255
61 ななしのよっしん
2014/05/08(木) 21:52:55 ID: uRxIWQWmOg
関ヶ原の戦いって実際は淀君・家康vs高台院・三成だよね
淀君の縁者はだいたい家康の味方で、淀君の態度も西軍に勝ってほしくないと言わんばかりだ
>>58
大将の裏切りは武略だし、ちゃんとした手続きを踏んで裏切っているから問題ない
それに利のあるほうに就くのが戦乱の世の武士の常道だろう
なにより秀吉が後を託した五大老は利家以外秀頼より長生きしているし、豊臣の一門衆ともいえる木下や浅野らも結局豊臣を見捨てたのだ
そもそも関ヶ原で家康が勝ったからといってそのあと確実に豊臣が滅ぶと予見した人物は当時ほとんどいない
もう一度一から勉強しなおして出直してこい
62 削除しました
削除しました ID: SQbdsmyewU
削除しました
63 ななしのよっしん
2014/07/15(火) 18:09:34 ID: /NGtVTbfwU
あまり知られてないが小早川秀秋は関ヶ原の後も大坂城に出入りしてる
豊臣秀頼の代理として行事に出席したりもしてる
関ヶ原の戦いからしばらくして小早川家の重臣同士が対立→出奔事件が起きてるが、ひょっとしたら小早川秀秋が加藤清正や福島正則のように関ヶ原の後も豊臣を支持したことで一部の家臣が不安に思ったのかもしれん
小早川家自体は関ヶ原では秀吉が監視役に送り込んだ松野重元を除いて重臣たちは東軍派だったようだが、その後の親豊臣派VS親徳川派はまた別問題なのがややこしい
64 ななしのよっしん
2014/08/24(日) 19:39:30 ID: S7oKACp93c
>>61
ちゃんとした手続きとは言いがたいかな
賤ヶ岳の前田利家や関ヶ原の毛利吉川は勝ち馬に乗って裏切るなんてことはせず、終始傍観に徹していることからわかるように、交戦中の味方を裏切るのは当時でも信用を落とす行為だったからおいそれとはやらなかった
まぁ秀秋の場合開戦前から寝返る気配濃厚だったからこそあの配置なわけで、両軍から見れば寝返るのは予定調和と見ることもできる。もっというなら最初から東軍所属という見方すらできる。
ただ実際に西軍に攻撃を加えたという事実を当時も現代も第三者は概ね良い方向には評価していない
65 ななしのよっしん
2014/09/13(土) 18:28:15 ID: JdEU6hPwlK
>>64
でもちゃんと事前手続きを踏んでいるのだから誉めらた事ではないにしろ責められることでもないだろう
小山田信茂や明智光秀みたいに突発的に裏切り・謀反をしたわけではない
それに家康には秀頼の名代で軍を動かす五大老筆頭という大義名分があるのに対し、三成は私党を組んだ元五奉行のひとりでしかない
しかも豊臣本家は表向きこそ中立だが、三成の書状にサインしたり家康の大義名分を取り除いたりしなかったのだから本心では家康支持とみなしてもよい
だから豊臣の枝葉に当たる秀秋にとって西軍に居続けるのはまずい
西軍を裏切り事や東軍への鞍替えを考え、それを行うのは当然である
あと毛利輝元を大阪城から一歩も出さず、西軍の書状へのサインを徹底拒否した淀君こそ真の東軍勝利の最大の功労者に違いない
66 ななしのよっしん
2014/10/05(日) 12:19:04 ID: ktIZR2KhJM
まあ毛利吉川が最初から殺る気まんまんならもっと手っ取り早く終わったし、その場合は秀秋も「ボカァ最初から西軍ですから」って顔で家康に攻撃したろうし
一番悪いのは毛利本家だという事実を隠すために端物の小早川にフィーチャーするという側面はある
67 ななしのよっしん
2014/10/15(水) 22:32:21 ID: 4t6zpZ9ThO
毛利は大軍率いても戦わずグダグダに終始し、減封
一方、島津は少数精鋭で奮闘、徳川の追撃を退けつつ更に戦果も挙げ、本領安堵
戦後の外交でも雲泥の差
68 ななしのよっしん
2014/10/22(水) 23:27:59 ID: JdEU6hPwlK
まあ毛利も、朝鮮出兵で大幅に疲弊したにもかかわらず有事の際は西日本の大大名として陪以上の国力差をもつ徳川と戦わねばならない、というかなり無茶な状況だったわけで
かりにもし広家が家康を攻撃して関ヶ原で勝利しても、家康の首を取って徳川軍を壊滅させない限り日本は乱世の泥沼に再突入することになる
そうなった場合、はたして毛利に乱世を戦い抜く国力があるのか、という問題になる
