ダンスインザダーク 単語

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ユタカノトラウマ

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情熱の火

挑む機会を失い
前の勝利を奪われ
そしてまた
立ちはだかる厚い

だがどんな苦難も
情熱の火を消せはしなかった

むしろ暗闇の中で
その炎は勢いを増し
すべての悲運を
焼き尽くしていくのだった

―名馬の肖像 ダンスインザダークexit

ダンスインザダーク(Dance in the Dark)とは、1993年産の日本競走馬で96年の桜花賞日本ダービー菊花賞優勝である。また、武豊トラウマとしても有名。

な勝ち
1996年:菊花賞(GI)、弥生賞(GII)、京都新聞杯(GII)

概要

※この大百科ではの歳を古い数え方で紹介しています

言わずと知れた*サンデーサイレンスは*ダンシングキイNijinskyという良血。社台ファームで生を受けた彼は1歳の時点ですでに大物感があり、評価も高かったそうな。まあ半ダービーナリタブライアンに5身ちぎり捨てられた2着のエアダブリン、全優駿牝馬優勝ダンスパートナーがいるのだからこれは納得できる。のちに戦となる武豊関西に戻ったとき、自ら騎手に立補したそうだ。

初戦の新馬戦をとてつもない脚を繰り出して勝利すると、ラジオたんぱ杯3歳ステークス現在ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)にコマを進める。しかし、ここではのちにサンデー四天王としてともに君臨するロイヤルタッチイシノサンデーから3身半おいてきぼりにされた3着に終わる。あれれ?

4歳になったダンスインザダークはその初戦にきさらぎ賞を選ぶ。しかし、ここでもロイヤルタッチにわずかな差で競り負け、2着。新馬戦でのあの驚異的な勝ち方はどこへ行ったんだと言わんばかりの走りであったが、皐月賞トライアル弥生賞イシノサンデーらを破って重賞初制覇。スプリングステークスを勝ったバブルガムフェローとともに皐月賞優勝補の1頭として名乗りを上げた。

しかし、バブルガムフェロー骨折により戦線離脱し、優勝確実とまで言われた皐月賞をダンスインザダークは発で回避してしまう。なお、この皐月賞には弥生賞で蹴散らしたイシノサンデー優勝している。

営はこれを受け、ダービー事に、ベストの状態で出走させるべくプリンシパルステークスに出走させる。ダンスインザダークは2着に2身半の差をつけ快勝。ダービーへ出走することとなった。そして迎えた日本ダービー、当日では皐月賞優勝イシノサンデー、同レース2着のロイヤルタッチを抑えて1番人気に支持される。そしてこの当時、武豊騎手ダービーを勝っておらず、このダービーをとると相当意気込んでいたようである。ところが……

レースではめに逃げサクラスピードオーをとらえて先頭に立ち、差を広げるも、後ろから猛然と追い込んできたフサイチコンコルドゴール寸前でかわされ、2着に終わる。奇しくも半と同じ結果だった。なおこの負けが、藤田伸二騎手武豊騎手ワンツーフィニッシュで武豊が圧倒的に負け越すという伝説の始まりとなった。

この敗戦がかなり悔しかった営はを噛み、最後の一冠、菊花賞取りに向けて燃え始めた。初戦に選んだ京都新聞杯(当時は開催)で追いすがるカシマドリームを苦にせず快勝。菊花賞名乗りを上げる。そして迎えた本番では、このが世代最強と思っていたファンたちの思いを背負う形で1番人気となる。なお、2番人気は復帰初戦で敗れていたフサイチコンコルドであった。

レースではこれまでの先行策から一転、後方にじっと控える形をとる。そしてスローペースで迎えた展開の中、ダンスインザダークは3コーナーから4コーナーにかけてのところで内に閉じ込められてしまう。この間「これはダメか!」と思ったファンがどれだけいただろうか。少なくとも調教師もそう思っていたそうなのだからたくさんいただろう。しかし、ここは武豊の絶対に勝たせるという執念、4コーナーで他のが外を回りぽっかりといた内にさらに切れこんで他を追い抜く。そして、最後の直線で内がふさがると今度は外に持ち出し、上がり3ハロン338の末脚を繰り出し、っていたロイヤルタッチフサイチコンコルドを差し切って優勝、初G1制覇を見事成し遂げた。

しかし、その翌日、屈腱炎が判明し、引退。同じ地で生まれたバブルガムフェローとの対戦はないまま競走馬人生に別れを告げた。タラレバの話になってしまうが、このがもし事で次の年の天皇賞に出ていたら4強の図になっていたのであろうか。

余談ではあるが、武豊はこのに対し「皐月賞を使えていれば三冠馬になれていたかもしれない」と評している。トライアル三冠馬称号は手にしてるんだけどね。

種牡馬として

種牡馬としては初年度こそ勝ち率も低く低調な滑り出しだったものの、2年からは成績が向上し2004年にはリーディン2位になり、2000年代アーニングインデックスも安定して1をえるなどサンデーサイレンスの有力後継種牡馬として活躍していた。

産駒の傾向としては菊花賞を3頭輩出するなど長距離戦を得意としており、3000m以上の長距離重賞通算10勝はサンデーサイレンス(12勝)に薄する勝ちである。かといって長距離偏重と言うわけではなく、安田記念を制し中距離でも活躍したツルマルボーイや、クラレント・ジョリーダンスマルカフェニックスなど短距離も輩出している。

2010年あたりから成績が右肩下がりとなり、また良績を残した産駒種牡馬入りできなかったり種牡馬成績が不振だったりして、血の存続がかなり不安な状況となっている。一ザサンデーサイチだけが細々と種牡馬生活を続けていたが、2021年限りで種牡馬引退系の存続は絶望的な状況となっている。

2017年1月種牡馬引退し、2020年1月2日に老衰による起立不能のため27歳で死亡した。

血統表

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿
Halo
1969 黒鹿
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
*ダンシングキイ
1983 鹿
FNo.7
Nijinsky II
1967 鹿
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Key Partner
1976 黒鹿
Key to the Mint Graustark
Key Bridge
Native Partner Raise a Native
Dinner Partner
競走馬の4代血統表

クロスAlmahmoud 4×5(9.38%)、Blue Swords=Bluehaze 5×5(6.25%)Native Dancer 5×5(6.25%)

主な産駒

グレード競走勝ちのうち、GI競走優勝グレード競走2勝以上の繁殖牝馬として重賞を出したを記載

1998年産

1999年産

2000年産

2001年産

2002年産

2003年産

2004年産

2005年産

2006年産

2007年産

2009年産

牝馬疑惑

しかしなぜ、一番上の戦歴に桜花賞優勝というのがあるのだろうか?桜花賞しか出れないレースであり、であるダンスインザダークが出られるわけがないのだ(これはち○こを切っても同じ。むしろ切ったらどっちのクラシックにも出られない)。それなのになぜ、桜花賞優勝という戦歴がついたのだろうか?

……実はこれは放送事故が原因なのである。ここから先の説明はめんどいので動画へどうぞ

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