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新井貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日-)とは、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)である。2023年からは広島東洋カープの一軍監督を務める。
概要
生い立ちとプロ入り前
広島東洋カープ #25 一軍監督 |
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---|---|
新井貴浩 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市 |
生年月日 | 1977年1月30日 |
身長 体重 |
189cm 94kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1998年ドラフト6位 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
選手歴 監督歴 | |
基本情報 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2006年 |
プロ野球選手テンプレート |
広島・天満の野球一家に生まれる。広島工業高校で甲子園を目指すも自分がレギュラーの年には出られなかった(1年の頃スタンドで応援していた)。高校3年生の時には広陵高校に在籍していた福原忍、二岡智宏らと対戦したことがある。その後駒澤大学に進学する。
大学通算本塁打はわずか2本で、守備も下手だったため、ドラフトにかかるレベルではなかったが、大学の先輩である野村謙二郎の自宅に突撃しアピールしたのが野村の目に留まり、新井を推薦したためドラフトにかかったらしい。1998年ドラフト6位で広島東洋カープに入団した。
広島時代
1999年から出場機会を掴むと、2001年から三塁手のレギュラーに定着。
2005年には43本塁打を放ち本塁打王を獲得したが、一方でこの当時からネタ成分の非常に強い選手であり、守備の粗さから「粗ゐ」と山本浩二監督にすらネタにされていた。
阪神時代
2007年オフFA宣言し、兄貴と慕う金本知憲のいる阪神タイガースに移籍(阪神移籍時参照)。この時の迷言により、「辛いさん」と呼ばれるようになる。
2008年は前半好調だったが、後に腰の骨折が発覚した。にも関わらずわしによって北京五輪の代表に召集され腰も悪化し、後半戦を棒に振る。移籍一年目は8本塁打、56打点と期待に応えたとは言い難かったが、ゴールデングラブ賞を初めて受賞した。
2009年は、日本プロ野球選手会会長に就任するも、不振にあえぎフルイニング出場を続けるが、打撃成績は打率.260、15本塁打、82打点と期待を裏切り、Bクラス転落の戦犯の一人となった。
2010年はチーム打線が全体的に大爆発。1番マット・マートン、2番平野恵一が共に残した3割5分近い打率に応える形で、打率.311、100打点を記録。金本知憲のフルイニング出場ストップ以降4番に座り続け結果を出した。
2011年、東日本大震災発生後、選手会長として、開幕延期を訴え続けた。シーズンでは打点王を獲得。
2012年、リー兄弟以来の兄弟アベックホームランを達成。しかしこの年は打撃不振に陥り、「新井が悪い」といわれることが多くなった(人物・評価参照)。
2014年は新外国人マウロ・ゴメスが一塁手のレギュラーになり、新井は三塁を守ったりするなどするが、出場機会が大幅に減り、代打出場が多かった。オフに出場機会をもとめて自由契約になる。その後、古巣の広島への復帰が決まった。
広島復帰後
2015年は開幕から故障の影響で代打での出場が続いていたが、次第に4番でのスタメン出場が増える。後半戦にはレギュラーに定着し、規定打数に到達し打率.275、7本塁打、57打点を記録した。オフに背番号を25に変更した。通算2000本安打まであと29本、通算300本塁打まであと13本とした。
2016年4月26日の東京ヤクルトスワローズ戦で史上47人目の通算2000本安打を達成。8月2日の東京ヤクルトスワローズ戦にて史上42人目の通算300本塁打を達成。打撃好調を後半戦も維持し、広島の25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、MVPとベストナインを受賞した。
2017年は控えに回るも代打の切り札として100試合に出場。7月19日の阪神戦で通算2284試合を達成し、山本浩二に並んだ。
2018年9月5日に現役引退を表明した。8月初頭に球団社長と石原慶幸に伝え、球団から慰留を求められてはいたが、若手選手が育ってきていることや、今後のチーム事情を考慮して「引退するなら今がいい」と考えての決意だったという。日本シリーズまで代打として出場したが、日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに1勝4敗1分で敗れ、日本一を味わうことはないまま現役生活を終えた。25番は新井移籍前から背負っていた高橋大樹に返還されず「永久預かり」となり、新井がふさわしいとする後継者が出るまで欠番となる。
引退後
RCC野球解説者と野球評論家を務める。なお2019年は現役選手ではなくなっていたが、夏に薩摩行を行っていた。
広島監督時代
