FUMA(妻木洋夫)は、日本のプロレスラー。ユニオンプロレスを経て、2016年現在はプロレスリングBASARA所属。
ユニオンプロレス生え抜きレスラー第一号である。
概要
2010年4月11日、ユニオンプロレス “新学期だよ!ユニオン” 4・11:新木場1stRING大会のデビュー戦で
石川修司と対戦。結果は7分46秒、ストレッチマフラーホールドで敗れる。
デビュー後しばらくは、経験を積むためにDDT主催の月刊若手通信や興行の前半戦などで奮闘。
入門前には柔道、空手を経験しており、ハイキックなどの蹴り技を武器としている。
DDT所属の平田一喜と同時期に入門しており、2011年2月の若手通信で平田から
チキンウィング・アームロックでプロ初勝利を飾った。
ユニオンプロレスに菊地毅や天龍源一郎が参戦した際に対戦をしており、真っすぐなファイトスタイルが評価された。
デビュー当時のコスチュームは黒のショートタイツにレガース。好きな選手はダイナマイト・キッド。
見た目が板前姿で当初の性格は寡黙なため、若手でありながら昭和の香りを漂わせていた。(まさか沖縄を経て、あんなハジケ野郎になるとは…)
その反面、入門テスト時には"範馬刃牙"で見せた巨大カマキリとのリアルシャドーを披露、
後輩選手の福田洋らからは"妻木が同世代の中で一番の変態"と推すなど、リング外では意外な一面を見せている。
2010年10月に沖縄プロレスに無期限の武者修行を発表。11月からはマスクマン「ジンベイザメ~ン」として活躍していたが、沖縄プロレスの活動休止を受けて2012年9月からユニオンに本格復帰。武道館大会では木高イサミとのタッグでガントレットタッグマッチに参加した。
その後は、かつて若手通信でしのぎを削っていたチームドリフ(石井慧介、高尾蒼馬、入江茂弘)にケンカを売るなど、気の強いところを見せるようになった。ついでにコスチュームも赤と黒をベースにしたロングタイツへと変貌した。ドリフと戦うため、KUDO、HARASHIMA、ヤス・ウラノのユニット「ウラシマクドウ」に助っ人として加わる一方、KUDOとヤスがケガで欠場するとユニットを半ば強引に「シマヒロオ」に変えるなど、DDT本体にも食い込む勢いを見せている。
2013年1月27日のDDT後楽園大会から、リングネームを「FUMA(フーマ)」と改名。これは、地元小田原を根拠地とした戦国大名、後北条氏に仕えた忍者「風魔小太郎」にあやかったものである。FUMAに改名してからは、入場時にオーバーマスクを着用するようになった(試合では素顔に)。改名後も、ウラシマクドウのメンバーとして活動していた。
2015年にはSAGAT、MEN'Sテイオー、宮本和志らとともにヒールユニット「キングレギオン」を率いて暴れていた……と言いたいところだが、DDT系でヒールをやるのは難しいという定説を覆すまでにはいかず。しかし、前年の最終興行で佐藤光留からユニオンMAXのベルトを奪還してから、試合内容自体は成長していた。
ユニオンプロレス解散後は、プロレスリングBASARAに所属。「BASARAではみんな自由たれ」という木髙イサミ代表の言葉を受けて、自身が大好きなヘビーメタルを前面に押し出すようになる。2016年1月21日の旗揚げ戦では、全身黒ずくめ(人によっては変態に見える)の新コスチュームで登場。メタラーとしての自我を全開にしたスタイルで観客をアッと言わせた。
エピソード
- 沖縄に行く前はエビスコ酒場の店員として働いていた。試合に呼ばれて沖縄から一時戻ってきたとき、そして復帰後もエビスコで店員をしている。
- 板前風な風貌の割にヘビーメタル(特に森メタル)好きな一面がある。特にお気に入りは、入場曲にも使っていたKorpiklaaniらしい。
- FUMAに改名してからは入場曲を地獄車の「鉄拳制裁」に変えている
- 沖縄に行く前はブルース・リーの残した言葉「Be water, my friend」を控え室でよくつぶやいており、ビアガーデンプロレスでの男色ディーノ戦では、そのフレーズで色々といぢられていた。沖縄から戻ってからは、ブルース・リー信奉者としてむやみやたらと熱すぎる(ちょっとお馬鹿な)キャラに変身した。
- プロレスリングFREEDOMSの葛西純ファンで、自身が働いているエビスコ酒場に貼ってあった葛西純プロデュース興行のポスターをもらっていったことがある。
- FUMA以外のリングネーム候補は「相州乱刃(そうしゅうらっぱ)」、「真羅将(ますらお)」だった。
関連動画
関連項目
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