堀川国広(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
概要なら任せて!
僕? 堀川国広と言って、和泉守兼定と一緒に、土方歳三が使っていた脇差さ。
僕が本物の国広かどうかは意見が別れるところだけど、
少なくとも兼さん……兼定の相棒だったことだけは、本当だよ(刀帳)
安土桃山時代に活躍した刀工、堀川国広作(という説のある)の脇差。
新撰組組長・土方歳三が愛用していたと言われる。
和泉守兼定の相棒であり、助手でもある。
礼儀正しく面倒見も良いが、胸には熱い闘志を秘めている。
黒髪に浅葱色の目をした美少年(少年と青年の中間くらいの容姿)。
目はぱっちりしており、耳につけた赤いピアスは、彼の相棒・和泉守兼定(刀剣乱舞)とお揃い。
戦装束は、刀派で揃いのブレザー風の洋装。現在実装されている脇差6振の中で唯一袖鎧をつけておらず、代わりに籠手をしている。
内番衣装も刀派でお揃いの臙脂色のジャージで、少しぶかぶかしている。かわいい。
図録の解説や刀帳でも語られているように、堀川物の真作であったかどうかは不明。彼自身にもその自覚はあり、「僕が本物の国広かどうかは意見が別れるところだけど」と語っている。
それでも衣装デザインは刀派・堀川共通で、多くの二次創作においては山伏国広(刀剣乱舞)・山姥切国広(刀剣乱舞)と並んで「国広三兄弟」として扱われている。
ちなみに山伏と山姥切が打たれた時期は銘や文書の記録によって特定されており、山伏の方が年上なのだが、堀川に関しては特に定められておらず、書き手によって長男にも次男にも末っ子にもなっている。
新撰組副長・土方歳三の愛用した脇差であり、同じく佩刀となっていた和泉守兼定(刀剣乱舞)の事を慕っている。彼の事は「兼(かね)さん」と呼び、彼の「助手」で「相棒」を自負している。
顕現時の台詞に始まり、兼さんの名を呼ぶ機会は極めて多い。打刀の中でもレア度の高い兼さんが入手できるのは総じて遅い為、審神者は自分の本丸に存在しない兼さんについて散々聞かされ、エア友達症を患う者が少なくない。似たような現象は燭台切光忠(刀剣乱舞)・鶯丸(刀剣乱舞)・膝丸(刀剣乱舞)でも起きやすい。\サダチャン/\オーカネヒラ/\アニジャー/
兼さんべったりかと思いきや、実際には主である審神者の言いつけを良く守る、大変よくできた性格。掃除や洗濯といった家事の手伝いを申し出る他、遠征にも喜んで参加して「後方支援は任せて!」と頼もしい台詞を口にする。
近侍に据えて放置していると「うーん、この空いた時間がもったいないな」と言い出し、万屋に連れて行けば「買いすぎはいけませんよ」とたしなめるなど、真面目な気質が伺える。
また、馬当番をちゃんとやっているかどうか監視するなど、兼さんを甘やかすような事はしていない。更に正月限定のボイスでは「お屠蘇気分もほどほどに。……兼さん叱ってきます」と、いい具合に出来上がっている兼さんに柔らかくグリグリと釘を刺しに行った。
なお、当の兼さんは堀川の事を「勝手にオレの助手とか名乗って」と言いながらも、何かと助かっている事を主である審神者に打ち明けている。
戦になると、「悪い、僕も結構邪道でね!」「闇討ち、暗殺、お手の物!」と、時に敵対者を騙し討ちにし、組織内の綱紀粛正の為に手を汚した元主を彷彿とさせる台詞を口にする。
傷を負うと「怒らない、怒らない……」と自らを律しつつ、真剣必殺では「兼さんがああだから、僕は怒らないようにしたいんだけど……ッ!」と叫ぶなど、怒った時の殺意ゲージは高い。
新撰組ゆかりの刀剣男士とは縁深く、特殊会話や回想が多く発生するキャラクターである。
特に兼さんと一緒に箱館に赴いた時の回想では、この地で戦死した土方歳三の事を思うあまりに「ひょっとしたら死なないですむかも」と口にして、兼さんに厳しくたしなめられている。
手合わせにおいては、陸奥守吉行(刀剣乱舞)との間にも特殊会話が発生。かつての主の因縁があるものの険悪ではないやり取りだが、陸奥守の戦法を冷静に分析した為に「しょうこわいちや」と恐れられている。また長曽祢虎徹(刀剣乱舞)からは「そばに仲間がいる前提の癖が付いている」と指摘されており、補佐として戦う己の戦い方を省みている様子。
同じ刀派である山姥切国広(刀剣乱舞)・山伏国広(刀剣乱舞)とは特殊会話が長らく存在しなかったが、2017年8月1日、内番・手合せにおいて特殊会話が実装。互いに「兄弟」と呼び合っていることが明かされた。おめでとう!
