V作戦とは、
- アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する大規模反攻計画の作戦名である。詳細な設定は媒体を跨いで付け足されたものであり、アニメには出てこないので注意。
- 支那事変中の1938年6月14日から7月27日にかけて行われた日本陸海軍の九江攻略作戦(V作戦)
である。ここでは1について記載する。
前史
一年戦争以前よりジオンは水面下で「モビルスーツ」という名の人型戦闘マシンの開発を進めていた。
モビルスーツ誕生の背景にはトレノフ・Y・ミノフスキー博士と彼の提唱した「ミノフスキー物理学」が深く関わってくる。ミノフスキー粒子とその応用論であるミノフスキー物理学はこれまでの素粒子物理学にピリオドを打ち、戦術の幅にも大きく変革をもたらした。
→「ミノフスキー粒子」を参照
連邦はジオンのMS開発の情報を入手し、対抗策として61式を改良したRTX-44を開発したのだが、ジオンの兵器に対抗するという名目を掲げただけで積極的とは言えなかった。
ジオンに比べて後れを取っていたMS開発は「ミノフスキー博士の亡命」という形で転機を迎える事となった。ミノフスキー博士がもたらしたデータによってMSへの足掛かりを経たのである。
ルウム戦役~RX計画
MSを実戦に初めて投入したのはジオン軍である。「ルウム戦役」では切り札として連邦の艦隊を相手取り、連邦上層部の前評判を覆すかの如く多大な戦果を挙げた。
ルウム戦役でMSを有するジオンに敗戦を喫したヨハン・エイブラハム・レビル将軍は、直でその脅威を目の当たりにし、後のエース部隊「黒い三連星」によって捕虜となった。しかし捕虜となっていた時期にジオン国の現状を知り、南極条約調印式において連絡特殊部隊の協力を経て脱走・帰還する。
レビルは後に「ジオンに兵なし」とジオンに対してあくまで戦争継続・強硬姿勢を取り、大鑑巨砲主義・旧態依然の連邦上層部にモビルスーツ開発を強く訴えた。
かくして、これまで小規模な基礎研究段階に留まっていたモビルスーツの開発は、レビル将軍の説得によって大規模なプロジェクトへ引き上げられた。
簡単に纏めると
- ジオンのMS(MS-01)の情報を入手し、連邦軍によって対抗馬RTX-44が開発。
- ミノフスキー博士の連邦側への亡命から連邦もノウハウを得て、RTX-44をベースにRX-75ガンタンクを開発。
- その対抗策では不十分と考えた開発陣(テム・レイ等)は、完璧なMSの開発を考え始めていた。
- 捕虜の身から生還したレビルの提言を引き金としてRX計画は全規模の人型兵器開発計画に引き上げられる。
- RXM-1(連邦初の人型マシン)、RX-78-1、RX-77の開発が行われる。
MS開発プロジェクト「RX計画」は後に発動する「V作戦」に統合される形となった。
V作戦開始日「U.C.0079年4月1日」のことである。
かくして連邦における人型戦闘ツール「モビルスーツ」開発が本格的に始動したのであった。
V作戦
V作戦においてまずRX計画で開発にとりかかったMSの完成とその量産、次いで運用母艦を開発している。
連邦モビルスーツ全体の運用方法として、当時研究中であったジオンのザクとは異なる支援用モビルスーツ、白兵戦仕様にコンセプトが決定づけられた。こうして生まれたのが白兵戦用のガンダムと支援用のガンキャノンである。
専用母艦については宇宙空母のペガサス級巡洋艦をモビルスーツ搭載艦に変更し、ペガサス級強襲揚陸艦「ホワイトベース」が開発されている。
試作機の完成後、量産機「RGM-79」の開発が行われた。しかし劣勢に陥った戦況は量産機の完成を待ってくれなかった。RGMの開発が遅れたため、RX-78の選考から漏れた規格落ちパーツで陸戦型ガンダムが多数作られ、重力下のジオン軍迎撃戦で運用されていた。
RX-78の量産型「GM」だが、当初の構想では相当なハイスペック機だった事でコスト高騰を招いた。
このため、GMはRX-78からスペックを落とした簡易量産機という形に落ち着き、パーツを流用して同一生産ラインでジム・キャノン等の多数のバリエーション機が製造された。
当然、GMの設計案は苦肉の策であり、完全な量産機の開発はロールアウト後も続けられていた。
関連商品
歴史背景や開発史を追うならばゲーム『ギレンの野望』なんかが詳しい。
書籍にしても様々な物が編纂されているが、記事ではあえて分厚い万越えの設定資料を紹介したい。皆川ゆか氏の資料は一部踏み込んでないとはいえ公式設定に限定すればかなり詳しく記されている為、ガンダムの世界を知りたいならばオススメの品。しかし値は張る上に一次ソースではない事が難点か。
時期の関係で未収録の公式機体・設定も当然存在するのだが、そこはガンダムである以上仕方ない。
関連項目
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