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1 ななしのよっしん
2010/09/19(日) 18:28:59 ID: qDXi6WOEEN
この人はもっと評価されるべき
2 第4帝国の国民
2011/07/19(火) 13:13:11 ID: FVDPdIDMUS
>>1
激しく同意ですな。木村提督みたいな人がもっと海軍にいれば、もう少し戦局を良い方法へ動かせたかも。たぶん。
アンビリーバボーで紹介されていた、駆逐艦「雷」艦長の工藤艦長と英国海軍兵救出エピソードももっと評価されてもいいはず。
3 ななしのよっしん
2011/08/18(木) 16:40:46 ID: rBW52oDxJB
木村昌福提督の真骨頂は大成功を収めたキスカ島撤退作戦よりも、ミンドロ島沖海戦終了後の沈没艦乗員救助にあるよね。
4 ななしのよっしん
2012/04/19(木) 10:50:32 ID: rk/ne3dSq5
いやあ、どっちも豪胆さゆえの細心というカラーが良く出たエピソードでしょ。
臆病者であれば身内からの批判を恐れて突入していた。
臆病者であれば救助よりも退避を優先させてた。
もちろんただ豪胆なだけじゃなく、ぎりぎりの計算をした上で内心危うく思いながらの決断なんだろうけれど
その内心を部下たちに悟らさせず泰然と構えている、まさに豪胆と言うべきか。
自宅では単なる酒飲みおっさんで家族も赫々たる武勲を知らなかった、というあたりはオチもついていい感じではあります
5 ななしのよっしん
2012/10/30(火) 19:48:24 ID: KGxQbrbP64
ミンドロ島沖海戦での喪失は駆逐艦清霜のみですので、攻撃後に1隻沈没は誤りです。つまり、木村司令は最初の空撃で沈没した清霜の乗員を帰りに救助したわけです。
6 ななしのよっしん
2012/11/29(木) 10:44:39 ID: uEb1nbtJu3
木村中将もそうだが、日本軍で優秀と評される軍人はいい意味で一癖も二癖もある人が多いね。
7 ななしのよっしん
2013/05/06(月) 01:44:22 ID: rWjoupcO07
「帰ればまた来られる。帰ろう。」
キスカ撤退作戦、霧が発生しないため一時帰投の際の言葉。
8 ななしのよっしん
2013/06/23(日) 16:23:39 ID: xB1QGsQYhl
>>1
マジでもっと評価されるべき人や……
ミッドウェイ海戦での機関故障のやりとりを追加してほしい
9 ななしのよっしん
2013/08/12(月) 20:50:16 ID: JNseTDNVjt
最終階級というかこの人の中将昇進は1945年11月1日付
少なくとも日本海軍では最後の中将昇進のはず
ハンモックナンバーからは考えられない出世、ではあるんだなあ
10 ななしのよっしん
2013/08/13(火) 22:41:52 ID: /pzfSkJcWe
>>7
「帰ろう、帰ればまた来られるから」で記事ができてる
11 ななしのよっしん
2013/08/14(水) 21:30:12 ID: XD10xhjlrM
こういうタイプの人は不遇な人生を送るか非業の死を遂げるかのイメージあったんだが、晩年の様子を知って何だかうれしい気持ちになった
12 ななしのよっしん
2013/08/26(月) 02:34:31 ID: qDXi6WOEEN
こういう形で注目される時が来ようとはなw
13 ななしのよっしん
2013/09/06(金) 14:09:59 ID: S1l23EyiwT
14 ななしのよっしん
2013/09/13(金) 02:18:15 ID: DCOt1R2Ysx
>>8
その話も良い話なんだけど、残念ながら公式記録になくて史実かどうかの確認ができない。
15 ななしのよっしん
2013/09/20(金) 15:59:34 ID: KGxQbrbP64
>>8
「鈴谷」艦長時代の話だね。衝突事故を起した最上、三隈を置き去りにして離脱を図ろうとする第7戦隊旗艦「熊野」に対して「我レ機関故障」と偽り故意に落伍、三隈の救援に戻った。
なお、先に救援に駆けつけていた第八駆逐隊(朝潮、荒潮)は鈴谷が戻ってくるとは思っておらず、鈴谷を敵艦と誤認して「敵艦見ユ」の報告を上げている。
ちなみに第7戦隊の司令官は、かの栗田健男少将である。戦線離脱後に謎の無線封止を行った為、一時連合艦隊司令部で所在を確認できず行方不明になってしまった。
16 ななしのよっしん
2013/09/20(金) 19:19:38 ID: xHYlL0CryR
三隈救援の話は本当かどうかわからないんだよな
愛宕の戦闘詳報に最上と三隈の衝突した件について書かれているけど、鈴谷が合流したという記述がないし、艦隊が収容したのは最上、朝潮、荒潮の三隻になっている
17 ななしのよっしん
2013/09/21(土) 00:30:19 ID: 8jsvqvNUvU
>>15
栗田さん、本当に評価ボッコボコだな…
でも総司令として旗艦を無事に撤退させるという責任もあるから辛いところだな
18 ななしのよっしん
