佐々木道誉とは婆娑羅である。婆娑羅とは佐々木道誉である。
人は彼を婆娑羅大名と呼ぶ。
鎌倉末から南北朝時代にかけてはっちゃけまくった活躍した武将。正式には「導誉」と書く。近江源氏佐々木氏の出身で、先祖には源平合戦の佐々木高綱や承久の乱で活躍した佐々木信綱などがいる。道誉はその内傍流に当たる京極氏の出身であるため京極道誉ともいう。子孫には京極氏の他、出雲の尼子氏も道誉から連なる分家である。なお道誉は出家後の法名であって、元の俗名は高氏である。そのため、「本姓+諱」が彼と同じく「源高氏(みなもとの たかうじ)」となる。
北条高時 -> 後醍醐天皇 -> 足利尊氏 -> 足利義詮 -> 足利義満と代々の政権トップに全て仕えたという何気にものすごい人物である。しかも尊氏より9つも年上の癖に、78まで生きて義詮の方が先に死んでいるという婆娑羅クオリティで同時代に華を添えまくった。
前半生は尊氏の尻馬に乗り、事あるごとにおいしいところを掻っ攫って京極家の足場固め。尊氏死後は謀略の嵐により政権の中枢で暗躍し、道誉の罠 -> 南朝に逃亡の黄金パターンを確立。義詮が死ぬとさすがに歳を感じてか政界引退するが、6年程悠々自適の隠居生活を送って義満と茶を飲む老後を楽しんだ。乱世で余裕の大往生とか存在がなんか色々卑怯。
とにかく道誉の逸話として伝わっているのはフリーダムな話ばかりで、ギリワンや第六天魔王やゲヒ殿や独眼竜の大先輩に当たる偉人である。
ちなみにフリーダム武将の例に漏れず、実は道誉も文武において優れたスーパー文化人であった。下記の一覧を見て分かる通り、芸能史の弘法大師といっていい程の存在であり、室町で北山文化が花開いた前夜に道誉が果たした役割は非常に大きなものがあった。
道誉の在り方そのものである「婆娑羅」という言葉は、単に粗野な行動を指しているのではなく、理性に基づいた上で既存の価値を疑う前衛の心を意味している。計算高く、同時にフリーダムでもある道誉の行動は、南北朝というカオスなエネルギーに満ちた時代をまさに体現するものであったわけである。
掲示板
18 ななしのよっしん
2024/04/07(日) 14:26:21 ID: Db7j8s0Jn/
実は何気に直接倒幕に動いた記録は全く無い人物
六角時信の降伏仲介したり、領内で探題集団自決してるからほぼ確実だろうが
19 ななしのよっしん
2024/10/01(火) 19:58:47 ID: vTXzB1KAFR
20 ななしのよっしん
2025/04/05(土) 01:23:45 ID: YufqHPnGn6
派手にやってるから近江佐々木氏嫡流とたまに勘違いされているが、嫡流は六角家で道誉の京極家は有力だけど分家。
だから佐々木道誉は近江守護だったけど、子孫は近江守護を六角家の中継ぎみたいな形で就任していた。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/16(火) 11:00
最終更新:2025/12/16(火) 11:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。