69 ななしのよっしん
2014/11/10(月) 22:18:19 ID: 0hsNBchtVv
誰がどう考えても吉川広家が正しかったようにしか思えないよね
三成に乗せられて戦ってたら、万が一関ヶ原で勝っても岐阜に逃げ込まれて秀忠が来ておわり
頼みの景勝はアホみたいな弱さで最上にしっぺ返し食らってるし、九州は黒田と加藤が無双してるし、輝元がなぜ西軍に勝算があると思ってしまったのか分からないレベル
家康が本気でブチギレてたら、毛利は長宗我部みたいに取り潰しどころか全員殺されてたまである
70 ななしのよっしん
2014/11/15(土) 16:57:58 ID: Ywkymepeq/
71 ななしのよっしん
2014/12/14(日) 11:08:29 ID: 3Hfb/huSug
戦国の武者は打算と裏切りの世界に身を置いてるが同時に身代を一か八かの博打に賭けることに美学を感じる生き物でもある
家康からすれば関ヶ原はそうした人生の集大成なんだろうな
72 ななしのよっしん
2014/12/16(火) 20:41:29 ID: zfcT/gPe4m
>>69
まあたとえ関ヶ原の相手が元就でも国力の差などから考えて十中八九家康が勝つんだろうけどね
家康が元就お得意の謀略が利く相手なら秀吉が策略でとっくになんとかしている
73 ななしのよっしん
2014/12/23(火) 08:59:21 ID: 2ZvwtJKpAv
西軍が勝った場合のシナリオがあるらしい
>>sm25116483
74 ななしのよっしん
2014/12/26(金) 22:29:32 ID: zfcT/gPe4m
家康が天下取らなかったら、三成や淀君のような虎の威を借りる狐か、毛利や宇喜多のような旧態依存の国人連合か、景勝や利長のような風になびく草の如き人物が天下人なっていたのかと思うとぞっとする
75 ななしのよっしん
2014/12/26(金) 22:37:51 ID: HuF3VHFbL2
76 ななしのよっしん
2015/01/20(火) 06:42:14 ID: gfNtK6eVAZ
まあ西軍が勝っていたとしても徳川みたいな何百年も続く安定した政権を樹立できていたかはあやしい
どっかで分解して戦国時代に戻っていただろう
77 ななしのよっしん
2015/03/02(月) 16:43:09 ID: zH2SvgeFhe
西軍が負けたのは挙兵に関する事前の連絡が全くなかったのが原因
西軍首脳部が家康を関東に留めてくれるだろうと期待した上杉に対しても挙兵の企ては知らされておらず、上杉は徳川を抑えることなく最上を攻撃した
78 ななしのよっしん
2015/04/05(日) 13:06:55 ID: ktIZR2KhJM
関ヶ原の時点では「秀頼に代わる実権者」が絶対に必要
たとえ関ヶ原に西軍が勝って、その立場に毛利・小西・宇喜多あたりのどれかがついても結局は大阪の陣になったろうさ
秀頼はそういう性格に育ってしまった
豊臣家の弱さと当主の自意識の高さの時点で詰んでる
79 ななしのよっしん
2015/05/16(土) 00:03:13 ID: 4t6zpZ9ThO
仮に関ヶ原で西軍が勝った場合
暗君無しの島津が五大老になってくれれば延命できる可能性だけはありそう
あとは黒田の隠居をなんとか味方につける
それ以外の格下大名家じゃ徳川家や諸大名へのけん制が効きそうにない
80 ななしのよっしん
2015/05/16(土) 00:18:00 ID: gDoxoRgOGB
関ヶ原を起こるに任せてる時点でもう豊臣政権存続の目ってないよね。
それをさせないための中央政権じゃないのかっていう。
81 ななしのよっしん
2015/06/05(金) 00:54:32 ID: o0P/X7wqBr
関ヶ原(アートディンク)
も解説に加えておくれ
82 ななしのよっしん
2015/06/10(水) 01:51:51 ID: vdhCEH/sn/
やはり秀吉の最大の弱点は親族集団の弱さにあった。秀次と秀秋を巧く処遇できていたら、関ヶ原の戦いは起きなかったんじゃないか。
それができなかったのはなぜかというのは、本能寺の変以上に日本史上の謎なんじゃないか(秀次と秀秋は暗愚とはいえなかったようだし)。究極的には個人的な才覚で最高権力者に上り詰めた秀吉の驕りと孤独が原因なのだろうが。