2022年10月7日に広島東洋カープの監督に就任することが発表された。背番号は永久預かりとなっていた25。ちなみに永久欠番の15を要求したらあっさり黒田本人から許可が取れたとか
2023年は74勝65敗でリーグ2位だった。クライマックスシリーズではDeNAを下したが、ファイナルステージでは阪神に3連敗して敗退した。
2024年は9月まではリーグ首位に立っていたが、9月にセ・リーグワーストタイ記録となる20敗を喫し、一気に4位に転落。復調することがないままシーズンを終えた。
阪神移籍時
2006年、黒田博樹が生涯広島宣言。このとき新井もそれに関して発言したようだが、マスコミによって「生涯広島宣言」と解釈されてしまう。新井がこの時どう思っていたかは不明である(ファンからは「広島を出ることはない」と思われていたようである)。
そのため2007年オフに阪神タイガースに移籍する際、当然広島ファンから猛烈な反発があった(ちなみに、広島が提示した年俸は阪神より高かったとか…金に特にうるさい事に定評のある広島が他球団より高い年俸を提示するなんてことは余程の実績を持たない限り考えられないことである)。
また会見で「辛いです。カープが好きだから」「FAなんて(制度)なければよかったのに」などと涙を流しながら発言したことでむしろ広島ファンの心象を逆撫で。
この瞬間、新井が赤いユニホームを着ていたという歴史は抹消された。またこの逸話により、彼のあだ名として「辛いさん / ツライ」が定着することとなった。
※なお、生涯広島宣言をしながら新井と同じ2007年オフにメジャー移籍で渡米した黒田が大きく非難されなかったのは、残留を願う横断幕を見た事(と黒田の父の病気)で4年契約+メジャー挑戦権オプション付の形にて一応残留を決めた事と、父の死去後メジャー挑戦権行使を表明した際にもFAで他球団に入ることはないと宣言、日本復帰するならカープしか考えていないと表明していた面があったからである。
2015年、黒田ともども古巣の広島へ復帰することとなり、阪神移籍によって抹消されていた歴史が復活した。
なおカープ側は新井の再復帰に前向きで、自由契約後から呼びかけがあったと新井の自著などに記されている。
プレースタイル
パワフルな打撃が持ち味で2000年~2007年は本塁打二桁を記録しており、特に2005年は本塁打数43本を放ち、ホームラン王に輝いた。
守備位置はサードとファースト。広島入団当初は外野を守ることもあった。2008年シーズンはファーストメインで出場した結果一塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。本人はサードをメインとしたいようであるがエラーの数はかなり多く、苗字と掛けて「粗い」「粗いさん」というニックネームが野球板などで付けられていた。
なお、広島在籍当時監督をしていた山本浩二もこのニックネームで呼んでいた。
人物・評価・エピソード
- 元は在日朝鮮人であったが、現在は日本に帰化している。帰化前の本名は朴貴浩。北京五輪やWBCでは日本代表として出場。既婚者で二人の息子がいる。広島移籍後も自宅は関西にあり、単身赴任する形をとっていた。また兄弟姉妹に弟の良太の他貴浩の上に姉がいる。
- 野球選手としてセンスは無いらしく、努力で這い上がったと言われる。中日時代の弟が実家に帰る時に落合博満監督から「兄と絶対に野球の話はするな」と釘を刺されていたとか。これは2000本安打達成の時のカープOB陣のコメントで努力さを非常に評価されている面からも窺えることができる。
- 2004年1月から引退まで15年連続、引退後も毎年1月に鹿児島県の最福寺にて「護摩行」と呼ばれる精神鍛練の修行を行っている。この「護摩行」だが元々は金本が行っていたもので、後に石原慶幸、會澤翼、堂林翔太も連れていくようになっている。…が最福寺で行われる護摩行は2メートルを超える火柱のすぐ目の前で読経するという極めて過酷な修行であり、毎年壮絶な修行姿顔芸を披露している。野球ファンにとっては新年の風物詩と化している。
本人曰く「これをやらないと1年が始まらない」とのことである。 - 2008年の阪神移籍後併殺打が急増。シーズン最多併殺打の歴代ワースト10に入ったことは無いものの、一死満塁などここぞというチャンスでそれを潰すような併殺打を放つ印象が強いため、いつしか「ツラゲ」としてネタにされるようにもなった(当該項目も参照)。最終的に、併殺数は引退までに242まで伸びて単独6位、平成時代入団選手に限ると中村紀洋の257併殺打に次ぐ2位を記録している。
- 2009年オールスター直前の7月20日対東京ヤクルトスワローズ戦、まさかの盗塁を敢行するもベースに全く手が届かない見事なヘッドスライディングを披露する。このスライディングは例の会見コメントから「ヘッドツライディング」 と呼ばれるようになる。
- 2010年も数字こそ残したものの、致命的寸前のボーンヘッドをやらかしたり(犠牲ツライ)肝心な局面で絶対に必要な一打が出なかったりと、何かと残念シーンが多くそれも目立った為、数字通りの評価をしてもらえないことも多い。
- 2012年4月11日の広島戦で打者クレイグ・ブラゼルが投手福井優也の死球寸前の投球に乱闘を起こした(前日の同カードにおいて大竹寛の危険球により藤井彰人が頬骨骨折で離脱という状況であった)動画の中に観客の「新井が悪いわ、新井が!」という野次が明瞭に収録されており、そのあまりにも唐突すぎる発言のインパクトから以降、プロ野球タグのつけられた動画では何か問題があるととりあえず「新井が悪い」とする流れが出来てしまった。しかし上記の様にこの一連の件に新井自身は全くと言っていい程無関係でありこれも風評被害の一種と言えるだろう。
