暴力装置とは、政治学・法学・社会学・軍事学等の政治組織としての「国家」を扱う学問上における、国家権力ならびに暴力(※後述)を発動する為の諸機関、またはその状態の事を指す。
暴力装置とは
国家権力が強制力を発揮する為に、国内向けに警察、国外向けに軍隊を備えた状態のことを指す。政治学、社会学、法学や軍事等の政治組織としての国家を扱う人にとっては常識と言える言葉ではあるが、一般までは浸透していない。
社会学等での暴力とは、善悪と言った価値判断とは無関係(物理的な強制力のことを指す)なのだが、その字面の為にしばしば誤解を生む言葉でもある。あくまで社会学や政治学等の上での基本用語であり、右翼左翼と言ったイデオロギーに無関係に使われる用語なので、注意が必要。
※詳しくは名古屋大学の大屋准教授の解説を参照→暴力装置 - おおやにき
この用語は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバー著の『職業としての政治』において記した、【正当(合法的)な暴力の独占】 つまり国家による正当性を伴った暴力を「暴力装置」と位置付けたことからであるが、元々書かれていたGewalt Apparatという言葉を日本語に翻訳した際に不適切になってしまった為に「暴力装置」という言葉になってしまったとも言われている。昨今では暴力装置という言葉を訂正すべきという意見もある。しかし、ドイツ語のGewaltそのものが「純粋な力」と「暴力」という意味を兼ねている為、国家権力が突き詰めると暴力であるという政治における基本知識を知っている者からすれば、全く不自然ではない。
ロシアのウラジミール・レーニン著の『国家と革命』の中で、革命を阻止する勢力(警察・軍隊)を指して書かれていたもこともあり、安保闘争時代からマルクス-レーニン主義の左翼活動家が警察・自衛隊等を比喩する左翼用語として使っていた。
また「暴力装置」という言葉は、かつて自衛隊を違憲だと批判する為に用いられた経緯があるが、これは当時の左翼が「暴力」の一般的なネガティヴイメージを利用しようとしただけで、この用語そのものにはネガティヴな意味はない。
ニコ動における暴力装置について
2009年の石破茂の発言について
2009年03月30日に開催された民間のシンポジウムにて、当時の農林水産大臣であったゲル長官こと石破茂(防衛大臣・防衛庁長官を複数回に渡って経験した超エキスパート)は、「暴力装置」という用語を使用して警察や軍隊等を説明したが、このシンポジウムには、民主党の当時の副代表であった岡田克也ら複数のパネリストも参加していたが、この点について、特に誰からも問題視されなかったという。
※この場合は国家の定義について語っているのでマックス・ヴェーバーの言葉を指している。
「暴力装置でもある自衛隊」発言
2010年11月18日の参院予算委員会で仙谷由人官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と発言した。
以前より同様の発言を繰り返しており、野党より発言に言及された際に「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」と発言し撤回と謝罪?はした。
※学生時代には全共闘の学生運動家ではあったが、この場合の用法は文脈から石破氏と同じ意味である。ただし態々この言葉を使った事には、根底に仙谷の思想が垣間見えるといえよう。
関連項目
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