SCP-2513とは、シェアード・ワールド『SCP Foundation』に登場するオブジェクト(SCiP)である。
| SCP-2513 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| OC | Euclid |
| 収容場所 | ラグーザから7km北 |
| 著者 | Blarghalt, Doctor Cimmerian |
| 作成日 | 2015年1月11日 |
| タグ | 人工 構造 歴史 精神影響 |
| リンク | SCP-2513
|
| SCPテンプレート | |
SCP-2513はイタリアはラグーザという町の7km北にある石橋である。元々はローマ共和国によって建設された橋で、ラグーザ歴史協会が復元したものだが、年月のために崩壊の顕著な兆候を見せている。逆に危ないために保護目的で自然保護区に認定することで、財団は民間人の接近を禁止できるので都合は良いようだが。
この橋を南から北に向かって渡るとき、その人は紀元前146年まで現在のチュニジアに存在していた都市国家・カルタゴ共和国への不自然かつ不可解な憎悪の念を引き起こす。このとき、事前にカルタゴについての知識を有していない場合は北アフリカ中央部やその地点の現在の住人への全般的な嫌悪感という形で発現する。アフリカ大陸を全く知らない人にはこの効果はどんな形でも発現しない。しかしカルタゴについて知らない人に、「カルタゴっていうのは~」と教えてあげると途端にカルタゴへのヘイトを行うようになる。なんなら「カルタゴからきました」「カルタゴは存在する」というフレーズのごく少ない情報からでもカルタゴへのヘイトを喚起するようになる。
効果は基本的には時間とともに減衰するものの、完全に除去するには記憶処理も無効であり、唯一「橋を北から南に渡る」ことで影響を完全に除去することができる。
SCP-2513は紀元前253年、ローマ共和国によって、シチリア島におけるいくつかの戦闘を行うローマ共和国支援のためにラグーザ住民が渡ることを容易にするためのものであった。しかしこの橋を渡ってきたカルタゴ軍にラグーザ住民は一度忠誠をうつし、その後紀元前251年に再び忠誠をローマ共和国に戻した。他の地域と異なり、ラグーザは忠誠を移したのはこれがラストである。
その後、この橋はラグーザ住民が使う主要な手段ではなくなり、1693年にシチリア地震で崩落すると、ウィンセンティウス・ボナユトゥスによる覚書を除いてはこの橋の記録は存在していない。しかしこのボナユトゥスが執筆した未発表論文には、カルタゴ復活の危険性を訴えるものが存在していた。これが記録最古のSCP-2513によって喚起されたカルタゴへのヘイトであると財団は考えている。
実験記録でも、北端に置かれたハンニバルのプラスチック胸像を「兄貴の仇」として破壊する(なおその人に兄弟はいない)、「カルタゴがもう存在しないと聞いてチュニス(チュニジアの首都)に核を落としたいと希望する」「橋の南端で『私は生粋のカルタゴ人です』というメモを読んで怒りながら橋を戻ったが、戻る途中にヘイトが消え失せた」となかなかシュールな記録が残っている。財団は、橋に使用されているローマ神話の神ヤヌスの彫刻がSCP-2513の異常性の元なのではないかと考えている。
さて、この実験に、財団からの雇用から外れることを間近に控えたニューマン研究員がいた。彼は、「最後どうせやめるからSCP-2513の長期的な影響を私で調べてみませんか?」と持ちかけたのだ。
もうめちゃくちゃである。この実験後、このニューマン研究員は橋をわたり直し、雇用が終了した。今のところさらなる反カルタゴ感情は発見されていない様子。
ローマ共和国といえば、カルタゴに幾度となく戦争で苦しめられており、カルタゴ占領後はとにかく侵略の報復として都市と城壁はすべて焼き払われ、市民は奴隷とされ、更に畑には草一本生えないように塩を撒かれたとまで言われている(とはいえ、当時塩は貴重品なので現在の歴史学者からは史実とは見做されていない)。マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カトー)が、第二次ポエニ戦争の後、何を話すにも最後に付け加えたという有名なフレーズを引用しておこう。
SCP-2513
Also, Carthage Must Be Destroyed
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最終更新:2025/12/17(水) 06:00
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