ダンシングキイ(Dancing Key)とは、1983年生まれの競走馬、繁殖牝馬である。
父:Nijinsky
母:Key Partner(母父:Key to the Mint)
父ニジンスキーは言わずと知れた大種牡馬、母キーパートナーはアメリカで2勝を挙げた馬で、この馬自身はアメリカで生産されたものの一度もレースに出走することなく繫殖入り。正直血統も成績もパッとしない馬である。その後ダマスカス、リヴァーマンといったビックネームとも交配されたが産駒はどれも大した活躍を挙げられず、遂に1989年にはキーンランドセールに出されてしまう。
しかしそのセリ会場でこの馬はある2人の日本人の目に留まった。その人物こそが社台ファーム代表の吉田照哉氏と白井最強こと白井寿昭調教師である。
特に白井調教師はダンシングキイの馬体に一目ぼれして、吉田照哉氏に「この馬の仔を預からせてください」と頼み込むほどであった。白井最強。まあ預かるのは日本に来てから3番目に産んだ仔なんだけどね。
そんなこんなで吉田照哉氏が購買し、ダンシングキイは日本へやってくることとなった。
来日後初めての産駒はアメリカで受胎していたリローンチ産駒の持ち込み馬ラップスターでこの馬は未勝利に終わるが、日本ではいきなりリーディングサイアーの*トニービンに種付けされ、そうして生まれた日本における2番目の仔エアダブリンはあのナリタブライアンの同期という不運に見舞われながらも、未だに残るレコードタイムで勝利したステイヤーズステークスをはじめ重賞3勝を挙げて、母の繫殖能力の高さを示した。
翌年には後のスーパーサイアー・*サンデーサイレンスと交配され、そうして生まれたのがダンスパートナーである。ダンスパートナーはダンシングキイの仔を預かりたがっていた白井氏に預けられ、オークス、エリザベス女王杯とGIを二勝して白井氏の相馬眼を証明した。白井最強。
その後は*サンデーサイレンスが2002年に早逝してしまうまで毎年*サンデーサイレンスと交配され、武豊のトラウマとしても名高い菊花賞馬ダンスインザダーク、桜花賞とヴィクトリアマイルを制し、海外遠征も積極的に行ったダンスインザムードとGI馬2頭を輩出した。ちなみに3頭の全兄弟(配合が完全に一致する兄弟のこと、父が違う兄弟は半兄弟と呼ばれる)によるGI制覇は未だにダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムードの3兄弟以外達成していない唯一無二の記録である。それだけサンデーとダンシングキイとの相性が良かったという事だろう。
そしてダンシングキイ自身もサンデーの死から2年後の2004年、アグネスタキオンとの間に牝馬を産んだ後、動脈破裂により21歳で死亡した。
これからはダンスパートナーやダンスインザムードの残した牝馬たちが牝系を繋いでくれることだろう。
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Flaming Page 1959 鹿毛 |
Bull Page | Bull Lea | |
Our Page | |||
Flaring Top | Menow | ||
Flaming Top | |||
Key Partner 1976 黒鹿毛 FNo.7 |
Key to the Mint 1969 鹿毛 |
Graustark | Ribot |
Flower Bowl | |||
Key Bridge | Princequillo | ||
Blue Banner | |||
Native Partner 1966 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer | |
Raise You | |||
Dinner Partner | Tom Fool | ||
Bluehaze | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Native Dancer 4×4(12.5%)、Menow 4×5(9.38%)、Blue Larkspur 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/11/05(火) 15:00
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