君が代演奏 |
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君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
世界一短い国歌である。この歌詞は元々「相手の長寿を言祝ぐ短歌」であり、平安時代の歌集「古今和歌集 巻十七 賀歌」の冒頭から採録されている。
「さざれ石」とは「砂々細石」の意であり、小石が砂などを巻き込んでごつごつとした塊になったものを指す。これが大きな巌(岩石)となり苔が生すまで…"それほどの長い間"という表現が、「千代に八千代に」という表現を含めると4行もかけられているのである。
明治維新によって天皇を頂点とする新政府が成立したが、これまで西欧列強諸国との外交の実績がほとんどなかったため、外交儀礼上必要とされる様々な要素の整備が急務となった。現在日本語で『国歌』と呼ばれる『National anthem』もその一つである。本来外交使節訪問時などの改まった外交儀式で互いの国歌が演奏されるもので、必ずしも歌詞は必要とはされない(実際スペインのように旋律のみの国歌も存在する)。このような進言を行ったイギリス人の軍楽教師フェントンにより、曲としての君が代が作られた(この際に英国国歌「God save the King(国王陛下万歳)」が手本にされたと主張する者もいる。というのもフェントン本人はこの際に“洋風な旋律”をつけた日本の国歌を提案したためである)。
開国の際、当時の日本は欧州において「極東の珍獣国」と看做されていたため、こうした印象をを払底し文明国であると諸国に見せつけるために文化的水準の底上げが図られ(欧化政策)、その一環としてそれまでにはなかった対外国向けの国歌を作ったといえる。
旋律も最初はフェントンによる洋風なものがつけられていたが、「日本の国礼歌」としてはふさわしくないと思われたため宮内省式部職によって雅楽様(それも神楽で謡われるような神楽歌)の旋律がつけられることとなり、後に軍楽教師として来日していたドイツ人作曲家フランツ・エッケルトによって伴奏と和声がつけられて現在の"君が代"となった。
しかし「国歌」とは本来漢詩(からうた)に対してやまとことばで作られたうた(くにうた)のことであり、第二次大戦前までは「国歌」という概念自体があまり民間に浸透していなかった。さらに上述のように元は国家間の儀礼の場で歌われるべく作られたということもあって、正式に国歌として日本国民が認識したのは大戦後の日本国憲法発布に伴うとされている。
「君が代」が歴史上に初めて登場するのは平安時代の勅撰和歌集の一つである「古今和歌集」の賀歌巻であり、注釈には題しらず、読人しらずと書かれている。ここでは「君が代は~」の始まりではなく「我が君は~」となっており、より「君」に対して直接的に歌い上げた内容となっている。なお賀歌とはおめでたい席で歌われる(寿ぐ)もの、歌われたものを指す。
「君」というのは現代語の中でこそ、二人称の人代名詞として自分と位の変わらないもの、または目下のものにも使われることが多い単語ではあるが、「君が代」というこの和歌が作られたのは平安時代である。
『古今和歌集』収録の歌としてごく一般的な「君」の解釈を述べるならば「君は広くもちいる言葉であって天皇をさすとは限らない」ということであり、それ以上はなにも断定できない。
一方で「君が代の」歌詞は様々な歌集やそれ以外の本に転載され続け、いつしか頭句「我が君は~」が「君が代は~」に置き換わって広まっていく。もともと年賀のための賀歌であった君が代はおめでたい歌として賀歌に限られない使われ方が始まり、いろいろな歌集に祝い事の歌として収録されることになる。仏教の延年舞にはそのまま用いられているし、田楽・猿楽・謡曲などには変形されて引用された。江戸時代にはおめでたい歌として小唄、長唄、浄瑠璃、仮名草子、浮世草子、読本、祭礼歌、盆踊り、舟歌、薩摩琵琶、門付等にあるときはそのままの形で、あるときは変形されて使われた。
さて、国歌としての君が代は「陛下奉祝ノ楽譜改正相成度之儀ニ付上申」として軍から提出されている事もあり、明治政府は君とは天皇のことである、という考えを暗黙の前提としてきた。
また、現代においても1999年(平成11年)6月11日に提出された国旗国歌法において「君」は天皇を指すと明言されている。ただし同年6月29日において、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、そこから転じて「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」というやや斜めから見た解釈に変更された。
元が古代の読人しらずの祝い歌に過ぎなかった君が代が、長い時代を経て様々な場で愛され、やがて国家の正式な国歌として採用される経緯は、長い歴史を誇る日本らしいものではないだろうか。
日常生活において君が代を聴いたり歌う機会は、各種学校の入学・卒業式などの式典、国の主催する式典や祭典での国歌斉唱、その他にスポーツなどの国際試合における対戦国または主催国の場合の国歌斉唱や独唱が挙げられる。
特に国の代表として出場するサッカー、野球、F1などでは国歌独唱のために著名な歌手などを招いて式典を行うことも多く、テレビ中継などで目にする機会も多い。
一方で大東亜戦争や日中戦争をリアルタイムで経験した世代、その直後の過激化した学生運動世代(団塊の世代)などはこの歌を「天皇崇拝」「戦争賛美」の意味として捉えている場合があり、思想信条により君が代に対して拒絶反応を示す者が居ることから、この歌について話題にする場合、場や相手の性格を考えないと余計なトラブルになる可能性があるので注意が必要である。
また、各種学校や官公署において、朝会や式典等で歌われるか否かは各自治体の右派・左派等の性格によってその頻度が変わる場合が多く、極端な例で言えば学校の朝会で毎週歌っていたという者も居れば、社会に出るまで歌う機会が全く無かったという者も居るほどである。
2009年4月24日には、麻生太郎内閣総理大臣(当時)の携帯電話の着信音が君が代であることがニコニコ動画で紹介されている。(関連動画参照)
ニコニコ動画では、国歌独唱で著名な歌手を招いて歌わせている動画に対し、歌い手の本来の歌唱力や個性が露呈する事があってか、楽譜どおりに忠実に歌う派と歌手の個性を尊重する派とで賛否分かれるコメントで荒れる事もしばしば。
ニコニコ動画では、前述の日教組などの行う反対活動やポイコットなどのゴタゴタに嫌気が差した若い世代が自分達に馴染み深いゲーム音楽などをもじった曲を新国歌と称して持ち上げる様子が見られる。
この動画の3つめの曲が、イギリス人の手による君が代の原曲である。
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最終更新:2024/05/03(金) 22:00
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