ダンシングキャップ(Dancing Cap)とは、1968年生まれの
アメリカ合衆国生産・
イギリス調教の競走馬である。
通算成績20戦5勝[5-1-3-11]
父Native Dancer、母Merry Madcap、母父Grey Sovereignという血統。
父ネイティヴダンサーはアメリカ二冠を含む22戦21勝でグレイゴーストのあだ名も持つ芦毛のアイドルホース。
母メリーマッドキャップは現在でもスプリントGIとして存在するジュライカップの優勝馬で14戦7勝。
母父グレイソヴリンは5~6ハロンのスプリントを中心に走り22戦8勝。
ダンシングキャップはデビューが遅れ3歳4月のニューマーケットでの未勝利戦でデビューしたが30頭立ての着外に終わった。
そのあと4着・3着・4着・3着と勝ちきれないレースが続いた。
初勝利を挙げたのは7月のケンプトンパーク競馬場での8ハロンのレースだった。
そのあとラナーク競馬場(現在は閉鎖)、レッドカー競馬場という競馬の中心地から離れたところで連勝を重ねた。
しかしニューマーケットでの7ハロン戦では着外に敗れた。
ヤーマス競馬場で4着のあとフランス・シャンティイ競馬場の遠征でのヴァンサンヌ賞(1300m)では2着と好走した。
この年は3月から始動したが、3連続で着外に敗れた。
6月には3着・4着と好走して、やはりマイナーな部類のノッティンガム競馬場の6ハロン戦で勝利し、メジャーな競馬場であるヨーク競馬場の6ハロン戦でも勝利を挙げることができた。
しかしドンカスター競馬場・ニューマーケット競馬場のスプリント戦では連続して着外に敗れ、この年で引退した。
通算20戦5勝。
引退後は以前から目を付けていた日本の生産者の稗田実が購入し日本で種牡馬として導入されることになった。
産駒傾向としては(年齢は現表記で)2~3歳戦でも好走しマイル戦に強くダートで走ることから一時期100頭以上の繁殖牝馬を集めた。1983年には総合リーディング15位、地方リーディング4位と好成績を収めた。
死亡年は1987年、19歳だった。
やはりこれに触れないわけにはいかないだろう。
オグリキャップの生年は1985年、つまりオグリキャップの母ホワイトナルビーへの種付けは1984年に行っている。これは前述の1983年のダンシングキャップ産駒が好成績を残したことを受けてのことだと思われる。ホワイトナルビー及びオグリキャップのきょうだいの馬主の小栗孝一は地方馬主だったので、地方で子を走らせるにはダンシングキャップは十分な選択肢だったのである。
オグリキャップはネイティヴダンサーの隔世遺伝とも考察されているが、当初は中央で走らせる予定はなく、もちろん後付けである。
| Native Dancer 1950 芦毛 |
Polynesian 1942 黒鹿毛 |
Unbreakable | Sickle | |
| Blue Glass | ||||
| Black Polly | Polymelian | |||
| Black Queen | ||||
| Geisha 1943 芦毛 |
Discovery | Display | ||
| *ダンシングキャップ Dancing Cap 1968 芦毛 |
Ariadne | |||
| Miyako | John P. Grier | |||
| La Chica | ||||
| Grey Sovereign 1948 芦毛 |
Nasrullah | Nearco | ||
| Mumtaz Begum | ||||
| Kong | Baytown | |||
| Merry Madcap 1962 黒鹿毛 FNo.1-g |
Clang | |||
| Croft Lady 1958 栗毛 |
Golden Cloud | Gold Bridge | ||
| Rainstorm | ||||
| Land of Hope | Court Martial | |||
| Little Britain | ||||
| 競走馬の4代血統表 | ||||
掲示板
1 ななしのよっしん
2021/11/24(水) 13:38:15 ID: pX0eHIpCKr
オグリが活躍しだしてすぐに亡くなったというのはすごく惜しいな
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最終更新:2025/12/25(木) 23:00
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