- 天然であり、黒田博樹が新井のバッグに消火器を入れる悪戯をしても宿舎に帰るまで気づかなかったり、弟に車を持ち逃げされても自動車税を払い続けたエピソードがある。
- 広島時代からの先輩である金本知憲のことを「お兄ちゃん」と呼ぶほど慕っており、非常に仲が良く、金本のブログにもしょっちゅう登場している。新井の自著によれば、阪神へ移籍した最大の理由も金本と一緒にいたかったからであったが、金本への迷惑を考慮して公にはしていなかった。移籍直後には「お前も同罪じゃ!」と金本までブーイングのとばっちりを食らった。金本の現役引退、阪神監督就任後、本人の現役引退と金本の監督辞任後もその仲の良さをメディアに写し、特に2019年以降はコンビでのメディア出演もしばしばある。
- 阪神移籍時の「辛いです」会見とその涙の真相に関して、広島復帰後のインタビューで「(自身で決断したのだが)ももう二度とカープには帰れない」と会見をするなかで改めて感じ感極まってしまったと語っている。なおこの迷会見は阪神時代先輩金本が時々ネタにしていた。(阪神残留時の会見や控室で会見を録画したDVDを流すなど)
- 2013年、西岡剛によって、チームの得点時に選手全員が腕を振り上げるポーズが導入される。しかし新井兄弟の場合はやらないという悪戯を仕掛けられる。
- 2016年4月、2000本安打間近の阪神戦の試合前練習で、黒田投手や小窪内野手らが中心になって製作した「まさかあのアライさんが…」Tシャツをカープ関係者全員が着こんでサプライズ前祝いが行われた。
- 新井が現役最後の試合を終えた後、中国新聞で新井の引退を労う一面広告が掲載された。FA前の広島時代に中国新聞で新井が酷評されている記事がスクラップされたものが一面全体に載せられており、その紙面をめくると一面のソウルレッドと新井のガッツポーズと共に「結局、新井は凄かった。」の一文。その右下に書かれていたこの広告の主は…
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#539 | 10082 | |
阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#187 | 8812 |
余談だが、ここに載っている広島時代の応援歌は2000年から使われ始めた2代目だったりする。
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | 広島 | 56 | 105 | 95 | 14 | 21 | 2 | 1 | 7 | 14 | 1 | 1 | 0 | 8 | 1 | 31 | 2 | .221 | .288 |
2000年 | 92 | 233 | 208 | 26 | 51 | 6 | 0 | 16 | 35 | 3 | 0 | 2 | 18 | 5 | 54 | 6 | .245 | .318 | |
2001年 | 124 | 354 | 313 | 38 | 89 | 12 | 0 | 18 | 56 | 2 | 1 | 1 | 36 | 3 | 86 | 11 | .284 | .363 | |
2002年 | 140 | 559 | 512 | 63 | 147 | 28 | 2 | 28 | 75 | 1 | 0 | 3 | 38 | 6 | 124 | 17 | .287 | .342 | |
2003年 | 137 | 537 | 488 | 58 | 115 | 20 | 2 | 19 | 62 | 2 | 1 | 3 | 39 | 6 | 120 | 16 | .236 | .299 | |
2004年 | 103 | 294 | 262 | 36 | 69 | 10 | 1 | 10 | 36 | 3 | 0 | 1 | 29 | 2 | 55 | 4 | .263 | .340 | |
2005年 | 142 | 587 | 541 | 91 | 165 | 30 | 1 | 43 | 94 | 3 | 1 | 3 | 37 | 5 | 126 | 16 | .305 | .353 | |
2006年 | 146 | 611 | 566 | 78 | 169 | 23 | 2 | 25 | 100 | 1 | 0 | 9 | 32 | 4 | 117 | 14 | .299 | .336 | |
2007年 | 144 | 619 | 556 | 84 | 161 | 22 | 0 | 28 | 102 | 1 | 0 | 7 | 55 | 1 | 136 | 17 | .290 | .351 | |
2008年 | 阪神 | 94 | 410 | 366 | 54 | 112 | 22 | 4 | 8 | 59 | 2 | 0 | 4 | 35 | 5 | 83 | 7 | .306 | .371 |
2009年 | 144 | 599 | 558 | 68 | 145 | 32 | 1 | 15 | 82 | 4 | 0 | 7 | 28 | 6 | 82 | 20 | .260 | .299 | |