山姥切に対しては邪道な戦い方を見せたのか「ちょっと、ずるしちゃったかな」と発言。山姥切を「なんだ、いまのは…!」と驚かせる一方、山伏の「流石は兄弟、拙僧の筋肉も大いに喜んでいる!」に対して「これが、筋肉を通しての……対話!」と、何かを悟った風な様子を見せた。基本的に刀派堀川は脳筋。
脇差の中では打撃がトップタイ、衝力はワースト。しかし何れも誤差の範囲であり、しっかり鍛えて刀装を吟味すれば「会心率が上がる」「偵察値が高い」「打刀との組み合わせで二刀開眼を発動し得る」脇差の特性を十全に生かして運用できる。
また、短刀に「極(きわめ)」が実装されるまでは、特上刀装の弓兵を装備した脇差6振による編成、通称「ワキザシックス(WAKIZASIX)」の強さが注目され、高難易度マップや演練で多く運用されていた。
今後脇差に極が来たらどうなるのか……備えよう。
......とか言ってたら本当に来た。
極実装
2017年8月1日、極が実装。
脇差極の特徴として「一定の確率で敵の攻撃を防御する」仕様が追加され、ステータスは全体的に上昇。特に偵察・隠蔽のステータスが大きく上昇している。
刀派共通の洋装の上から、土方歳三が着用していたものと似ているコートを着用。足元はロングブーツとなり、首には白いマフラーを巻くようになった。
腰回りには兼さんとお揃いの赤い草摺が追加。ピアスも赤のワンポイントだったものが兼さんと同一の華やかなデザインに変更された。
審神者に当てた手紙では三通ともに兼さんの事を気にかけつつ、「土方歳三が使っていたという伝承」のみを寄る辺とする身として、新選組に潜入したと報告。江戸の太平が破られ、侍の世が終わろうとする時代に、闇討ちや暗殺に使われた自分にはどのような意味があったのかと自問自答をする。
最終的には、刀の時代が終わり、本格的な戦争が始まるのに合わせるようにして、役目を終えた自分は行方をくらませたのだと結論を導き出す。それでも今の自分には主という「刀を率いて戦うひと」がいる事、今を精一杯戦う事を誓い、審神者の許に帰還を果たした。
帰還するなり「和泉守兼定の相棒にして助手、堀川国広、只今戻りました。今後とも宜しく!」と発言するなど、兼さんへの傾倒っぷりは健在。内番もしっかりこなし、空き時間でも掃除をしようかと考えるなど、目端が利いて真面目な事にも変わりはない。
一方でアグレッシブさは増したらしく、戦働きにおいて会心の一撃を出すと「隙だらけだよ……死んじゃえ!」と口にし、審神者は大いに驚かされたのではないだろうか。
一騎打ちでは「僕は、こういう状況で勝ちたかったんだ、ずっと!」と叫び、熱い闘志が伺える。
逸話を持ってきて。次の動きを判断するから。
安土桃山時代の刀工、堀川国広(ほりかわくにひろ)作の脇差。
新刀(慶長以降に作られた刀)の刀工の代表格であり、堀川一門の祖である。
最初は日向国(現在の宮崎県)において伊東家に家臣として仕えていたが、島津氏の侵攻により主家が滅亡してしまった。主君の遺児である伊東虎千代(後の伊東マンショ・天正遣欧少年使節の一人)を背負って豊後国(現在の大分県)まで落ち延び、幼君がキリスト教の庇護を受けてセミナリヨ(初等神学校)に入った後は流浪の日々を送りながら刀を作り続けた。
堀川国広、およびその一門が打った刀は出来の良さから「堀川物」と呼ばれ、大変珍重されたという。
「土方歳三が堀川国広の脇差を使用していた」というのは、池田屋事件の後、近藤勇が土方の義兄・佐藤彦五郎に宛てた手紙における
という記述が元ネタになっている。
しかし堀川物は幕末においても非常に高値で取引されており、大名クラスでも手にするのが困難な刀剣だった。この為、土方が所持していた堀川国広は贋作であったという説が一般的である。
また『国広は二尺以下の刀は打たない』という俗説があるが、実際には『脇差 銘 日州古屋住国広作 天正十四年八月日』が重要文化財指定を受けており、他にも堀川国広作の脇差や短刀は実在している。
ちなみに一尺九寸五分とは、だいたい59cm程度。脇差としては長い部類に入り、「大脇差」と呼ばれる。
その後、土方歳三は幕末の動乱を駆け抜け、転戦を続け、函館戦争において戦死した。
以降の堀川国広の行方は杳として知れない。
「和泉守兼定と共に日野の親族の下に戻ったが、太平洋戦争の最中に供出された」「太平洋戦争終結後、GHQによって持ち去られ、海に投棄された」という俗説があるが、いずれも裏付けは存在しない。
また、現存する和泉守兼定を初めとした土方遺愛の品を保存する土方歳三資料館によると「土方歳三の死後、日野に堀川国広という刀が戻ってきた記録は一切無い」とされている。
その存在を、手紙の中のただ4文字によってのみ示される脇差・堀川国広であるが、新撰組に関する創作・物語においては、紛れもなく「鬼の副長・土方歳三遺愛の脇差」として、今も語り継がれている。
はいはーい、関連動画はばっちりです
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