2013/09/22(日) 09:45:35 ID: J+8De4Kev8
待つ事ができる将、退く事ができる将はやっぱり名将なんだな
孫子も真の名将は、強い敵を倒す将ではなく確実に勝利する将
だって言ってるし
19 ななしのよっしん
2013/10/04(金) 19:42:43 ID: Jk6gdnTpC4
春秋や三国時代の史書でも、本当に出来る将は地味な戦いをし、勝利している。
20 ななしのよっしん
2013/10/10(木) 09:21:58 ID: kyWhBqhhN+
>>19
有名どころでも孔明も北伐は待ちながらも勝つという戦の連続だしな。
演義のスーパーマン振りでアレルギー感じてdisられてけど、国力が劣る蜀が曲りなりとも魏に対抗出来たのは地の利と戦の機敏を読めたから。木村提督もそうだし孫子の兵法の本質を実践してるんだよね
21 名無しさん
2013/10/24(木) 04:27:58 ID: n/5bICaOIE
終戦後昇進の人ってこの木村提督以外にも、海上護衛総隊の大井篤とかなかなか癖のある人ばかりだよなあ
22 ななしのよっしん
2013/10/26(土) 12:50:05 ID: rk/ne3dSq5
人事権持ってた最後の海相が、これで最後だからと自分なりの価値観でいろいろやりまくったからね
木村さんの中将昇進もこれまで充分な評価をしてこれなかった分の清算ぶんとしてやったみたいだし
23 ななしのよっしん
2013/11/17(日) 13:02:07 ID: SNDIc4bymh
24 ななしのよっしん
2013/11/18(月) 01:36:27 ID: rk/ne3dSq5
木村昌福は海軍兵学校第41期卒業で、このクラスの最終階級は中将が最高位。
海軍の昇進は基本的に尉官まではほぼ横並びで、佐官で出世に差がつく。そんでもって兵学校席次と勤務成績で年1回の昇進があるかどうか決まる。
木村昌福が大佐への進級を果たしたのは1937年で、このクラスで早い組は1934年にはもう大佐に昇進している。クラスは席次と勤務成績で5段階に別れるため、37年大佐組は41期の中ではかなり遅い方。
本来佐官から将官への昇進はハンモックナンバー下位にはかなりの難関なんだけど、太平洋戦争勃発で既に有能な水雷屋としての評価が固まってたのと同期の引き立てでクリア。
中将への昇進も「将に将たる者」の資格が問われるってことでこれまた難関なんだけど、上述の通り最後の海相が昇進させちゃった。
本来ならこんだけ大佐への進級が遅れると下のクラスの成績上位者に追い抜かれて予備役送りになるのが普通なんだけど
そうなる前に日米開戦不可避となり、現場で光るタイプの彼が出世できた、と。
25 ななしのよっしん
2014/01/06(月) 22:28:24 ID: GxdYWNTjZ4
まあ、この人に限らずどの国の軍人でも基本戦争中は出世が早いよ。
実践で輝くこともあるけど、大抵は前線で闘ってる指揮官は消耗が激しいからだけど。日本も優秀な司令は南方で数多くやられちゃったし
26 ななしのよっしん
2014/02/12(水) 09:13:49 ID: kyWhBqhhN+
実際戦中だとどんどん艦長が若くなってる。駆逐艦や潜水艦なんて消耗率激しいからwikiでもめぼしい艦の艦長歴見てググるとホントに若い少佐や中には大尉が艦長になってるケースも日米両方で珍しくない(民間の三等航海士が駆逐艦長になった物語もあるくらいだし)
27 ななしのよっしん
2014/04/26(土) 12:03:01 ID: FCPq0MchAI
晩年の塩製造は国が製造を管理するようになったから経営できなくなったらしいね。そういう意味では>>11のいう不遇な最期だったのかもしれない
28 ななしのよっしん
2014/05/01(木) 09:15:49 ID: kyWhBqhhN+
>>27
後は高度経済成長期に突入したの(≒港湾開発)と安価な輸入工業用塩化ナトリウムに押されたのが経営畳まざるえなくったみたいです。
それでもちゃんと部下の再就職斡旋して、自身が癌になったから医大教授だった義弟さんに「世の中の役に立つ」って手術依頼したあと亡くられたから本人としては「やるべき事を成した」一生だったんだろうな
29 ななしのよっしん
2014/05/01(木) 11:48:30 ID: TIwHcr9LHF
まあ軍人恩給が1953年に復活したことで、
とりあえず部下たちの最低限の生活保障をしたいという
塩業に手を染めた当初の目的は達成できた訳ですしね
そして何よりも、家族の元にちゃんと帰ることができた。
英雄の成れの果てとか敗戦で人格壊れた元軍人とか自らを罪人として裁き続ける人としてじゃなく、
家族想いのひとりの父親として、ちゃんと帰ることができた。それが一番だと思うのです。
30 ななしのよっしん
2014/10/12(日) 23:57:58 ID: KcYCx18b8F
防府市に転勤して三年、この人がいた街であることを初めて知った。
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