「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜とは、菊池真理子による漫画作品である。
2022年10月6日に文藝春秋から刊行された。Amazonや楽天ブックスやDMMで電子書籍版も発売されている。
宗教2世を題材としたノンフィクション漫画作品であり、取材対象者の体験を元に描かれている。
本作品は「はじめに」と第1話~第7話と「あとがき」から構成されている。
第4話は「新宗教ではなくプロテスタントの一派」と明言されているが、それ以外の話はいわゆる新宗教(新興宗教)を扱っている。宗教名は作中で一切明言されていないが、作中で登場するその宗教内の用語から、どの宗教なのかが容易に突き止められるようになっている。
したがって、本書の第1話~第7話の題材を列挙すると次のようになる。
宗教2世の菊池真理子は、「せめて宗教2世の存在だけでも伝えたい」という思いがあり、宗教2世のイベントを開催していた。
それを見た集英社の編集者が菊池真理子に対して「イベントを拝見しました。宗教2世のマンガを書きませんか?」と誘い、集英社ノンフィクション編集部発のウェブメディア「よみタイ」での連載が2021年9月22日から始まった。
しかし、2022年1月26日に公開された第5話に対して幸福の科学から抗議が来て、集英社の社内で大ごとになり、2022年2月1日に第5話が公開停止となった。
2022年2月10日に、第1話から第4話までも公開停止となり、集英社のノンフィクション編集部が声明を発した(リンク)。その一部は次の通りである。
本作品は、「宗教2世」が「親との関係」において抱える苦悩について問題提起することを目的としていましたが、第5話についてはあたかも教団・教義の反社会性が主人公の苦悩の元凶であるかのような描き方をしている箇所がありました。
紹介したエピソードはいずれも「宗教2世」への取材をもとに構成したものでしたが、結果として特定の宗教や団体の信者やその信仰心を傷つけるものになっていたことは否めません。このことを重く受け止め、お詫びいたしますとともに、今後はこのようなことのないよう、執筆時の取材および構成の検討を入念に行い、より良い作品作りをしていけるよう努めてまいります。
これに対して菊池真理子は「『信者の宗教感情を傷つけるから2世の傷付きはなかったことにしろ』なんて絶対おかしいのに」と考えた。
さらに集英社のノンフィクション編集部は、菊池真理子に対して「教義には触れず毒親の話にしませんか」と言ってきた。このため菊池真理子は「そちらでは描きたいことが描けなさそうです。連載終わらせてください」と述べ、2022年3月17日に連載が正式に終了した。
2022年3月17日の直後、菊池真理子に対して文藝春秋の島田という人物[1]が「うちで続き描きませんか?うちはホラ、何があってもビビらないから」と声をかけてきたので、菊池真理子がその誘いに応じた。
2022年8月17日になって、文藝春秋社から2022年10月6日に単行本が発売されることが発表された(記事)。
2022年7月8日に宗教2世が加害者となった安倍晋三射殺事件が起きた。このため「安倍晋三射殺事件の影響で単行本化の話が進んだのか?と推測した人もいるようだが、実際の流れは上記の通りである。また、菊池真理子はTwitterで「事件の前からお話をいただいていました。文藝春秋さん、本当に気概のある出版社です。」と語っている(ツィート)。
単行本の紹介文には「著者含む、7人の宗教2世たちが育ってきた家での出来事をマンガ化した作品が、加筆修正を加え、単行本化。」とあり、「よみタイ」連載版より話数が2つ増えていることが示されている。
エホバの証人が題材である。
iidabiiという人が取材対象者である。この人はエホバの証人についての作品を投稿しており(ツィート、動画)、ABEMAニュースのインタビューにも応じている(動画)。
エホバの証人の宗教2世は体罰という児童虐待を受けることが多いのだが、この第1話の中でもそれが描写されている。
本作品の第1話では、教団幹部が信者に対して子どもへの体罰をするように奨める情景を描いておらず、「エホバの証人の信者が自分の判断で勝手に子どもへ体罰という児童虐待をしたのであり、エホバの証人は無罪であり潔白である」と受け止めることもできる。
エホバの証人において教団幹部が信者に対して子どもへの体罰をするように奨める情景が書かれている漫画というと『カルト宗教信じてました。』であるので、エホバの証人の実態を知りたいならそちらの書籍も読むと良い。
17ページではエホバの証人の宗教2世の心理を見事に描いている。エホバの証人は信者に対して様々な戒律を課すのだが、その戒律を無視したときに与えられる罰や発生する破滅が怖いので信者は厳しい戒律に従っている。その心理を「常に背中にナイフ突きつけられているような日々」という台詞と戦慄すべき絵で表現している。
崇教眞光が題材である。
取材対象者は子どもの頃からアトピーと喘息に悩まされているのだが、崇教眞光の「薬は濁毒」という教えを信じ込む母親により薬品の摂取を妨害されていた。これは完全な児童虐待である。
統一教会が題材である。
合同結婚式に娘を差し出すため、幼少のころから娘に「恋愛をするな」と教え込んできた両親の姿が描かれている。母親が娘の携帯を勝手にのぞいて娘の恋愛事情を監視し、恋愛していることが発覚すると母親も父親も凄い形相で荒れ狂う。
統一教会といえば信者に高額の献金を要求して信者の家庭を貧困化させることで知られているが、本作品の第3話ではそういう側面には触れられていない。
第3話は両親の過保護な様子を強調する話であり、『お父さんは心配症』をややハードにしたような話になっているだけで、統一教会の真の恐ろしさを実感するほどではない。
キリスト教プロテスタントといっても様々な宗派があるのだが、この第4話で登場する宗教団体は地方と東京に拠点を持つような広域の団体である。そして入信のときに行う儀式のことを洗礼ではなくバプテスマと呼んでいて、全身を水に浸す浸礼を行っている。以上の特徴に当てはまる宗教団体の中で当てはまりそうなものはバプテスト教会である。
