リファレンスポイント 単語


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リファレンスポイント

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リファレンスポイント(Reference Point)とは、1984年生まれの競走馬である。

二冠馬を除くセントレジャーステークスに出走した最後のダービー。そしてセントレジャーステークスの権威に止めを刺した

概要

Mill ReefHome on the RangeHabitatという血統。ダービーステークスキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス凱旋門賞優勝サンチャリオットステークス(G2)の優勝ムーランドロンシャン賞などの優勝したで、種牡馬としても数々の活躍を輩出した。

2歳(1986年)

8月30日ハートオブバラエティステークスデビューして3着。続くドーキングステークスで初勝利を挙げた。

2歳マイル王決定戦であるウィリアムヒルフューチュリティステークス(G1)では5馬身差で逃げ切って圧勝しG1初制覇を果たした。この勝利からこの年の欧州調教の2歳では1位となる127ポンドのレーティングを獲得した。

3歳(1987年)

当初は2000ギニーステークス標としていたが、感染症を患ったため回避。ダンテステークス(G2)から始動して快勝する。

ダービーステークス(G1)では単勝2.5倍の1番人気。発から即座に先頭に立つとそのまま先団を維持して直線へ。後続に詰められるも二の足を使って差を広げて逃げ切り勝ち。当時のレースレコード2:33.8に次ぐ2:33.90という好時計叩き出しての勝利で見事ダービーとなった。

続けて出走したエクリプスステークスではTriptychらの古相手に単勝2.1倍の1番人気となったが、後方から追い込んできたMtotoに差し切られ、3/4馬身差の2着に敗れた。

続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでも1番人気に支持された。ここでもハナを切って先頭に立つとそのまま他に競り掛けられても譲らず、直線2ハロン地点で後続を突き放して2着*セレスティアストームに3馬身差をつけ勝した。

セントレジャーステークスから凱旋門賞へ向かう計画が立てられた。ダービーセントレジャーステークスに出走するのは過去50年間で1969年Blakeney、1970年Nijinsky1981年Shergarの3頭のみであり、内優勝したのはNijinskyのみであった。さらにセントレジャーステークス凱旋門賞の両方を優勝したのはBallymossしかおらず、同一年優勝皆無であった。

まずはセントレジャーステークスの前グレートヴォルティジュールステークス(G2)に出走。単勝1.07倍という圧倒的な人気に応えて4馬身差で勝利した。
しかし、レース中に濡れた馬場のせいで脚を滑らしてしまい脚部を負傷してしまった。

幸い怪の程度は深刻なものではなかったようで予定通りセントレジャーステークス(G1)に出走。単勝1.36倍とここでも圧倒的な支持を受けた。発から快調に先頭に立って後続を牽引し、残り2ハロン付近で後続に詰められるも二の足を使って引き離して1馬身半差で勝利イギリスクラシック二冠を達成した。

その後は凱旋門賞(G1)に出走。TriptychMtoto、イタリアG1・2勝の*トニービンといった強ったなかでも単勝1.73倍という断然の1番人気Mill Reef以来のダービーステークスキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス凱旋門賞全制覇への期待が高まっていた。
しかしレースでは先頭に立つも競り合いとなってしまった結果、恐ろしいハイペースとなった。それでも先頭を譲らず直線に向いたが残り400m地点で追い上げる後続抵抗できずに群に沈み、レコードタイム優勝したTrempolinoから大きく離された8着とまさかの惨敗であった。
レース後、引き揚げる本は脚を引きずっており、検をしたところ左前脚の蹄に腫瘍が出来ていることが判明。恐らく前述のグレートヴォルティジュールステークス中に負った怪が悪化してしまったようだ。

凱旋門賞を最後に競走馬引退。通算10戦7勝、最後の凱旋門賞を除いては全て3着以内という堅実な走りであった。

種牡馬として

リファレンスポイントは種牡馬として4年間供用されたが、グループ1での重賞勝ちオークスを制したIvyannaだけだった。1991年12月事故で足を骨折ダルハムホールスタッドで折した。享年7歳。

失墜したセントレジャーステークスの権威

三冠馬Nijinsky凱旋門賞で2着に敗れたことにより権威が失墜していたセントレジャーステークス。それでも権威はまだ残っており、事実Shergarや本のようにダービーが出走することもあった。しかし、本凱旋門賞での惨敗により、その権威は全に失墜することとなった。

凱旋門賞で惨敗した要因はハナを譲らず競り合ったことによるハイペースの展開や左前脚の蹄に腫瘍が原因である。更に左前脚の蹄に腫瘍はグレートヴォルティジュールステークス中の負傷が元であり、セントレジャーステークスを使ったから凱旋門賞で負けた』というのは全な冤罪である。

とはいえ本凱旋門賞惨敗がセントレジャーステークスの権威に止めを刺したのは紛れもない事実であり、以降25年間ダービーが出走することはなかった。2012年Camelotが出走しているものの、あくまでも三冠達成を狙った出走でありセントレジャーステークス自体の優勝を狙ったものではなかった。

最近は較的賞金が高いため権威はやや回復しつつあり、愛ダービーパリ大賞優勝が出走することしくないようだ。

血統表

Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
Milan Mill
1962 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Virginia Water Count Fleet
Red Ray
Home om the range
1978 黒鹿毛
FNo.10-d
Habitat
1966 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Little Hut Occupy
Sayage Beauty
Great Guns
1971 鹿毛
Busted Crepello
Sans le Sou
Byblis Grey Sovereign
Niobe
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 3×5(15.63%)、Princequillo 3×5(15.63%)

主な産駒

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