2010年 | 144 | 641 | 570 | 96 | 177 | 42 | 0 | 19 | 112 | 7 | 0 | 8 | 52 | 11 | 89 | 19 | .311 | .374 | |
2011年 | 144 | 602 | 550 | 68 | 148 | 25 | 3 | 17 | 93 | 5 | 0 | 7 | 41 | 4 | 106 | 20 | .269 | .321 | |
2012年 | 122 | 493 | 460 | 46 | 115 | 25 | 0 | 9 | 52 | 1 | 0 | 2 | 30 | 1 | 85 | 12 | .250 | .296 | |
2013年 | 140 | 548 | 476 | 60 | 127 | 20 | 0 | 15 | 70 | 2 | 0 | 7 | 60 | 5 | 110 | 17 | .267 | .350 | |
2014年 | 94 | 194 | 176 | 13 | 43 | 6 | 0 | 3 | 31 | 0 | 0 | 1 | 15 | 2 | 33 | 6 | .244 | .309 | |
2015年 | 広島 | 124 | 476 | 426 | 52 | 117 | 22 | 2 | 7 | 57 | 3 | 0 | 4 | 48 | 2 | 73 | 15 | .275 | .349 |
2016年 | 132 | 513 | 454 | 66 | 136 | 23 | 2 | 19 | 101 | 0 | 0 | 4 | 54 | 1 | 101 | 12 | .300 | .372 | |
2017年 | 100 | 288 | 243 | 36 | 71 | 14 | 0 | 9 | 48 | 2 | 0 | 4 | 40 | 1 | 56 | 7 | .292 | .389 | |
2018年 | 63 | 132 | 114 | 7 | 25 | 3 | 1 | 4 | 24 | 0 | 0 | 4 | 14 | 0 | 26 | 4 | .219 | .295 | |
NPB:20年 | 2383 | 8799 | 7934 | 1054 | 2203 | 387 | 22 | 319 | 1303 | 43 | 4 | 81 | 709 | 71 | 1693 | 242 | .278 | .339 |
国際大会での打撃成績
年度 | 代表 | 大会 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | 日本 | WBC | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .333 | .333 |
2008年 | 五輪 | 9 | 38 | 35 | 4 | 9 | 1 | 2 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 7 | 1 | .257 | .289 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 1055 | 7807 | 662 | 35 | 619 | .996 |
三塁手 | 1163 | 709 | 1948 | 139 | 132 | .950 | |
外野手 | 41 | 37 | 3 | 1 | 1 | .976 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最多本塁打 | 1回 | 2005年 |
最多打点 | 1回 | 2011年 |
表彰 | ||
最優秀選手 | 1回 | 2016年 |
ベストナイン(一塁手) | 2回 | 2005年、2016年 |
月間MVP | 1回 | 2005年6月 |
ゴールデングラブ賞(一塁手) | 1回 | 2008年 |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2013年第2戦 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 8回 | 2002年、2005年、2007年、2008年、2013年、2015年-2017年 |
全球団から本塁打 | - | 2008年5月14日 |
年度別監督成績
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2023年 | 広島 | 2位 | 143 | 74 | 65 | 4 | .532 | クライマックスシリーズ敗退 |
2024年 | 4位 | 143 | 68 | 70 | 5 | .493 | ||
NPB:2年 | 286 | 142 | 135 | 9 | .513 | Aクラス:1回、Bクラス:1回 |
関連動画
広島時代(1999年~2007年)
阪神時代(2008年~2014年)
広島時代(2015年~2018年)
商品検索
関連項目
- プロ野球選手一覧
- 阪神タイガース / 広島東洋カープ
- お兄ちゃんの一覧
- 赤松真人 - 金本の人的補償で移籍した選手
- 金本知憲(お兄ちゃん)
- 新井良太(弟)
- 黒田博樹(戦友)
- ツラゲ
- ツライさん
- 25番という選手
- 25番というフレンズ
- 新井が悪い
- もう何も辛くない
外部リンク
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