高田純次(1947年1月21日~)とは、東京都調布市出身の俳優・タレント・お笑い芸人である。
概要
高校時代に近所で発生した「三億円事件」で容疑者リストに入れられた経験がある。デザイン系の専門学校を卒業後に舞台俳優として活動。無名時代のイッセー尾形と小劇団を結成をした時期もあったが半年ほどで解散に追い込まれた。その後結婚し子供を設けたが舞台俳優の収入だけでは家族を養うことができないため、一度俳優の道を諦めて宝石販売会社に入社しサラリーマンとなる。この時期には資格を取得しダイヤモンド鑑定士をしていた。
しかし、劇団時代の知人であった柄本明やベンガルらが新たに「劇団東京乾電池」を結成し小劇場で活動する姿を見て、一度諦めたはずの役者の世界に再び飛び込むことを決意し、1977年にサラリーマンを辞め同劇団に入団しカムバックすることとなった。しかし当然劇団での収入で生活できなかったため、あらゆる副業を経験しなんとか妻子を養う生活を過ごす。道路工事作業員のバイトをしていた時期には生き埋め事故に遭うなど辛苦を舐めた。
1980年、「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ)で時事コントを披露するレギュラーコーナー「日刊乾電池ニュース」に劇団東京乾電池の一員として出演し注目される。同番組と同じスタッフによって制作された「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)にも初期準レギュラーとして出演し、メインコントの「タケちゃんマン」においてライバルのブラックデビル役に一度は決まったものの、初回収録後におたふく風邪にかかってしまい高田の体に合わせて作られたブラックデビルの衣装を唯一着ることができた明石家さんまに交代するハメになる不運も経験した。
1984年に福井テレビ(FTB)製作のローカルバラエティ番組「いやはやなんとも金曜日」で初の番組司会を担当。同年には北海道テレビ(HTB)製作のローカル深夜番組「派手〜ずナイト」の番組司会にも起用されるなど、徐々にその活動の幅を広げていった。1985年には「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)のレギュラーメンバーに起用され、高田得意の適当なコメントと体当たり芸が相まってついに大ブレイクを果たし地位を確立した。現在でもそのスタイルは変わらず、60歳を超えた現在でも番組中に平気で裸になったりする。「元気が出るテレビ」時代には、早朝バズーカシリーズがあったが、オーストラリアでバズーカ(もちろんモデルガン)をぶっ放していたことがあり、一時はオーストラリア政府から出入り禁止になったこともある。テログループ・アルカイダと同様の扱いになった。
クイズ番組の解答者としても「象印クイズ ヒントでピント」(テレビ朝日)、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」(日本テレビ)、「どうぶつ奇想天外!」(TBSテレビ)などに長年出演し親しまれた。
一方、本業の俳優としては1980年代半ばに劇団東京乾電池を退団し、主にテレビドラマを中心に活躍するようになる。バラエティ番組で見せる姿とは違う、笑い無しのシリアスな演技もきっちりとこなせる名優としても評価されている。
俳優・タレントの他、1989年には自身が社長を務める芸能事務所「テイクワン・オフィス」を設立し経営者としての一面もある。
同業者からも「あの適当を貫いている姿がいい」と関根勤、タモリ、みのもんたといったベテラン芸能人が高く評価し、「高田純次のようなタレントになりたい」と宮迫博之(雨上がり決死隊)、アンタッチャブルといった後輩芸能人が公言しているなど、世代の上下に関わらず非常に多いのも高田の人徳が為せる技とも言える。
柳沢慎吾同様に2chで関連のスレでもアンチの意見がまったく無いのも特徴的でもある。
関連動画
関連商品
関連項目
関連リンク
- ㈱テイクワンオフィス(高田純次が経営する事務所)
- 8
- 0pt