屍忌蛇(しいじゃ、1966年6月4日 - 本名:黒岩靖)とは、高知県出身のギタリストである。主にヘヴィメタル楽曲を中心にプレイしている。
概要
土佐高知に生まれる。
中学生の頃にギターを初め、横浜銀蝿のコピーからスタートする(アニメタルデビュー後に「BANDやろうぜ!」誌で当時再結成したばかりの横浜銀蝿の翔と嵐との対談が実現、銀蝿オタクぶりを発揮し、翔から「銀蝿オタクだね、屍忌蛇」とまで言われる)。
その後、YOUNG GUITAR誌が創刊した「100%ゲイリー・ムーア」を手にした黒岩少年はハードロックの虜になる。
それから数年後、出てきた大阪でAIONのギタリスト、IZUMIの弟子となる。
何故、純速弾きギタリストであるIZUMIの弟子が斯様なスタイルになったかは、全くの不明である。
また、この時「皿洗いピッキング」なるピッキングを身に着け、飛躍的に実力を伸ばしたとの事。
この時期~インディーズ時代の屍忌蛇はとにかく憎めない奴だったらしい。
初ギターはプレゼンスのギタリスト白田一秀のもので、それもメインギターである。
PERSONZのドラマー藤田勉がふいっとそのギターを掴み「こいつ、ギター持ってないんだって。予備のギターあるからいいよね?」と取り上げ、屍忌蛇にくれたそうで。なお、これはGargoyle加入後のエピソード。色々とおおらか過ぎる。
初バンドはヴァソキヤ。食事中のIZUMIにバンド名について相談したところ、目の前にあった焼き蕎麦をひっくり返して付けられた名前である。屍忌蛇という自身のネーミングもおそらくは似た様な発想であろう。
スラッシュメタルバンド、Gargoyleに加入。BALA 薔薇 VARA、Hallelyah、Hunting days、懊悩の獄等で、その才能をインディーズシーンに見せ付ける。なお、Gargoyleは時系列的に見れば世界初のメロディックデスメタルバンド(メジャーデビューとしても世界初)であるとする説もあるが、面白いくらいにフォロワーが無く、さすがに隆盛を誇ったメロデスの直接の祖とは言い難い。それにしても、よくこんな変態天才ばかりが集まったものである。
メジャーデビューも同バンドからであった。しかし、どのような経緯があったかは不明だがメジャーデビューアルバム『天論』一枚を残してGargoyleを脱退した。オープニングナンバーの審判の瞳は、屍忌蛇にとってもGargoyleにとっても、ベストナンバー候補の一つであろう。
その後はアニメタルに加入し、メタル業界以外での比較的一般的な知名度を得る。
編曲のかなりの部分を請け負っており、メタルの名曲の引用に混ぜて、自身の過去の曲が入り込んでいる。よくわからんがとに かくすごい自信だ。Gargoyle時代の赤いトンガリ帽子やプレイスタイルからGASTUNKのTatsuの影響を指摘されることがあったが、『アニメタル・レディー・マラソンII』で「けろっこデメタン」に対して「Blue Peter」の引用が見られた。
現在はVOLCANO、VATHOKIJA(ヴァソキヤ)などのバンド活動と平行してギタリストとして複数の作品に参加している。
VOLCANOデビューアルバム『violent』でArch Enemyを手がけるメロデス界の重鎮プロデューサーである、Fredrik Nordstromのプロデュースを受け、ANIMETAL、自身のバンドを問わず、以降の音源で音質が飛躍的に向上した。
トレードマークはフライングV。通称【蜘蛛の巣V】が最も有名だろう。実はグレコの、それも安物である。腕って大事だ。
泣きのギターが特徴。自身「自分は泣きのギターしか弾けない」と語っている。それでいい。
その昔はCDでのプレイに比べ、ライブでヘタっている事が多かったが、長丁場のライブや無茶なセットリストでもなければ、現在はライブでも安定したプレイを見せる。
ニコニコではアニメタルのメンバーの頃、あるいはDEATH DEVILのギター吹き替えで有名。
アニメタルに関しては各種関連サイト等が詳しいので、そちらを参照。
一番弟子にIRON-CHINO氏(LIGHTNING、RIZING ORBIT、ABSOLUTE AREA、IRON ATTACK!)がいる。因みにLIGHTNINGのアルバム『BRAVE HEART』に収録されている「STEEL HOLD」の中間部のギターソロは屍忌蛇がIRON-CHINO氏に贈ったもの。
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外部リンク
関連項目
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