正常性バイアス(normalcy bias)とは、「何かが自分の身に起きたとき、それを『正常な事』『ふつうの事』であると判断しやすい」という人間の認知のクセ、バイアスである。
概要
いわゆる「認知バイアス」つまり人間が何かを知覚して判断する際の「クセ」であり、正しい判断を歪ませるバイアス(偏り)となるものの一種である。
災害や事故などの現場では、この正常性バイアスに認知を歪められて「なんか起きてるけどまあ何か普通の事で大丈夫でしょ」と誤った判断を下してしまい、避難が間に合わなくなったりすることがある。そのため、災害・事故などに関連する心理学の領域で用いられる。
正常性バイアスが当事者の行動に影響を及ぼしてしまい被害の拡大につながった、と考えられている実例は多数存在している。有名なものとして、2003年に韓国で起きた「大邱地下鉄放火事件」という数百名が死傷した大規模な放火事件がある。この事件においては、火事の煙が地下鉄の車内に回り始めても乗客がなかなか避難せず、被害の拡大につながったと言われる[1]。このとき「火事の煙が車内に充満し始めており、口を覆ったりして不安そうにしているにもかかわらず、避難を始めずに大人しく座席に座っている乗客たち」を映した写真が撮影されていた。この写真は「正常性バイアス」という概念の知名度を上げたと言われる(本記事「関連リンク」も参照)。
上記の実例でも当てはまるが、「集団で居ること」はこのバイアスを後押ししやすいと言われる。これは「周囲の人が慌てていないのだから自分も慌てなくてよいだろう」と感じる、一種の群衆心理が働いていると言われる。実際に、「何も知らない被験者」1名と「煙に全く動じず平然としているサクラ」2名がいる部屋に煙を流入させる実験をしたところ、被験者は避難行動を取らず、実験後の聴取に「他の人(サクラ2名)が反応していなかったので問題ないと思って動かなかった」と答えたという。[2]これは「集団同調性バイアス」(多数派同調バイアス)という「多くの他の人の行動に合わせてしまう」という認知バイアスとも重なっている。
また「自分は大丈夫だろう」と考える「楽観主義バイアス」(比較楽観主義バイアス)という認知バイアスも重なるところがあると言われる。
「normalcy bias」という英語の言葉として遅くとも1970年代には使用例が確認できる。日本でも1970~1980年代にはその訳語として「日常化へのバイアス」「正常化の偏見」「正常化偏見」など雑多な翻訳で紹介され、1990年代に入ってから「正常性バイアス」の訳語が定着しはじめたようだ。
初期に日本に紹介された際には、その出典として紹介されるものとしては「1973年のBenjamin F. McLuckieの著作[3]」と「1976年のRalph H. Turnerの著作[4]」の二通りがあったようだ。どちらも災害に関する著作である。だが、前者の方が先に出ており、またTurnerはMcLuckieの記載を引用していたようであるため、「最初にこの文脈で『normalcy bias』という言葉を使った人物」はMcLuckieだと見てよいようである。
ただし、「normalcy bias」という言葉をまだ使っていなかったとしても、人間の思考にこういった傾向があることはそれよりかなり以前から知られていた。例えば1957年にCharles E. FritzとHarry B. Williamsによって発表された論文[5]に以下のようなくだりがあることが時折紹介される。
When people have no prior warning, the recognition of danger is frequently delayed. One reason is the commonly noted tendency of persons to associate disaster signs with familiar or normal events. In tornadoes, for example, the roar produced by the high winds of the vortex is often interpreted as the sound of a train passing nearby.
(和訳例:事前の警告を得ていなかった場合、人々の危険の認識はしばしば遅延する。その理由の一つとしてよく記述されることだが、人間は災害の兆候を身近で正常な出来事に関連付ける傾向がある。たとえば竜巻を例にとれば、渦を巻いた強風によって生み出された轟音は「近くを通過する列車の音だ」と解釈されがちなのである。)
「バイアス」「偏り」と言ってしまうと「おかしな判断」だと言っているように聞こえるかもしれない。だが、上の論文の言っている内容「人間は何かを認識したときに身近で正常な事に関連付けることが多い」という話は、至極当たり前のことであるし、ある意味では効率的なことでもある。何かの兆候があったとき「極まれにしか起こらないこと」に関連付けるより「よくある普通のこと」に関連付けた考え方の方が正解に結びつきやすいのだから。
稀にしかないことに騒ぐコストを省ける、心理的な安定につながる、という実利的な面もある。だからこそ「人類の思考のクセ」として全世界的に共有されているとも言える。仮に「この逆の傾向」を持ってしまった人、つまり「あらゆる兆候について、極まれな最悪の事態の兆候に思えてしまう人」がいたら、その人はあらゆる物事に怯え警戒して暮らすことになり日常生活も危うくなってしまうであろう。
とはいえ、その正常性バイアスが実際の災害や事件の際には被害の拡大に繋がっていることも事実であり、防災に関わる人々らが頭を悩ませる点である。
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *鉄道会社による避難指示誘導が非常に不十分であったという問題点もあった
- *広瀬, 弘忠, 杉森, 伸吉, 2005, 正常性バイアスの実験的検討: 81–86 p.
- *McLuckie B. F., 1973, The Warning System: A Social Science Perspective, National Oceanic and Atmospheric Administration, United States Department of Commerce, U.S. Government Printing Office.
- *Turner R. H., 1976, Earthquake Prediction and Public Policy: Distillations from a National Academy of Sciences Report, Mass Emergencies 1 ,179-202 p.
- *Fritz C. E. and Williams H. B., 1957, The Human Being in Disaster: A Research Perspective, The Annals of the America Academy of Political and Social Sciences, 309, 42-51 p.
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