えのしま」以降はFRP(繊維強化プラスチック)で建造されている。
元々鉄鋼を使った艦艇では磁性を帯びる問題もFRPでは(内部機材の問題はあるにしても)ある程度はクリアできるためである。
掃海艇を支援・機雷敷設を目的とした「うらが」型掃海母艦は「うらが」「ぶんご」の二隻が配備されている。
「うらが」型掃海母艦は大型掃海ヘリであるMH-53Eの運用などのためヘリコプター甲板が大型化されるだけでなく母艦能力、掃海用具、機雷、あるいはMH-53Eを格納できるだけのサイズのある大型の格納庫(ただし整備施設はない)や掃海艇への補給用のクレーンなどをもつため、災害派遣時の物資輸送などに使われることもある。
余談だが、海上自衛隊の特徴としてこのような補助艦艇で色々と新技術を試すケースがあるようで、「うらが」型のマスト・上部構造物の一部などはステルス性を考慮した形状になっている(もっとも、本格的なものではない)。
※うらが型掃海母艦は概要で述べられている機雷敷設能力も併せ持つ種類の艦。
※掃海管制艇は他の掃海艇が装備する掃海装置一式が無い替わりに遠隔操縦式掃海具SAM(Self-Propelled Acoustic and Magnetic Mine Sweep)を各艇2台とその操縦装置を搭載している。掃海具と言っても全長18mの大きさ。(他の掃海艇が搭載する複合型作業艇は4.9m級)SAMの保有・運用能力を持つのは第101掃海隊の掃海管制艇のみ。
※掃海隊群は護衛艦隊と異なり自衛艦隊直隷下であり、各地方隊は自衛艦隊とも異なり海上自衛隊直隷下という違いがある。
海上自衛隊
┣ 自衛艦隊 ━ 掃海隊群
┗ 各地方隊(横須賀地方隊、舞鶴地方隊、大湊地方隊、佐世保地方隊、呉地方隊)
┗ 掃海隊
掲示板
13 ななしのよっしん
2015/01/08(木) 18:51:11 ID: cdco3aRLjZ
>>11
当時主力だったS-4掃討具が時代遅れなのは分かるけど、後継のS-7もあかんかったの?
14 ななしのよっしん
2015/02/18(水) 23:18:02 ID: woOima/TEZ
第42掃海隊(阪神基地)と第43掃海隊(下関基地)の
現在の所属艦艇がよく分かりませぬ。
ご存じの方、記事の表を見直してください。
15 ななしのよっしん
2019/06/27(木) 22:31:09 ID: NLnvRI+Foy
https://
のとじまのおしりが……
木製だけど修理費は高め、低めどっちになるのかな?
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/27(金) 00:00
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