東アジア反日武装戦線 単語


ニコニコ動画で東アジア反日武装戦線の動画を見に行く

ヒガシアジアハンニチブソウセンセン

2.3千文字の記事

東アジア反日武装戦線とはかつて存在した活動家の団体であり、新左翼系のテログループである。
冗談みたいな名前だが実在した。

概要

学生運動全盛期から衰退に至る1970年法政大学で大寺将という人物が開いた勉強会が始まり。学生運動終焉と共にこの勉強会は解散するが、大寺をはじめとした一部メンバー研究会を開くようになる。これが後の東アジア反日武装戦線である。

彼らは他の新左翼過激派べると大幅に毛色が違い、マルクスレーニン義的な思想を前面に押し出し行動を取ったり、閥ごとでの闘争に躍起になったり、や現金の強奪に走るようなことはしなかった。

そのかわりに彼らは過自虐史観や、太田という思想の説いた窮民革命論(日雇い人夫や被差別民のような底辺階級による革命)を下敷きにした「反日論」と呼ばれる他に類を見ないほど過な思想のもと、一般市民に偽装して社会に紛れ込みながら闘争を行う地下ゲリラ組織として活動していたのである。

その思想の過さはすさまじく、有名な教育用冊子『時計』では普通生活する日本の一般市民(中流・下流層)も潜在的に侵略に加担する日帝構成員であると糾弾するほど。

名称は記事名の通りだがあくまで「反日闘争のための共同戦線」という意味合いで付けられたため細かいグループ名があり、最初に立ち上げたグループが『』と名乗り、その後『さそり』『大地の牙』などが合流した。(は資本家や金持ち階級に虐げられている貧乏階級や労働者を虐げられて絶滅させられた日本になぞらえたもの、さそりは小さいグループで多数の資本家を倒す様から、大地の牙は資本家向かうイメージから)。

1971~72年頃から『』はいわゆる十五年戦争アイヌモシリ(北海道)への侵略行為の徴的なモニュメントおよび施設を爆破していたが、はじめて本格的な闘争を行ったのが1974年8月14日昭和天皇お召し列車爆破計画(作戦)だ。
この計画では東北本線爆弾を仕掛けてお召し列車ごと爆破する予定であった。だが、決行前に現場のに現れた不審者を『』のメンバーが捜官だと思い込み、導爆線を回収したため計画は未遂に終わった。
(そもそもお召列は東北本線ではなく並行する東北貨物線を走るダイヤだったため、たとえ爆破に成功しても昭和天無事であった)

その半月後に『』は韓国朴正煕大統領暗殺未遂事件に呼応し、作戦で使用する予定だった爆弾を使い三菱重工本社ビルを爆破。
威力過剰な爆弾を用いたために死者8名、負傷者376名という彼らが予想した以上の大惨事を引き起こす結果となった(三菱重工爆破事件)。そして事件後に『さそり』『大地の牙』が合流し、1975年5月まで企業6社、8箇所での爆破事件を引き起こすこととなる(連続企業爆破事件)。

その犯行明や闘争の内容が他の過激派べて独特であったことから、公安警察は上述の太田シンパに犯人がいると推測し捜を行っていった結果、1975年5月の東アジア反日武装戦線のメンバーは一斉逮捕されることとなった。

その後の裁判でグループの中心人物であった大寺と片岡利明は死刑を言い渡されている。

1975年の一斉逮捕メンバーのほとんどは逮捕され中もしくは鬼籍にあるが、75年以来指名手配を受けたまま捕まっていない者や、逮捕後に日本赤軍テロによって釈放され日本赤軍へと合流した者も居る。

腹腹時計

東アジア反日武装戦線が1972年に地下出版した、有名な反日ゲリラ教育用の小冊子。
正式名称「時計 都市ゲリラ兵士の読本Vol.1」。

前述の過反日思想や窮民革命思想の解説に加え、連合赤軍などの先駆者達の失敗を研究した上で構築した独自の都市ゲリラ戦略中学生程度の科学知識でも作れる手製爆弾の作り方など、多岐にわたるゲリラ戦の手引が記されている。
前半に書かれている反日思想は全く評価されていないが、後半の実戦的な分野については評価が高く、右翼ですらこの本を高く評価する者が居るほどである。

現在爆弾の作り方と仕掛け方を記した部分を除く全文がインターネットに書き起こされて掲載されているので、試しに読んでみるの良いかもしれない。

多くの創作で手製爆弾製造の教科書として用いられているため、おそらく現在では著者の東アジア反日武装戦線以上に知名度があると思われる。

模倣犯

反日帝国義を掲げる過激派にとってはある種の義士的な性格を持つ組織だったこと、過激派たちの間で窮民革命論自体が普及していたことから、東アジア反日武装戦線名義や彼らのグループとの関連性をほのめかすような名義を名乗り企業や寺社への放火・爆破を行う模倣犯も数多く出現した。

特に北海道アイヌへの迫問題や同化問題、開拓時代におけるアイヌ強制徴用への断罪として爆破事件や放火事件が相次いだ。その中でも最悪の事件といえるのが1976年北海道庁爆破事件である。
東アジア反日武装戦線を名乗る者の手で庁1階ロビーにしかけられた爆弾により、死者2名・負傷者80名を出す惨事が引き起こされ、犯人(ただし冤罪の可性が濃厚)には死刑判決が言い渡されている。

もちろんイタズラ的で東アジア反日武装戦線を名乗る馬鹿者も数多くおり、小学生数人が『丸の内』を名乗り警察爆破予告電話を入れて、警察のお世話になったなんてこともあったと言う。

関連動画

おもな東アジア反日武装戦線が起こした事件

この他模倣犯による爆破・放火事件も多数ある。

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/08(月) 14:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/08(月) 13:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP