サーバートン 単語


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サーバートン

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サーバートン(Sir Barton)とは、1916年生まれのアメリカ合衆国競走馬種牡馬である。

現代ではアメリカ競馬史上初の三冠馬として知られる。そして、生まれた時代が悪かったでもある。

三冠馬誕生

喉鳴りや脚部不安などにより安値でイギリスからアメリカ輸入されたStar Shoot(スターシュート)、Lady Sterling(レディスターリング)、は19世紀末リーディングサイアーを4年連続で獲得した大種牡馬Hanover(ハノーヴァー)という血統である。

1918年6月にアケダクト競馬場で行われた重賞・トレモンステークスデビューしたサーバートンは、翌年になるとケンタッキーダービーに挑戦した。

うん、手抜きに見えるかもしれないけど、ここまでで特筆すべきことはないのだ。なにせこのケンタッキーダービーに出走した時点での成績は6戦0勝2着1回(4戦の後に馬主が変わっている)と未勝利なうえ、前走である2歳最終戦フューチュリティステークス以外は全て大差負けという成績だったのである。

なんでダービーに出られたのかというと、本を購入したのがビリーリーというダービーの有力も所有していた馬主で、そのペースメーカーとしての出走だったためだ。

もちろんもサーバートンに期待なんかしておらず、前日の新聞には「賭けるのを検討することすら馬鹿らしい」と酷評されるほどだった。
しかし、スタートから先頭に立つと、サーバートンの脚色は最後まで衰えないどころか直線に入るとますます後続を突き放し、なんと2着ビリーリーに5馬身差をつけて圧勝してしまう。
ちなみにこのレース記録を見るとサーバートンは2番人気になっているのだが、これは欧においては馬主単位馬券が発売される制度(カップリング)があり、この場合はビリーリーと同一馬券にされたためである。

ダービーで初勝利を挙げるという大金星を成し遂げたサーバートンは一気にその才を開させる。続いて4日後プリークネスステークス逃げ切ると、返すで当時のレースだったウィザーズステークス勝。
さらにベルモントステークスレコード勝ちし、とうとうアメリカ競馬史上初の三冠を達成してしまう。

初めての三冠馬の誕生にアメリカ競馬界も大盛り上がり……にはならなかった。ケンタッキーダービープリークネスステークスベルモントステークス三冠レースとする認識が当時はなかったのだ。

ただし、この頃トップクラスの3歳戦と認識されていたレースのうちウィザーズステークスベルモントステークス勝利しているため、サーバートンは当時基準でもトップホースであるのは間違いない(残りのローレンスリアライゼーションステークスには未出走)。

ともあれこの年、サーバートンは13戦8勝2着3回3着2回と2歳時の成績がのように安定した成績を残し、年度代表馬に選ばれた。

ビッグレッドとの対戦

翌年、始動戦を4着に負けたり1勝を挟んで3着、4着と連敗したもののレコード勝ち2回を含む4連勝を成し遂げるなど、古になっても勢いが衰えないサーバートンは、連勝の余勢を駆ってマッチレースに挑むことになる。

それは、1歳年下でここまで20戦19勝と圧倒的な成績を残してきたマンノウォーとの対戦であった。
マッチレース100馬身差圧勝など数々の勝利ビッグレッドと呼ばれて調子に乗る後輩を倒し、さらなる名を高めるチャンスとなったこのレース、サーバートンはマンノウォーの1馬身後ろを追撃する。
しかし、全ての蹄が落ちるという不運に見舞われたこともあって最終コーナーから徐々に差を広げられ、最終的には7馬身差をつけられる敗を喫してしまった。

これで歯車が狂ったのか、この後3戦していずれも勝ち切れず引退種牡馬入りした。

種牡馬としてはケンタッキーオークス勝利したイースターストッキングを出したにとどまり、アメリカ陸軍の軍に転身。1937年死亡し、1957年アメリカの、1976年カナダ競馬殿堂入りを果たしている。ブラッドホース誌「20世紀のアメリカ名馬100選」では第49位。

また、1930年ギャラントフォックスが現行の米国三冠を達成し、遡ってサーバートンも三冠馬認定された。

“マンノウォーの噛ませ”

マンノウォーとのマッチレース敗したことによって、マンノウォー伝説刺身のツマ扱いされることの多い同だが、実は4歳時に破ったの中に「マンノウォー敵前逃亡させた」と言われるがいる。
そのの名は、生涯成績100戦50勝という規格外の戦績を誇るアメリカセン馬トップ3の一エクスターミネーター。この年、マッチレースを持ちかけられたマンノウォーオーナーが拒否したという噂もあるこのケンタッキーダービー先輩を、サーバートンは破っているのだ。

また、サーバートンが勝ったケンタッキーダービーで“役”だったビリーリーとは生涯12戦して8敗、敗戦した8戦合計で56馬身差をつけられているものの、大舞台では逆転勝利を収めている。
ちなみにこの2頭は両方とも殿堂入りしているが、ちょうどサーバートンらの時代から中長距離戦に流がシフトしたこともあって、スプリンターとして大成したビリーリー殿堂入りしたのは2015年になってからだった。

初代三冠馬でありながらマッチレースでの敗もあってアメリカ最強議論では補にすら挙がらないサーバートン。競馬もしもは厳禁だが、もしもマンノウォーへのリベンジマッチがあれば、マンノウォーを破るサーバートンの姿を見られたのかもしれない。

血統表

Star Shoot
1898 栗毛
Isinglass
1890 鹿毛
Isonomy Sterling
Isola Bella
Dead Lock Wenlock
Malpractice
Astrology
1887 栗毛
Hermit Newminster
Seclusion
Stella Brother to Strafford
Toxophilite Mare
Lady Sterling
1899 栗毛
FNo.9-g
Hanover
1884 栗毛
Hindoo Virgil
Florence
Bourbon Belle Bonnie Scotland
Ella D.
Aquila
1891 栗毛
Sterling Oxford
Whisper
Eagle Phoenix
Au Revoir

クロス:Sterling 4×3(18.75%)、Vandal 5×5(6.25%)

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