家康ら徳川側は、秀吉のそうした親族関係の弱さとそれゆえの対外展開策を反面教師として、強固な親族体制を築き鎖国政策をとったのだろう
83 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 13:24:51 ID: ktIZR2KhJM
よくそう言われるけど、秀頼をぶっ殺さずに養子組と両方生かしていたらそれはそれでいい結果には結びつかなかったんでないかね
そうでなくても豊臣恩顧の将は分裂しているし(家康についた連中と西軍は、べつに家康がいなくても超対立してる)、秀次と秀頼がいたら確実に秀頼派と秀次派で対立すると思う
家康が秀吉の立場だったら迷うことなく秀頼をくびり殺すだろうけど、その非情さがないから秀吉なわけだしね
84 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 13:34:00 ID: ijzrXWbbCr
>>78
そうなの?西軍が勝てば徳川も処罰できるし
石田を始め豊臣側の大名も生き残るから
別の要因で豊臣政権が崩壊するのはありえても
大阪の陣は起こりえないんじゃない?
85 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 14:05:42 ID: DaSwtq5MyB
>>84
関ヶ原の時点では東軍も西軍も豊臣家家臣なので、関ヶ原の戦いは建前上豊臣家内部の主導権争いに過ぎない。
なんでそんなことになったかといえば、秀頼が若年すぎるが故のトップ不在が原因。
トップが実質役に立たないからno.2の立場だった家康が強大な力を持つに至って、
それに前田家除く他の五大老と三成ら五奉行たちが反発したのが関ヶ原。
勝った家康はさらに権勢を強めて征夷大将軍になって豊臣家の家臣という立場から抜け出るんだけど、
西軍が勝って毛利家が家康の立場を手に入れたらやっぱり同じような経緯をたどって秀頼は取り除かれると思うな。
86 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 17:03:04 ID: R6Yyvjr7/x
>>85
という事は、「関ヶ原の戦いは石田三成が私利私欲の為に起こした戦である」という江戸時代の歴史認識も、あながち間違ってなかったという事だろうか?
もしそうなら仮に西軍が勝利していたら、いずれ毛利(石田三成?)vs豊臣家の戦が勃発していた可能性があったという事だろうか?
いや、しかしそれなら三成が淀殿と生前は互いに結託していたという事実はどうなるのだろう?
87 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 19:16:49 ID: DaSwtq5MyB
>三成が淀殿と生前は互いに結託していたという事実
限りなく怪しいなあ。これ出所どこ?
家康が上杉討伐に出発後に大阪で西軍が挙兵するわけだけど、
その際三成から求められた家康討伐を認める秀頼の証書の発行や秀頼直々の出陣を拒否して中立の立場をとってるし。
88 ななしのよっしん
2015/07/12(日) 20:15:10 ID: ktIZR2KhJM
誰かが悪いから関ヶ原が起きたじゃなくて、当事の日本の国体である「豊臣家」が全くまとまっていないからもう国体が存続できない
戊辰戦争と同じで、一回戦争起こして旧国体をぶっ壊すしか無い
べつに家康がいてもいなくても絶対に何らかの戦が起きて、秀頼は死ぬことになる
89 ななしのよっしん
2015/07/13(月) 08:23:55 ID: R6Yyvjr7/x
>>87
出所はブリタニカ国際大百科事典です。……やっぱりWikipediaと同じく信憑性の欠ける記事もあるのか、あのブリタニカでも。
90 ななしのよっしん
2015/07/13(月) 08:38:43 ID: R6Yyvjr7/x
>>88
つまり、
今際の秀吉「秀頼の事頼みましたぞ。」
五大老・五奉行・諸大名「(無理だろ)」
という感じだったという事かな?
という事は、秀吉死後でも豊臣を本気で守ろうとした武将は、福島正則や真田親子、大坂の陣に参加した五人衆くらいだったという事だろうか?
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。