本作品の第1話や第2話は児童虐待の典型例を描写していて深刻そのものであるが、この第4話はそういう描写がなく、だいぶ落ち着いた雰囲気の話になっている。
第4話では「幼少期の頃の教会は一人っ子の自分にとってお兄ちゃんお姉ちゃんができたみたいで本当に楽しかった」とか「教会はいいコミュニティーになっている」と語るシーンがあり、宗教団体が持つ長所への言及がある。第1話から第3話までや第5話から第7話までは宗教団体が持つ長所を指摘するような箇所がない。
登場人物が「聞きんさい」「~じゃけぇ」という言葉を喋っているので、おそらく取材対象者の出身地は広島であろうと思われる。
幸福の科学が題材である。
母親は宗教以外の面で問題点が見られる人物であり、中間テストの成績が今一つの中学1年生の娘に対して「これでは教祖と同じ東大に入れない、役立たず」と罵倒しているし、娘が成人した後に娘の名義で多額の借金をしている。いわゆる毒親と呼ばれるべき人である。
娘は「宗教団体が作った全寮制の高校」に進学した。そこでは週の2コマに宗教講話がある程度で、その他は普通の高校と同じような教育を受けた。この学校は幸福の科学学園高等学校と推定される。
東京の大学に進学して世間に触れるようになったが、教団がずっと「わが教団に属する人は特別な人」と言い続けていたのに自分が普通な存在であると感じるようになり、さらに「大学を卒業した後に教団のために働け」と言われ続けてきたことに疑問を感じるようになって精神が不安定になり大学を中退した。そのあと、教団の長男が教団を批判する言動を見て[2]、さらに教団を信じられなくなった。中学までいた地元では母親が布教を繰り返していたので友達がおらず、孤独感を感じ、24歳になって自殺を考えるようになってしまった。
以上が第5話の骨子である。「教団が『教祖は凄い、教団は凄い』と過剰に宣伝してイメージを作り出したが、そのイメージが実際の姿に対して大きくかけ離れている」と感じて苦悩をしたことが描かれている。
第5話の娘はだいぶ精神が参っていて、27歳になった時点でもなかなか前向きな精神を持てていない。その原因の1つは、幸福の科学という宗教団体が信者の精神力を弱めることを繰り返しているからである。幸福の科学は、「霊となった偉人が死後の世界から霊言を届けてきた」と称して大川隆法が霊言を喋ることが多いが、それを何度も繰り返すことで信者に「死」「死後の世界」を強く意識させ、信者を不安にさせ、信者の精神力を弱めている。第5話の娘は幸福の科学の信者の典型例と言える。
真如苑が題材である。
真如苑のことを気に入って熱心な信仰をする母親とその娘の話である。第1話や第2話のような児童虐待の情景がなく、第1話~第3話のような過剰とも言うべき戒律の押しつけの情景がなく、第5話のように人が病んでいくという情景もなく、第7話のように教団の問題点を浮き彫りにする情景もない。このため第6話は、第4話と同じぐらいの平穏な話である。
第6話の中には次のようなシーンがある。大学生になった娘が彼氏に「立川に行って宗教施設に行く」という意味のことを言ったら「げっ新興宗教!?やっば!!(やばい、という意味)」「バカみたいじゃん!騙されてんじゃん!」と言われてさんざん罵倒される。このような「宗教を信じるものは、騙されているだけのバカである」という種類の罵倒を受けることはすべての宗教2世にとって経験することである。親によって宗教を素朴に信じることを仕込まれると、それだけで「騙されているだけのバカ」と罵倒されて軽蔑されることがありうる。
真如苑自体は「他の宗教を学ぶのもいいでしょう」というような緩い宗教団体であるが、母親はそうではなく娘に対して「聖書を読んじゃダメ」という。また、母親は高校生になった娘を連れて真如苑の施設へ行きたがるような人である。これらのことから、第6話に登場する母親からは「子離れできない依存癖の母親」という性質が垣間見られる。
創価学会が題材である。
母親が熱心な学会員で、その娘が宗教2世である。母親は娘に対して過剰に戒律を押しつけてくるわけではなく、第1話や第2話のような児童虐待をするわけでもなく、せいぜい「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを要求してくる程度である。
しかし娘が体験したのは、教団が母親を酷使することでそのしわよせが自分に及ぶことだった。
創価学会という宗教団体は聖教新聞の拡販に力を注いでいる。第7話の母親は非常に真面目な人なので教団の方針に従って拡販をしている。そして人に頼まれたら断れない性分なので、他の学会員から拡販を頼まれたらそれを断り切れず、さらに力を振り絞って拡販している。
創価学会という宗教団体は聖教新聞の配達を非常に少ない賃金で信者にやらせていることで悪名高い。聖教新聞の配達を行う信者のことを「無冠の友」という。第7話に登場する母親はこの「無冠の友」で、朝3時に起きて新聞配達に行くことを毎日行っていた。
それらのことが積み重なったからか、母親は娘が中学2年生の時に他界してしまう。創価学会の好ましくない体質を原因の1つとして、娘は母親という重要な存在を失ってしまった。
また、第7話には飲んだくれの父親が出てくる。この父親というのがまた困った人であり、菊池真理子の『酔うと化け物になる父がつらい』という作品でその生き様が詳細に描かれている。この作品もAmazon・楽天ブックス・DMMなどで電子書籍として販売されている。
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最終更新:2024/05/07(火) 09:00
最終更新:2024/05/07(火) 09:00
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