デスティニー・ドローとは、
- TCGにおいて、ここぞという状況で最適なカードを引き当てること。特に劣勢の状況で逆転のキーカードを引き当てることに対して言われることが多い。デステニー・ドロー、ディスティニー・ドローといった表記ゆれのほか、トップデッキ(トップデック)、今引き、神引きなど、いろいろな同義語がある。本項で解説。
- 遊戯王OCGのカード「デステニー・ドロー」の誤表記。「ィ」が1つも入らないのが正しい。
→「デステニー・ドロー」を参照。
概要
相手に追い詰められたとき、「ここであのカードが引ければ……あのカードさえ引ければ逆転できる!」という状況は結構多い。そのようなときに「あのカード」を引き当てるのがデスティニー・ドローである。
どのようなカードであるかはTCGの性質やそのときの状況によってまちまちだが、多くは相手の強力なクリーチャーなどを破壊する効果かそれを上回るパワーを持つカード、あるいはそれらを呼び寄せるためのサーチ、サルベージや更なるドローが行えるカードである。
ギリギリの状況から大逆転、というのは誰もが一度は憧れるものであり、これを成しえたときの達成感や喜びは計り知れないものがある。
しかし、いつも行き当たりばったりで一か八かのデスティニー・ドローではさすがに勝つのは難しい。できるならば、なるべくデスティニー・ドローをせずに済むように、バランスの取れたデッキを構築するように心がけたい。とはいえ、どれだけ優良なデッキを組もうとも、100%思い通りにドローして勝利するというのは不可能であり、よほどバランスの崩壊したTCGでもない限り極限まで追い詰められる状況は発生し得る。そのようなときに勝敗を決するのは、結局のところプレイヤーの運命力なのだろう。
現実のTCGそのものにおけるデスティニー・ドローは本当にプレイヤーの運命でしかないが、TCGを基にしたコンピュータゲームなどでは、ゲームのシステムとしてデスティニー・ドローが組み込まれていることがある。
どのように組み込まれているかはゲームによってまちまちである。例としては、自分がピンチの状態(ライフポイントが少なくなる、など)になったときのドロー時に予め設定しておいたカードをドローできるといったもの[1]。中にはデッキに入れた覚えのないカードを引くなどという、現実のTCGではルール違反としか思えないシステムであることもある。
destiny(英:運命)のカタカナ表記のゆれによって、冒頭で述べたような表記ゆれが存在する。destinyの発音から考えると「デスティニー」が一番近い。
TCGの漫画・アニメにおいて
現実のTCGにおいてはそうそう起きない(だからこそ憧れる)デスティニー・ドローであるが、TCGを中心とした漫画・アニメなどとなると話が変わってくる。
そういった作品の主人公がいつも安定性の高いデッキを使って圧勝するというのはあまりにもつまらない。かといって、いつも完敗で全く勝てないというのもこれまたつまらない(一度負けてリベンジという形を除く。また、設定としていつも負けているというものはあるが、それでも作中での重要な対戦ではきっちり勝つことが多い)。
では、どうするかとなれば、相手が強力なカードを出して主人公が追い詰められるが、ギリギリのところでデスティニー・ドローで逆転勝利、という形になる。こうなれば物語としても盛り上がるし、主人公の「追い詰められてもあきらめない不屈の精神」という心の成長を描くこともできる。
また、作中の設定として、その対戦で負けると世界が消滅する、自身や仲間が死亡するなど、どうあっても主人公が負けてはならない状況が作り出されていることも多く、その場合は絶対に勝つしかないのだが、かといってあっさり勝ってしまっては緊張感がないので、上記のような逆転勝利が発生する。
いわゆる主人公補正の一種であり、TCG以外の作品における、追い詰められた主人公が突如覚醒する、といった状況に近いものであるといえる。
作品によって当たり前のように発生するものから、それを極力抑えたものまで様々である。どちらが良くてどちらが悪いといったものではない。要はそれをどう演出するかだろう。
デスティニー・ドローのパターンにも色々あるが、多くは特に説明がないか、「カードを信じる心や絆にデッキが答えてくれた」などとされることが多い。中には作中の設定として「(デッキ内の)望んだカードがドローできる」などとされたり、さらには不思議な力によってデッキに加えた覚えのないカードをドローするなどという現実ではあり得ないものもある。
また、チームやタッグでの対戦の場合や、仲間のカードをデッキに組み込んでいるような場合、「仲間の絆が俺に力を貸してくれた!」などとなることもある。
(デッキにないカードを引くというのはいったん置いておいて)現実のプレイヤーから見るととても真似できないような奇跡的なドローを連発することになるため、ご都合主義ともいえるが、やはり漫画・アニメだからこその逆転劇も魅力であり、このようなドローの存在自体が批判されることは少ない(繰り返しになるが、要は「どう魅せるか」だろう)。
「チートドロー」、「積み込み」等と言われることもあるが、多くはネタとしてである(そのようなネタを好まない人がいることは考えねばならない)。
ただし、デッキに存在しないカードを引くというレベルになると少々話は変わってくる。
普通のデスティニー・ドローは、現実ではめったに起きないとはいえ可能性はあるレベルであり、現実から逸脱しない範囲の出来事である。しかし、元々デッキにないカードを引くというのは現実ではあり得ないこと(ルール違反)であり、極端な言い方をすればゲームとして成り立っていないとすら言えてしまう。プレイヤーが知恵を絞って考え、築き上げたカードの集まりを持ち寄って戦うのがTCGなのだから。
そのため、このようなデッキにないカードを引くと言う展開については、通常のデスティニー・ドローよりも批判的意見が多くなりやすい。
一方で、バトルものにおける例を考えてみると、「主人公が土壇場で新技を習得する」という状況は珍しいものではない。デッキにないカードを引くとは、この技をカードに置き換えたものと考えることもできる。デッキにないカードを引くというのも、こういうバトルものの王道的展開の延長上にあると考えれば、そう違和感はないとも言える。
結局、こういった描写に対する評価は、受け手(読者/視聴者)がその漫画やアニメに何を求めているのか(カードゲームとしての戦略性や駆け引きを観たいのか、少年漫画的な熱い展開やキャラクターの成長などを観たいのか)によるところが大きく、一概にこういった要素だけで評価を決めるのは難しい。
関連動画
→タグで動画検索 デステニードロー or デスティニードロー or ディスティニードロー
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関連項目
脚注
- *遊☆戯☆王の「タッグフォース」シリーズ。システム名としては「ディスティニー」表記。この作品の場合、対戦相手もこのシステムを使用してくる。設定でON/OFFの切り替えが可能なので、気に入らないならば切っておけばよい
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