茨城県立カシマサッカースタジアムとは、茨城県鹿嶋市にあるサッカー専用スタジアムである。
Jリーグの鹿島アントラーズが1993年よりホームスタジアムとして使用。
カシマサッカースタジアムやカシマスタジアムという略称で呼ばれることが多く、こちらの名称のほうが一般的になっている。
茨城県立カシマサッカースタジアム Kashima Soccer Stadium |
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基本情報 | |
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所在地 | 茨城県鹿嶋市 |
開場 | 1993年5月4日 |
所有者 | 茨城県 |
使用チーム | 鹿島アントラーズ |
収容能力 | 40,003人 |
グラウンドデータ | |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 115m×78m |
経歴 | |
競技場テンプレート |
日本で初のプロサッカーリーグであるJリーグ創設の機運が高まっていた1990年、茨城県を拠点に活動していた住友金属蹴球団が、Jリーグへの参加を表明したことをきっかけにスタジアム建設の計画が立ち上がっていた。
当時、Jリーグ側から住友金属工業蹴球団がJリーグに参入するには「1万5000人以上収容可能な本拠地スタジアムを、平成5年春の Jリーグ開催までに確保すること」という田舎のクラブには無理難題な条件を突きつていたが、当時の茨城県知事・竹内藤男は県としてスタジアムの建設を確約。建設予定だった3000人規模のサッカー場を、茨城県はJリーグ規格に適合する専用サッカースタジアムに計画を変更して建設することになった。
こうして、日本初の本格的な設備を有する15,000人収容のサッカー専用スタジアムが茨城県の田舎町に誕生する。1993年5月のJリーグ初開幕に間に合わせるため着工から竣工まで、約1年という突貫工事で建設され、茨城県は82億円を拠出している。ヤムチャしやがって・・。
1993年5月4日に完工式とこけら落としとして鹿島アントラーズとフルミネンセFCのプレシーズンマッチが開催。ちなみに初ゴールを決めたのは、スタジアム計画にアドバイザーとして関わったジーコだった。
このときのスタジアムは、敷地約4ヘクタール、天然芝のフィールドは105×68m、主要構造部は鉄筋コンクリート造でスタンドの最高高さ19.41mの地上3階建ての全面屋根付き一層式スタンドだった。
1996年に2002 FIFAワールドカップ 日韓大会の開催地に茨城県が決定。それに伴いスタジアムの改修事業が決定。国際試合にも対応できる施設として、1998年10月に改修工事に着工、2001年5月15日に竣工という今度も2年8ケ月の突貫工事で完成。こうして、カシマスタジアムは40,728人収容できるスタジアムへ生まれ変わった(その後、更なる改修によって現在は40,003人となっている)。
2002 FIFAワールドカップではグループリーグの3試合が開催。以降も鹿島アントラーズがホームスタジアムとして使用しており、鹿島アントラーズの試合の他にサッカー日本代表の試合等国際試合で使用することもある。
2011年3月11日の東日本大震災によってスタンド階段部分崩落などの被害を受ける。これによって一時は使用不能となったが、2012年3月には完全復旧となった。
鉄筋6階建て、2層式スタンドに40,003人を収容し、メインスタンドは東向き(西側の鹿島サッカースタジアム駅側)、バックスタンドは西向き(東側の国道51号側)に配置。車椅子の観戦席が100席バックスタンド側にあり、国際試合に対応できる諸設備が備わる。
スタンド上に楕円形で波打つ形状の屋根が客席の3分の2を覆い、南側と北側の2階席に縦9.6 m×横19.2 mの大型映像装置を備えている。
スタジアム敷地内にはカシマサッカーミュージアム(2004年4月4日オープン)が併設。鹿島アントラーズの軌跡や、2002 FIFAワールドカップ開催を記念した写真パネルやサイン入りユニフォームなどを中心に展示されている。
また、スタジアム前には鹿島アントラーズの発展に大きく貢献してきたサッカーの神様ジーコの銅像が建立されている。
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最終更新:2024/10/10(木) 05:00
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