ビクトル・ザンギエフ(Victor Dzantemirovich Zangiev/Зангиев, Виктор Дзантемирович)とは、1980年代~1990年代に活躍した、レスリングの選手・プロレスラーである。全盛期の体格は186cm/110kg。
生誕~レスリング競技者時代
1962年5月26日産まれ。ソビエト連邦(以下ソ連)のハバロフスク市出身。10代でレスリング(アマレス)を始め、カナダやヨーロッパなどで行われた世界大会などで優勝し、ソ連の重量級チャンピオンに七度も輝くなど優秀な成績をおさめた。
しかし、世は米ソ冷戦の時代。競技者として全盛期を迎えていた1984年のロサンゼルス五輪をソ連はボイコットし、オリンピックに参加することはできなかった。
衝撃のレッドブル軍団登場
そんな彼に目をつけたのが日本のプロレス団体である。ミハイル・ゴルバチョフにより行われたペレストロイカにより、日本にも「ソ連ブーム」が訪れ、今まで知らない国、恐ろしい国というイメージの強かったソ連のことが少しずつ知られてきたことを見計らい、新日本プロレスの社長・アントニオ猪木はソ連国家スポーツ委員会と提携し「まだ見ぬ強豪」として、ソ連のレスリングエリートをプロレスのマットに上げたのである。
ザンギエフと同じレスリングの選手、サルマン・ハシミコフをリーダーとして「レッドブル軍団」と名付けられた彼らは、1989年2月22日の東京ドーム興行『89格闘衛星・闘強導夢』に初登場。ハシミコフはアメリカ人のトップレスラー、クラッシャー・バン・バン・ビガロを2分26秒で破り、そしてザンギエフはベルトを賭けたトーナメントの1回戦、3分56秒でアメリカ人の強豪バズ・ソイヤーを得意のスープレックスで破るという、華々しいデビューを飾ったのである。(2回戦で橋本真也の四の字固めでギブアップ負け)
また、新日の伝手で米国のプロレス団体・WCWのトーナメントに参加するためかつての「仮想敵国」アメリカを来訪するなど「レッドブル軍団」は世界のプロレスシーンを席巻したのである。
その後のザンギエフ
衝撃のデビューを飾ったレッドブル軍団であったが、エースのハシミコフはベルトこそ獲得したものの、プロレスラーらしい「魅せる」ギミックに欠け、だんだんと観客に飽きられていくことになる。一方、マジメにプロレスに取り組み、多少は「魅せる」ギミックができたザンギエフは徐々に推されていき、1989年12月31日に新日本プロレスが行ったモスクワでの大会では、新日のトップレスラー・長州力と一騎打ちを行うなど、プロレスラーという職業にもだんだんと適応し始めてきたのである。
新日が闘魂三銃士を中心とする日本人同士の戦いをメインにしつつあったこともあり「レッドブル軍団」は徐々にフェードアウトしていったが、ザンギエフたちは日本とロシアを行き来しながらプロレスラー活動を行い、高田延彦の団体・UWFインターナショナルなどにも参戦している。最後のほうは1試合5万ドル(当時のレートで500万円)ほどのオファーを貰えるほどの評価を受けていたが、体の限界を感じ、1995年ごろに引退。その後はモスクワ郊外の都市・アレクシンにてレスリングのコーチとして少年たちを指導している。56歳になった2019年現在でも東京スポーツの取材に対し「毎日トレーニングをしている。いつでもプロレスができるよ」と元気な姿を見せている。
世界に知られた「ザンギエフ」
……と、経歴だけ見ればプロレスラーとしてそれほど名を残したわけではなく、また「レッドブル軍団」でエースとされていたのは一般的にはハシミコフのほうであり、当時のザンギエフは「レッドブル軍団のそれなりにプロレスができる人」くらいの評価であったが、思わぬところで彼の名前は世界中に知られることになる。
1991年にカプコンからリリースされた格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」に、彼の名前をモチーフとしたソ連出身のプロレスラー「ザンギエフ」が登場し、ゲームが世界中で大ヒットとなったことで一躍「ザンギエフ」という名が世界に広まることになったのである。もちろん無許可での名前の使用ではあったが、ザンギエフ自身は「日本に行ったことで(ゲームに自分の名前が採用され)どの国でも自分の名前が知られている、そういう意味ではよかった」と感謝の意を示している(東京スポーツの取材記事より)
なお、ゲームのザンギエフはモヒカン頭に筋骨隆々なボディに赤いショートタイツと、どちらかと言えばアメリカ人レスラーのような外見であるが、実際のザンギエフは禿頭に口ひげ、レスリング競技者らしい締まった肉体とブルーのレスリングタイツであり、外見の共通点は「とにかく胸毛が濃い」くらいしかない。
得意技
- 各種スープレックス
フロント・スープレックス、ジャーマン・スープレックスなどレスリングの下地を活かした、美しい腰の反りとスピーディーなスープレックスを得意とした。松田納(後のエル・サムライ)とのエキシビジョンマッチでは、腕をキメながらのフロント・スープレックスでKOという、えげつなく危険な技を披露している。 - 一本背負い
パワーで力任せに投げるのではなく、鮮やかに腕を取り投げ捨てる。その華麗なテクニックで重量級のレスラーも軽々と投げ捨てることができた。 - その他アマレスのテクニック
腕取り、足取りなど「レスリング」の基本的なテクニックをマスターしている……が、90年代の新日では武藤敬司の派手なアメリカンプロレス、橋本真也の格闘技風のキックなどがもてはやされ、こういった「地味」な動きはだんだんと観客の支持を失ってしまった。 - スクリューパイルドライバー
……は、もちろん使えない。
関連項目
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